第9話 ルゥルの誕生会

 オウブと地球との距離は遠い。超光速船をもってしても、オウブ時間で一年、地球時間で二年を要する。

 春治とシャルロットは、超光速船に乗り込んで遥々オウブまでやって来たわけではない。超光速による重力増、及び時空の歪みに人間の身体は耐えられないからだ。これは地球人に限ったことではなく、あらゆる生き物が耐えられない。


 三年前、オウブの宇宙船が地球に到着したとき、中には誰も乗っていなかった。船の中にあったのは唯一、物質転送機の出力装置だけである。

 地球の大気圏に入ったオウブの船は、様々な観測を行った後、小笠原諸島父島の南南西三百キロに位置する南硫黄島の頂に軟着陸した。着陸と同時に、生命維持スーツを纏ったオウブ人が一人、転送機から出力された。オウブ人は船内のモニターに表示されている観測結果を一瞥し、スーツを脱ぎ捨て、船外に出た。宇宙人が初めて地球に降り立った瞬間である。


 ところで、物質転送機という名称には語幣があるかもしれない。というのも、このオウブ人はなにも、オウブから発信された電波を地球で受信して、そのデータを元に物質の再構成が行われたわけではないからだ。データはあらかじめ船内の記憶装置に書き込まれていた。オウブを出発するより前に、このオウブ人の生体情報はすでにデジタル情報に変換されていたのだ。

 春治とシャルロットも同様である。まず地球でデータ化され、船の記憶装置に書き込まれた。そしてオウブに運ばれた後、再構成が行われたのだ。

 つまり、オウブの船は移動可能な物質構成機であり、それを物質転送機と呼称したにすぎない。


      *


「あ、苺だ」


 散歩の足を伸ばした春治は、初めて入るデパートの食料品街にいた。


「どうしてこんなところに……」


 初めはよく似た別の果実かと思った。しかし春治の目の前にあるのは、まぎれもなく苺だった。四角いクリアケースに十二個が整列している。手にとって間近で眺めると、一粒一粒微妙に形が違うことがわかった。これは地球から持って来たデータを元に再構成したものではないという証である。なぜなら、地球から持って来た苺のデータは一つ分だけなので、何度再構成しても、まったく同じ形のものができ上がるからだ。種は持って来てないはずだから、おそらくこの苺は組織培養されたものだろう。もしかしたらすでに植物工場のようなところで、大規模栽培がおこなわれているのかもしれない。どうやら苺の味は、オウブ人たちのお気に召したようだ。


 地球からオウブに持ち込んだデータの大半が食品関係だった。野菜や果物はもとより、穀類、きのこ、肉、魚介、そして香辛料、調味料、飲料、乳製品、発酵食品、乾物、菓子、さらにはカレー、ボルシチ、ケバブ、フェイジョアーダ、人参シリシリなどの風土料理に至るまで、その数は数万点に及ぶ。

 しかしそれらはすべて単なる資料だと思っていた。まさか量産されて店頭に並ぶなんて、想像だにしなかった。


「シャルロット、喜ぶだろうなあ」


 子供の頃、施設の農場で苺を育てたことを思い出す。初夏の眩しい光の中、汗だくになっておこなった収穫作業。教官の目を盗み、畝の谷間に身をひそめてみんなで食べた。気づかないふりをしてくれた優しい教官。苺を頬張るシャルロットの、ハムスターのように膨らんだほっぺと嬉しそうな笑顔。甘酸っぱい味とともに、あのころの記憶が次々と蘇る。

 懐かしさに浸りながら、何箱買おうかと悩んだ。このあと開かれるルゥルの誕生会に持って行こうと春治は考えていた。

 しかし急遽思い直す。みんなの前で出すと、シャルロットへの純粋なサプライズではなくなってしまうような気がしたのだ。


「また日を改めよう」


 どんなタイミングで出せば喜んでくれるだろう──そんなことを考えていたら、背後に人の気配を感じた。振り返るとそこには、大きな胸があった。見上げると、オウブのおばさんが、春治の頭越しに苺を眺めている。もちろんオウブ人なので女性ではない。それでも後ろに立つオウブ人は、見るからにおばさん然としていた。

 おばさんが前のめりになり、春治の後頭部にやわらかい圧がかかる。春治が横にずれると、おばさんはパックを手に取り、物珍しそうに見入った。

 春治は、おばさんが苺を買ってくれないものかと期待した。需要がなければ生産は止まってしまう。そうなると苺が手に入りにくくなる。もちろんデータを元にいくらでも複製を作ることはできるけれど、じつのところ、そう簡単な話でもない。

複製を作るには、その物質を構成する元素を用意する必要がある。インクジェットプリンタのインクカートリッジ同様、数多くの元素カートリッジを取り揃え、なくなれば補充しなくてはならない。端的に言えば、金がかかるのだ。

 春治とシャルロットはオウブ政府から支給されるお金で生活している。その額は決して多いとはいえない。というわけで、二人が複製するのは、もっぱら栄養補助食品に限られていた。


「あ、あの、それ、僕の星の果物なんです」


 春治は勇気を奮って話しかけた。話しかけられたおばさんは、一瞬きょとんとした表情で春治を見下ろしたものの、すぐに、小さい子供に接するように相好を崩した。


「あらあ~、そ~お」


「苺って言うんです。甘くて、少し酸味があって、とっても美味しいですよ」


「思い出した! あなた、どこかで見たことあると思ったら、そうだ、テレビで見たんだ」


 春治とシャルロットが再構成される様子は、オウブ全土に生中継されていた。春治はテレビを見る習慣がないので、録画されたものすら見ていない。


「へええ~、そお、あのときの子なの~」


 おばさんは愛おしそうに、春治の足先から頭のてっぺんまでを舐めるように眺める。


「は、はい、そうなんです」

 春治は恥ずかしさで挫けそうになりながらも、なんとか売り込みを続ける。

「よかったら、食べてみてください」


 これ以上何を言えばいいかわからず、ただ愛想良く微笑み続ける。


「そうねえ…… じゃあ…… 十パック買っちゃおっかな」


「えっ! そんなにたくさん」


「ご近所にも教えてあげないとね」


「ありがとうございます!」


 おばさんが左肘に掛けた手提げ袋の口を広げると、春治は苺を入れるのを手伝った。


「じゃあね~」


 おばさんはにこにこしながら手のひらをにぎにぎした。春治は軽く会釈する。去り際におばさんがうっとりした声で、「はああ、かわいい…… 食べちゃいたい」ともらすのが耳に届き、ぶるるっ! と身震いした。


     *


「えー、それでは、ルゥルの七度目の誕生日を祝して──」


「カンパーイ!」


 ミゥミュの音頭で会が始まった。第一学生寮一階にある第六談話室には、いつもの五人の他に、二人のオウブ人と、二人のパバロボブー星人、それから四人のピョコロ星人がいた。美味しそうな御馳走がところ狭しとならぶ円卓を囲み、毛足の長い絨毯の上で皆、靴を脱いで車座になっている。


「今日はピョコロたちがいるから、ピクミックはなしだ」

 濃緑色の長髪をしたオウブ人が皆に注意を促した。

 その横顔を見て春治は、クレオパトラの肖像画にそっくりだと思った。


「ああ」「わかってる」と、口々に何人かが了承する。


「みんな済まないね」

 ピョコロ星人の一人が言った。キーキーと古い木の床が軋むような声で。


「ピョコロはピクミックの匂いを嗅いだだけで、錯乱状態になるんだ」

 ラゥラが春治に耳打ちする。

「それで結構大きな事件が何件か起こってる」


 ピクミックなしと聞いて、春治は胸を撫でおろす。


「おや、その左手はどうしたんですか?」

 シャルロットの複数の指に治療用テープが巻かれているのをミゥミュが見つけ、心配そうに尋ねた。


「大したことないんです。地球の卓上コンピュータを操作していたんですけど、長時間だったものだから、腱鞘炎になっちゃって」

 シャルロットは箸と小皿を手にして、惣菜を見繕いながら答える。

「私のは、キーを一つ一つ叩くタイプの、地球でも、もうほとんど使われてない骨董品級に古いコンピュータなんです。子供の頃、母親から譲り受けて、それに慣れちゃったものだから、そのままいまでも使ってるんです。はい、どうぞ」


「ありがとう」

 惣菜の盛り合わさった小皿を、ミゥミュは受け取る。


 ルゥルが隣の春治に尋ねる。

「シャルロットはコンピュータを使って何をやってるんだい?」


「地球人向けのオウブ語辞書を編纂してるんです」


「へええ、そりゃ大変だ」


「ねえ、シャルロット。そんなに急がなくてもいいんじゃない? 時間はたっぷりあるんだし」


「時間がたっぷりあるとは思わないけど…… うん、大丈夫、焦らずやるわ。それよりルゥルさん、七歳になったんですか?」

 不思議そうに尋ねながら、シャルロットは惣菜を盛った小皿をルゥルに手渡す。


「ありがとう。そうなんだ、私もとうとう大人の仲間入りってわけさ」


 オウブでは七歳をもって成人とみなされる。


「ちなみに、俺とミゥミュはまだ当分のあいだ六歳だ」

 ラゥラが言った。


「お二人はいま、お幾つですか?」

 クレオパトラ似のオウブ人が、地球人に尋ねた。


「私とハルジくんは十六歳です」


「なに!」

 地球人を除く全員が、激しく反応した。


「いえ、あの、地球とオウブでは、一年の長さが違うから……」

 春治が補足する。

「オウブの一年は、地球の二年と三十三日に相当するんです。ルゥルは地球時間だと、十四歳半になります」


「う~ん…… だとしても、俺たちより年上だな」

 ラゥラが言った。


「二人とも、とても若く見えるわ。地球はポルマの技術が進んでるのかしら」


 小っちゃな女の子が喋ってるのかと思ったら、春治の向かいに座るパバロボブー星人だった。パバロボブー星人は、背丈こそ春治たちと変わらないが、筋肉質のがっしりとした体格をしており、胸の前で組む腕は丸太のように太い。毛のない熊のような風貌に似合わず、声がとてもかわいらしい。


「その若さで、もうポルマを飲んでるのかい?」

 身長百八十センチほどの小柄なオウブ人が訊いた。淡い紫色の長髪を持ち、クールビューティーという形容がしっくりくる切れ長の目をしている。


「あの、ポルマって何ですか?」

 春治が質問を返した。


「ポルマっていうのは、アンチエイジング全般について指す言葉だよ。老化抑制剤もポルマ、若返りの手術もポルマだ」


「オウブでは七歳になるまでポルマは禁じられている。というわけで、私は今日から解禁だ」

 ルゥルは懐から茶色い小瓶を取り出し、一錠抓んで口に放り込んだ。

「七歳になったら支給される。さっき医局で貰ってきた」


「二人の飲んでるポルマは、オウブ製かい?」

 ピョコロ星人がキーキー声で訊いた。


「いえ、私たちは何も飲んでません」

 シャルロットが答えた。


「手術は?」

 クレオパトラ似のオウブ人が訊いた。


「ま、まさか…… してません」


「ほぉう」

 場が色めき立つ。


「ポルマなしでその若さか」

 クールビューティーの小柄なオウブ人が言った。


「一般的に、知能の高い生物ほど、その成長は遅い」

 ルゥルが言った。


「確かに」

 クレオパトラ似が同意する。


「地球人はとても優秀なんですよ」

 ミゥミュがにこやかに言った。


「そ、そんな、そんな」

 シャルロットは胸の前でちぎれそうなほどに手を振る。


「二人はこの学園で一番頭が良い」

 ルゥルが真顔で断言した。


「そんな、まさか」

 春治は狼狽えながら否定した。


「いや、嘘じゃない。玉石混交の学生たちの中にあって、二人の存在は一際輝いている。まだ知識は乏しいけれど、計算能力、発想力、応用力、その他どれをとってもオウブ人は誰一人として敵わない。オウブにやって来る異性人たちの半分は、学校の授業にすらついてこれないが、二人は違う。二人こそ、オウブが探し求めていた叡智だ。オウブの閉塞状況を打ち破れるのは、この二人をおいて他にいない。私はそう信じる」


 閉塞状況? 

 熱く語るルゥルの隣で、春治は地球にやってきたオウブ人のことを思い出す。


 初夏のスイス。春治とシャルロットのオウブ行きが決まった後、二人がクヌクと言葉を交わす機会はなかなか訪れなかった。二人はいったん帰国して、十日ほどを家族と過ごすと、ふたたびジュネーブに戻って来た。二人がいよいよデジタル変換されるという日になって、ようやくクヌクが二人の前に姿を現した。


「オウブを救ってほしい」

 クヌクは控え室に入って来るなり、緊張して待つ二人にそう告げた。そして返事も待たずに出て行った。言葉の意味を確かめる暇もなかった。今もってその真意はわからない。


「そんな話聞いてないぞ!」


 イズマイロフが叫んだあの言葉と、何か繋がりがあるのだろうか。

 オウブの閉塞状況というのが、具体的にどういうものか、春治は知らない。しかし、すでにいくつかの気になる点はあった。これほどの科学力を誇りながらも、この星がそれほど豊かではないこと。そして、人々がそれほど幸せそうには見えないないこと……

 一見、平和そうに見えるこの星が、じつはもがき苦しんでいるということを、春治は薄っすら悟りつつあった。

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