第7話 ミゥミュの部屋

『狭いところですけど』と、電話でミゥミュが言った言葉は、謙遜でも誇張でもなかった。

 まず、建物に足を踏み入れた所からして狭かった。そこは玄関ホールなどと呼べるような場所ではなく、人がやっとすれ違えるだけの通路でしかない。幅六十センチ、奥行十メートルの通路の左右は、壁ではなく、床から天井まで靴棚。そして、正面に見えるのも靴棚だった。


「す、すごい光景ね……」


「僕の身長じゃ、ジャンプしたって、上まで届かないや」


 天井までの高さは約三メートル。びっしりと並ぶ靴の間を、春治とシャルロットは圧倒されながら進む。ここが地球であれば、噎せ返るような匂いを我慢しなければならないところだが、オウブの高度な消臭技術に二人は救われた。


「土足のままでいいのかしら」


 通路の奥まで来ると、わずかな段差があった。二人の家は土足だが、オウブには靴を脱いで上がる家も多い。


「いいんじゃないかな。ほら」

 春治の視線の先には、靴を履いたまま歩く、見知らぬオウブ人がいた。


 二人は丁字の交差点にいて、左右に廊下が延びている。その長さは目測で両翼六十メートルほどある。薄暗いことも手伝って、端がどうなっているのかはよくわからない。

 一階部分は共同スペースらしい。右手のすぐ横には折り返し階段があって、その隣は『第一談話室』『第二談話室』『第三談話室』……と、目の届く限り談話室が続いている。左に目を向けると、こちらにも横に階段があり、その隣は食堂のようだ。

 そして二人の正面、部屋が並ぶ側の対面には、高さ三メートル、横幅六十メートルの、おそろしく長大な靴棚があった。


「ここまでくると、冗談としか思えないわね」

 シャルロットは、目を白黒させている。


「僕は、冗談にしても、度が過ぎると思うな」


 木の床に軋みはなく、一歩ごとに硬い靴音を響かせる。階段も同様で、経年劣化を微塵も感じさせない。にもかかわらず黒光りする手摺は、長い歴史を感じさせる。


「電灯がある」

 踊り場の壁に設置されている照明器具を、春治が指差す。


 オウブの照明は、壁や天井が直接光るものばかりなので、ことさら目を惹いた。ツリガネソウに似た形の照明器具は、蝋燭の炎を模しているのか、明かりがわずかに揺らいでいる。地球人の二人には、レトロな趣をかもし出すための演出に思える。


「やあ、いらっしゃい」

 L字型の階段を上ったところに、ミゥミュが待っていた。


 上はいつもの制服を着ているけれど、下は膝丈の白いフレアスカートを穿いている。春治はミゥミュのスカート姿を初めて見た。


「お招き、ありがとうございます」

 シャルロットが言った。


「ハルジもよく来たてくれましたね。さあ、こちらへ」


 二人はミゥミュの後に続いた。

 二階の天井は、一階ほど高くなかった。春治が住んでいた京都の古い下宿と大差ない。外に面した側には、縦長の窓がたくさんあって、廊下は日の光で満たされている。窓の下には、無数の蛇口が取り付けられた横長の洗面台があり、オウブ人学生がひとり、顔を洗っている。

 そして廊下を挟んだ反対側は、ドア、ドア、ドア、ドア、ドア……、六十メートルに渡って、ずらりとドアが並んでいる。ドアとドアの間隔は二メートルもなさそうだ。


「素敵なお召し物ですね」


 ミゥミュに褒められたシャルロットが、照れながらごにょごにょと、言葉にならない言葉を漏らす。今日のシャルロットは、白を基調にした小花柄のワンピースという、春の装いだった。膝上でチュールレースの裾がひらひらしていて、春治は直視しにくい。


 二人がオウブに着いた頃は、まだ肌寒い気候だったのに、ここ数日、ぽかぽか陽気が続いている。それでも昨日までのシャルロットは、お決まりの白いブラウスに、落ち着いた色の膝丈スカートという、どちらかというとお堅い格好をしていた。もしかすると、今日はミゥミュのためにオシャレをしてきたのだろうか──そんなふうに春治は勘繰ってしまう。


「ここです」

 ミゥミュが足を止めた。


 中央やや上に記された三桁の数字以外に、両隣のドアとの違いはない。ラウラはドアを押し開けると、横にずれて、二人に入るよう促した。


「ふふ、狭い所でしょう?」


 二人は返事に窮した。

 事実、お世辞を言うのも憚られるほど狭い。横幅は二メートル足らず、奥行きは十メートルあるかないか、たぶんないだろう。この部屋を見て、「広いですね」と言っても嫌味ととらないのは、ピョコロ星人くらいのものだ。


「長い部屋ですね」

 ややあって、春治が感想を述べた。それを聞いてシャルロットは、少し俯いた。


 ドアを入った所と、一番奥のガラス扉脇に、作り付けのクローゼットがあり、左の壁に押し付けるようにしてベッドが二台横たわる。そして二台のベッドに挟まれたわずかな空間に、小さなテーブルが据え置かれている。家具と呼べるものは他に何もない。


「二人部屋なんですか?」

 シャルロットが目を丸くしながら訊くと、ミゥミュはにっこり頷いた。


「手前が僕のエリアです」


 ベッド側、天井から四十センチ下がったあたりの壁から板がせり出し、棚になっている。入り口から奥まで部屋を貫くその長い棚には、日用雑貨、食料品、謎の器具などがところ狭しと並ぶ。装飾品、記念品の類は一切見当たらない。


「ここに腰掛けてください」

 部屋のど真ん中にあたるテーブルの前で、ミゥミュが言った。


 ベッドの端に座れという意味らしい。

 ミゥミュは両腕を伸ばして棚から調理機を下ろし、テーブルに置いた。調理機は二人の家にあるものよりも一回り小さく、型も古いようだ。


「ラゥラめ、また水を空にして……」

 調理機のメモリを確認して、ミゥミュが言った。


「え? ラゥラ? ルームメイトって……」


「おや、ラゥラをご存知なんですか?」

 ミゥミュは、おどけた調子で春治に言った。

「あまり感心しませんね。あれは粗忽者ですから、かかわって得することなんか、何一つありませんよ」

 ウィンクをひとつ投げると、調理機を手にしたまま部屋から出て行った。


「どんな景色かしら」


 ルームメイトが知り合いとわかって、遠慮のなくなったシャルロットが、部屋の奥へと進む。観音開きのガラス扉を開き、振り返って春治に手招きすると、一足先に外へ出た。そこはバルコニーというよりも、ただの外廊下だった。隣室との仕切りはない。ガラス扉のすぐ脇には、背凭れのない簡素な丸椅子が一脚放置してある。


 見渡してみて、この建物がコの字型をしていることが知れた。何人かの学生が外廊下に出て、椅子に腰掛けて談笑したり、立ったまま柵の手摺に頬杖をつき、ぼんやりと風景を眺めている。


「大きいんだ、この寮」

 言いながら春治は、シャルロットの横に立った。


 中庭は一面、山吹色の芝生で、中心に木が一本立っている。レモンイエローの葉っぱが生い茂るとても大きな木で、ミゥミュたち三人と出会った丘の上の木よりも、背丈は低いが、傘はひと回り広い。傘の下では白い制服を着たたくさんの学生が、昼寝をしたり、カードゲームを楽しんだりしている。大半はスカートを穿いており、うち何人かは、かなりきわどいミニだった。


 山吹色の絨毯は中庭から溢れてさらに広がり、等間隔で並ぶ、ひょろりと背の高い十本の木立ちによって堰き止められている。木立ちの向こうには川が流れ、その先は山が幾重にも連なっている。二人にとっては懐かしい緑色の山だった。


「なかなかいい眺めでしょ?」

 十メートル離れたところで、調理機を抱えたミゥミュが、後ろ手にドアを閉める。

「さあ、お茶にしましょう」


 二人は部屋に戻って、春治はラゥラの、シャルロットはミゥミュのベッドに腰を下ろし、テーブルを挟んで向き合うかっこうになった。ミゥミュはベッドに両膝をつき、棚の菓子袋を手に取って、シャルロットの隣に座った。


「すばらしい眺めですね。お庭も素敵」

 シャルロットが横を向いて言った。


「あそこで何もせずに寝そべるのは、とても気持ちいいですよ。最高の贅沢です。」


「チリリリン」と鈴の音が鳴り、ミゥミュが調理機の前扉を開ける。途端に大量の白い湯気が溢れ出て、三人はのけぞった。


「これはこれは。ラゥラめ、またおかしな調整したな」


 ポットの蓋はかちゃかちゃと暴れ、口からは手がつけられないほど勢いよく湯気が噴き出している。


「ラゥラは出かけてるんですか?」


「下にいるんじゃないかな。あれは寂しがりやだから、常に賑やかじゃないと落ち着かないみたいです」


 ミゥミュは湯気の噴き出しに気をつけながらポットを取り出し、立ち上がって調理機を棚に戻した。代わりに、額縁でも入っていそうな平たい箱を手にして、テーブルに置いた。


「まだ食べたことないと思うんですけど」と言いながら、箱をシャルロットに寄せる。


「あら、何ですか?」


「ふふ、開けてみて」


 シャルロットは蓋を持ち上げた。中にはゴルフボール大のポジュが二十個並んでいた。


「わあ、綺麗」


 赤、黄、緑、青、紫、白、黒…… 一つとして同じ色のものはない。


「見て」

 シャルロットは彩り豊かな箱に両手を添えて、満面の笑みで春治に言った。春治は嬉しそうに、うんうんと頷く。


「有名なお店のなんですよ。さっき買ってきたばかりです」


「わざわざありがとうございます」


 ミゥミュは湯気の収まってきたポットを手にして、シャルロットのカップから順に注いだ。


「さあ、食べてみてください」


「いただきます」

 シャルロットはクリーム色のポジュを抓んで、丸ごと口に押し込んだ。

「んん、おいひい」


「あははは」

 口いっぱいにポジュを頬張るシャルロットを見て、春治とミゥミュは笑った。

ミゥミュは袋の封を切り、オフホワイトの焼き菓子を春治の前の平皿に移す。


「ルゥルもこの寮ですよね?」

 春治は焼き菓子を一枚抓んだ。


「ええ。ルゥルは一人部屋なんです。あとで行ってみましょう」


「一人部屋もあるんですね」

 春治は焼き菓子を齧ってみる。春治の好きなナッツ味だった。


「身長によって、一人部屋か二人部屋か決まります。二人部屋のベッドはちょっと短いんです。その年によって多少変動はありますが、概ね四百オーブルあたりが基準になります。ルゥルの身長は四百六オーブルですから、否応なしに一人部屋なんです。ちなみに僕は三百八十三オーブル。ラゥラは三百九十八オーブルです」


 一オーブルは〇・五二センチなので、ミゥミュの身長は一メートル九十九センチ、ラゥラは二メートル七センチ、ルゥルは二メートル十一センチということになる。


「そして、高い者から順に、一階の部屋に入居できます」


「低い階の方が人気なんですか?」

 シャルロットが訊いた。


「そりゃあそうですよ。階段の上り下りを好むオウブ人はいません」


 春治は地球にやってきた二メートル八十センチのオウブ人を思い出す。かつてこの寮に下宿していたんだろうか? だとしたら間違いなく一階だ。


 シャルロットも同じことを考えていたらしい。

「地球に来たクヌクというオウブ人は、五百四十オーブルほどありました。オウブでは普通なのかと思ってたんですけど、こっちでもやっぱり高いんですね」


「北半球の緯度の高いところに、シピヌーヌという少数民族が暮らしています。シピヌーヌたちはとても背が高い。今でこそ混血が進んでそれほどでもないようですが、昔は六百オーブルを越す人も珍しくなかったそうです。そのクヌクという人は、おそらく北方の血が濃いんじゃないでしょうか」


 三人は、ゆったりのんびり時間をかけてお茶を飲み、おしゃべりを楽しんだ。


 明かりの不足分を補うためにぼんやり光っていた天井が、俄かに輝きを増していく。春治とシャルロットはつられて見上げる。


「四十八校舎の影がかかったんですよ」


 学園で最も高い二千メートルの校舎は、ここから一キロしか離れていない。寮の真北に位置するので、今がちょうど太陽の正中時刻ということになる。


「そろそろルゥルの部屋へ行ってみますか?」


 ミゥミュの問いかけに、春治とシャルロットは頷く。


「ルゥル、いますか?」

 ミゥミュが虚空に呼びかけた。


「……ああ」

 ルゥルの声がした。眠っていたのか、ぼんやりした声だ。


「今から行きます」


「……ああ」


 素っ気ない返事のあと、「では行きましょう」と言ってミゥミュが立ち上がり、二人も立ち上がった。


「ちょっと待って下さいね」


 ミゥミュはクローゼットの扉を開けて、着ていた白の学生服をハンガーにかけた。代わりに微妙にデザインの異なる学生服に袖を通す。丈が短く、生地も薄いようだ。春物を脱いで夏物を着たのかもしれない。


「今日は暖かいですから」


 制服は合計五着あるようだ。カジュアルな服やラフな服はあまり見られない。スカートは三着かかっていて、うち一着はかなりのミニだった。

 そんなことよりも、春治の関心はまったく別のところにあった。春治はクローゼットの床にきちんと揃えて置かれる四足の靴に注目する。一階にあれだけ夥しい数の靴がありながら、自室にまで靴があるなんて、どうにも解せない。


「お待たせしました」


 ミゥミュはクローゼットの扉を閉じ、部屋のドアを開けた。


「ずいぶん古い建物ですね」

 廊下に出たところで、シャルロットが言った。


「築六百三十年、だったかな」


「六百三十年ってことは、地球だと千三百年くらいか。法隆寺と同じだ」


「ホーリュージ?」


「地球に現存する最古の木造建築です。僕の出身地からそれほど遠くないところにあります」


 三人は、さきほど上ってきた階段を素通りし、トイレを挟んで反対側の階段も素通り、その先の三階へ至る真っ直ぐな階段を上る。外に面した側は、ほぼ全面がガラス張りになっていて、四十八番校舎に目を向けると、天辺近くから太陽が顔を覗かせるところだった。

 三階の造りは、階段の位置が違うだけで、二階とほとんどかわらない。網代風の天井も、角に大きなトイレがあるのも同じ。

 角を曲がった先は、両側にドアがびっしりと並ぶ、細くて薄暗い廊下だった。遥か五十メートル彼方に、ぼんやりと自然光が見える。三人はミゥミュを先頭に、一列になって進む。三人の頭上にだけ明かりが灯り、明かりは三人から離れない。


「潜水艦の中みたいだわ」


「京都の古い町屋には、いまでもこんな雰囲気の家がけっこうあるよ。規模は全然違うけど」


 この建物を見る限り、銀河系で最も繁栄している星とは到底思えない。

 星賓として迎えられている二人に支給された家も、それほど広いものではない。春治が住んでいた京都市近郊であれば、家賃八万円といったところか。不満を抱いているわけではないが、賓客をもてなそうという誠意をあまり感じないのも事実だ。その点について当初春治は、自分たちはあまり歓迎されていないのではないか? という疑念を抱いた。

 一般的なオウブ人の住まいがどういったものか詳しくないが、春治の住まいの周辺はこじんまりとした家ばかりで、豪邸と呼べるような個人住宅には、まだお目にかかったことがない。これは質実剛健を良しとするオウブ人の気質なのか、土地が狭いという実際問題なのか、それともただ貧しいだけなのか……。


「ホーリュージもこんな感じですか?」


「いえ。法隆寺は宗教施設なんです。人は住んでいません。今も多くの参拝者が訪れますが、そのほとんどは信仰心の薄いただの観光客です」


 中程を過ぎたあたりで、ミゥミュがきょろきょろと左右を確認し始める。

「このあたりだと思ったんですけどねえ……、私も一回しか来たことがないから……」


 部屋番号がわからずに、一体何を頼りに探しているのだろう──春治は心配になる。


 カチャリ

 背後で扉の開く音がした。


「ここだ」

 ルゥルの声がした。

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