第5話 エアロディナス

 学園生活も二十日目を迎え、生活のリズムもすっかり体に馴染んだ。今節はまだ基礎授業ばかりなので、内容についていけないなんてこともなく、むしろ退屈に感じることさえある。


 授業を二つ受けたあと、春治とシャルロットは校内で最も高い五百四十階建て校舎の屋上庭園で、ルゥル、ラゥラ、ミゥミュの三人とお茶を飲んでいた。

 上空には雲ひとつない。にもかかわらず、日差しはそれほど強くない。フィルターを通したような柔らかい日差しだった。本当に見えないフィルターが、屋根のように頭上を覆っているのかもしれない。


 オウブは昨日も今日もいい天気。そして明日も明後日も、いい天気が約束されている。オウブの気象は完全にコントロールされているからだ。

 今の季節、ここオウラリナーレで雨が降るのは、夜中に限られている。そのため二人はオウブに来てからまだ傘を差したことがない。


「昨日テレビで、地球の特集をやってましたよ」

 ミゥミュが隣のシャルロットに微笑みかけた。


 五人は円いテーブルを囲んでいる。春治はルゥルとラゥラに挟まれ、アテモヤに似た果物のシェイクを極太ストローで吸っている。


「それなら私も見た」

 水色の長髪を陽光できらきらと輝かせながら、ルゥルが言う。

「ずいぶん人口が多いんだな」


「どれくらいいるんだ?」

 人差し指に赤い髪の毛先をくるくると巻きつけながら、ラゥラが隣の春治に尋ねた。


「百億を超えています」


「おおっ! そいつは凄い。大きな星なのか?」


「いえ、オウブとそれほど変わりません」

 長い栗色の髪をポニーテールにしたミゥミュが答える。

「むしろオウブの方がわずかに大きい」


「ただ陸地面積は地球の方が広くて、オウブの十倍以上あるんです」

 春治が補足した。


「オウブの人口は一億二千万ですよね。ずいぶん少なくないですか?」

 ミニバケツに入った冷たいポジュを大きなスプーンですくいながら、シャルロットが隣に座るミゥミュに尋ねた。


「オウブの人口のピークは四百年前で、三億です。そこから徐々に数が減っていきました」

 ミゥミュの前にもミニバケツが鎮座しているが、こちらのポジュからは薄っすらと湯気が昇っている。


「ずっと減り続けてるんですか? どうしてまた」

 春治が尋ねた。


「生活習慣や環境汚染の影響で、身体的に生殖能力が著しく低下したのも一因ですが、それはあくまで一時的なもので、今は回復しています。それよりもやはり、精神的なものが大きいでしょう。子孫を残そうという意欲が減衰したんです」


「娯楽があふれかえると、子作りなんてどうでもよくなるのさ」

 ラゥラが言った。


「わかります。地球でも経済力があって娯楽文化が栄えてる地域は出生率が低く、人口が減っていってるんです。僕の出身地がそうでした」


 シャルロットはスプーンを置くと、真顔になって語り始める。

「それでも今、地球の人口は急速に増えてます。増えてるのは主に、まだ豊かになってない地域なんですけど、地球にはそういうところが多いんです。人口爆発といって、今深刻な問題になってます」


「ふうん、人口爆発か。オウブの歴史にはそういうのはないな」

 ルゥルが言った。


「オウブは地域格差がほとんどなく、だいたい横一線で発展しましたからね。それが良かったのかもしれません」

 ミゥミュが言った。


「早めに手を打った方がいいんじゃないのか?」

 ラゥラが言った。


「本当にそうなんですけど、地球ではまだ地域単位でものを考えるのが主流で、星全体の将来なんかは二の次なんです」

 春治が嘆いた。


「その点に関しては、オウブの経験はあまり役に立たないかもしれないな。残念ながら」

 ルゥルはそう言うと、俄かに顔をしかめた。離れたところに何かを見つけたようだ。


「ちっ!」

 ルゥルの視線をたどったラゥラが舌打ちした。

「嫌なヤツらと出くわしたな」


 他の三人もそちらに目を向けた。

 春治たちがそこに見たのは、身長二メートルを超える若い女三人の闊歩する姿だった。ひと目で高飛車だとわかる挑戦的な笑みを浮かべた女を先頭に、こちらへやって来る。後ろの二人は並んで歩き、値踏みするかのように周囲を睨め回している。三人とも黒の革ジャンにロングパンツという、女性らしさを隠したワイルドな格好をしている。


「よりにもよって、そこかよ」

 三人が通路を挟んだ隣の席に座るのを見て、ラゥラが頭を抱えた。


「誰なんですか?」

 春治が隣のルゥルに尋ねた。


「エアロディナス星人だ」

 ルゥルは声をひそめて言った。


「おいルゥル!」

 さっき先頭を歩いていた瑠璃色の髪の女が吼えた。

「いま、我等のことを噂しておっただろ!」


 ルゥルは歯の痛みに耐えるように、右掌で顔の半分を覆った。


「ヴェルギア姉さん、間違いないわ!」

「ああ、あたいもしかとこの耳で!」

 ブロンドとシルバーの髪の二人が、ルゥルを睨みつけた。二人は双子のようにそっくりな顔をしている。


「まったく……」

 ヴェルギアが大儀そうに立ち上がる。

「これだからオカマ人間は……」


「オカマって何です?」

 ミゥミュがラゥラに耳打ちした。


「さあな」


 ヴェルギアは五人が座るテーブルのそばまでくると、シャルロットとミゥミュの間に立ち、腰に手を当ててふんぞり返った。妹二人もすぐ後ろに並んで、仁王立ちになった。


「レディの陰口をたたくなど、もってのほか! 貴様ら、礼儀というものを知らんのか!」


 ヴェルギアの声は、クリケット場ほどの広さの庭園に隈なく響き渡った。しかし誰一人としてこちらを見ようとしない。シャルロットも怖くて振り向けないでいる。


「我等女は、高貴な存在なのじゃ!」

「オカマたちが噂の種にしてよいわけなかろう!」

「崇め奉れ!」

「文化レベルの低いヤツらめ!」

 三姉妹は代わる代わる罵る。

「そもそも文明とは、科学力だけを指すのではないぞ!」

「だいたいその科学力にしたって、超光速航法をおいて他に何もないではないか!」

「どれもこれもエアロディナスが一万年も前に到達しておるものばかりじゃ!」


「またその話か」

 ラゥラがため息をつく。

「もう何度も聞いたよ」


「黙れ!」

「いま、姉上がしゃべっておろうが!」


 妹二人に叱責され、ラゥラは「やれやれ」と肩を竦めた。


「幾多のモノを捨て置き、遠路遥々やって来てみれば、なんじゃこの星は! こんな下等な星で、我等にいったい何を学べと言うのじゃ!」


「鎮静剤の調合法」

 ミゥミュが呟き、ラゥラが「ぷっ」と吹いた。


「猛獣用麻酔の方がいいんじゃないか?」

 ルゥルがしたり顔で言った。


「あははははは」

 ラゥラは堪らず声を出して笑った。お腹を抱え、地団駄を踏むように足をバタつかせる。


 春治は苦笑いしたが、シャルロットの顔はますます青ざめた。


 三姉妹は怒りにわなわなと震えている。ヴェルギアが目をカッと見開き、顎が外れんばかりに大口を開く。


「無礼者おおお!」


 二千メートル下を歩く学生たちが、こちらを見上げたかもしれない。

 ヴェルギアの咆哮は、それほど凄まじい音量だった。

 一番近くにいたシャルロットとミゥミュは、目を回している。

 ヴェルギアはなおも雷を落としに落とし、妹二人が雷同した。

 五人はくらくらする頭で轟く雷鳴を遠くに聞いた。


 ところが、果てしなく続くと思われたヴェルギアの怒声が、やおら小さくなった。同時に妹の一人が、あることに気づく。


「ちょいと、スペーヌ」


「ん? どうしたんだい、ピンティ」


「あの子……」

 ピンティは、くいと顎で春治を示す。

「ありゃあ、男じゃないかい?」


「何だって? そんな、まさか」


「いや、きっとそうさ」


「どう思う? ヴェルギア姉さん」

 スペーヌは、すっかり静かになった姉に伺いを立てる。


「はぁ…… はぁ……」

 ヴェルギアは春治を凝視しながら息を荒げていた。どうも絶叫による疲労が原因ではなさそうだ。


「ちょいと、姉さん……」

「ヴェルギア姉さん?」

「姉さんてばっ!」

 スペーヌとピンティは、興奮するヴェルギアの肩を掴み、揺すった。

「だめだ、発情してる」

「ってことは、やっぱり……」

 妹二人は顔を見合わせる。 

「私たちも危ない!」

「急げ!」

 妹二人は、立っているのがやっとの姉を支えながら、どうにかこうにかその場を離れて行った。


「何だいありゃ」

 ラゥラが驚きと呆れを混ぜて言った。


「よくわからんが、どうやらハルジに助けられたようだな」

 ルゥルは隣に座る春治の様子を窺う。


 春治はまだ意識が朦朧としていて、何がどうなったのかなんて理解できる状態ではなかった。



「あの三姉妹に何を言われても、絶対に反論してはいけない」

 下りエレベーターの中で、ルゥルが地球人二人に忠告した。


 その後をラゥラが引き継ぐ。

「こちらが何か言い返しても、またすぐに返ってくる。返しても返しても、際限なく返ってくる。しかも十倍、百倍になって」


「極めて感情的に」

 ミゥミュも加わる。

「論理的な議論には一切付き合いません。理屈抜きに言い張るんです。大音量で」


「あのバイタリティは凄い。オウブ人にはないね」

 感心してるのか呆れてるのかわからない口調で、ルゥルが言った。


 ほとんど自由落下状態だったエレベーターが、速度を落としながら斜め移動に変わり、横スライドになったところで止まった。透明になった壁をすり抜けて外に出ると、正面に立方体の真っ白い箱があった。


 第三図書館の正面玄関は、身の丈十メートルの人間でも悠々出入りできるほどに間口が広い。縦横百メートル足らずと学内ではそれほど大きくない建物だが、とてつもなく頑丈そうで、どれにもまして巨大建造物の印象を受ける。

 五人は末広がりの石段を上り、直径三メートルはある十本の石柱の間を歩く。


「立派ですねえ」

 ミゥミュが見上げながら言った。


「私は初めて入る」

 ルゥルが言った。


「同じく」

 ラゥラも言い添えた。

 

 図書館といっても、紙の本は一冊も見当たらない。司書もおらず、おまけに利用者もまばらだった。

 図書館にある資料のほとんどは、個人所有の携帯端末で閲覧できる。したがって、わざわざ足を運ぶ必要はない。


「まったく、あんなヤツらのことが知りたいなんて……」

 ラゥラが呆れながら言った。


 図書館に来ることを提案したのは春治だった。エアロディナスがオウブよりも発達した科学をもっていると聞いて、詳しく知りたいと言い出したのだ。

 しかし手持ちの携帯端末からは簡単な情報しか得られなかった。個人情報を含む資料にはプロテクトがかかっていて、厳しい監視の下でしか閲覧できないことになっている。その監視された場所こそが図書館なのだ。


 五人は視聴覚ブースに適当なコンパートメントを見つけ、横並びで座ると、さっそくエアロディナスに関する資料を表示させた。五人の前に広がる画面の文字をラゥラが読み上げる。


「なになに? ボルンデラ・ヴェルギア・ディーテ・ファーレムプシリス。これがやつのフルネームか。七十七歳、女、身長四百二オーブル、体重八十八カンザ、バスト、ウエスト、ヒップ、足のサイズって、こんなもん、どーでもいいわ!」


「ピピーッ」

 警報が鳴り響き、エアロディナスの資料が『騒音厳重注意 静粛に』という真っ赤な文字に切り替わった。


「……」

 ラゥラは不貞腐れる。

「どうすればいいんだ?」


「代わろう」


 ラゥラが座っていた真ん中の席にルゥルが移り、ラゥラは後ろに立った。画面が元の資料に戻る。


「エアロディナスからの留学生は、あの三姉妹で二組目のようだな。六年前に来た二人は、今オウベンにいるのか。うむ、オウベンには近づかないでおこう」


「年表を見せてください」

 春治は画面に手をかざした。春治の手の動きにあわせて、画面がスクロールする。


「ふむ。エアロディナスの一万年は、オウブの三千四百年に相当するのか。ん?」

 ルゥルはある点に括目する。

「男は一万年前に絶滅した、とあるぞ」


「男の絶滅以降、世界大戦は一度もないが、各地で紛争が絶えないようだな」

 ラゥラが言った。


「レポートの欄を見てください」

 ミゥミュが画面を指差す。

「経済力、科学技術力はこの一万年、まったく進展がみられない。むしろ衰退している、とあります」


「エアロディナスに行ったオウブ人が記したものだな」

 ルゥルが言った。

「占い文化が発展。六十六の国に分かれていて、国家元首の大半が占い師。政治判断に占いが用いられることもしばしば、か」


 画面のいたる所で様々な動画が再生されている。インタビュー、占いの様子、紛争の現場、羊水を湛えた人工子宮に浮かぶ胎児、海中、星の全景……


「あれを見て」


 シャルロットが指し示した小窓が拡大表示される。映像はどこかの街の風景だった。倒壊したビルに道路は寸断され、到るところ瓦礫が散乱ている。

 春治は指をくるりと回してカメラをパーンしてみた。しかし右も左も後ろも、同じような状況だった。見渡すかぎり瓦礫の山で、足の踏み場もない。


「紛争地でしょうか」

 ミゥミュが言った。


 時折浮遊走行する車が見られるものの、道なき道を行き交う人たちのほとんどが徒歩だった。

 それでもオシャレには気を使っているようで、皆奇抜なデザインの服や、カラフルな衣装を身に纏っている。ただ、いずれも色褪せや綻びが目立ち、かなり着古していることが見て取れる。


「これを見る限り、あまり豊かな星には見えんな」

 ラゥラが言った。


 上空からの俯瞰映像に切り替わった。崩落した巨大な橋や、墜落したと思われる超大型飛行機が、残骸となってその姿を晒している。

 カメラはさらに上昇しながら前進し、遥か上空からの画になった。衝撃的な画だった。

 かつては摩天楼と呼ぶにふさわしかったであろう目測一万メートルほどの超高層建築が、根元からぽっきりと折れて、倒壊している。


「これは凄い。オウブで最も高いビルよりも、さらに高いかもしれん」

 ルゥルが言った。


 ふたたび地上からの撮影に切り替わった。ところどころに瓦礫が堆く積み上げられている。


『ここは紛争地帯ではない』

 突如ナレーションが入った。

『現在エアロディナスで最も栄えている都市だ。この星にはもはや、瓦礫を処理する手立ても、ビルを建て直す技術もない』


 撮影者が実況しているらしい。オウブ人特有の中性的で落ち着いた声だが、一般的なオウブ人に比べるとやや低い。

 春治は耳を疑う。聞き憶えのある声だったからだ。


 商店だろうか、カメラが人の多く出入りするビルに近づいて行く。間近に迫ったところで、鏡張りになった壁面に、撮影者の姿がわずかの時間映り込む。その容姿を見て、春治は驚いた。地球に来たオウブ人に似ているような気がしたのだ。

 シャルロットがどういう反応を示しているのか気になったが、間にルゥルがいるため表情を窺うことはできない。


『テメエ、何してやがる!』


 一人の女が撮影者に食って掛かった。五人、六人と詰め寄ったところで映像は途切れた。ふたたび資料が大映しになる。

 しばしの沈黙の後、ルゥルが口を開く。


「いかに栄華を極めようと、それは永遠のものではない。その証拠がこれだ」


「見ろ」

 ラゥラが画面を指差す。

「一万一千年前は二百億いた人口が、今では三千五百万しかいない」


「男が絶滅した原因については、何も記されてませんね」

 ミゥミュが言った。


「女の人に滅ぼされちゃったのかなぁ」


「えっ!」

 春治の呟きに反応して、シャルロットが思わず声を洩らした。


「ハルジはたしか男だったな」

 ラゥラが訊いた。


「はい。僕が男、シャルロットが女です」


「つまり、エアロディナスの三姉妹とシャルロットは、同類ってことか?」

 ルゥルが尋ねた。


「う~ん、同類っていうか……」


「あ、あの、同類ってわけじゃ……」

 シャルロットは弁解口調で否定した。


「女は凶暴なのか?」

 ラゥラが直截に訊いた。


「個人差がありますから、一概には言えません」


「そ、そうです。女が皆凶暴ってわけじゃありません」

 シャルロットは必死になって否定した。


「よくわからんが」

 ルゥルが春治に尋ねる。

「男よりも、女の方が強いのか?」


「はい」


「ハルジ!」


「ピピーッ」

 シャルロットが叫んだ瞬間、画面いっぱいに『退場』の赤い文字が出た。

 五人はすごすごと図書館を後にした。

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