第3話 訪問者たち
ルゥルは、前蓋のない電子レンジのような見た目の調理機から、セラミックプレートをスライドアウトさせると、その上に三種の葉物野菜を適当に並べ、パネルに触れた。プレートが素早く調理機に取り込まれ、すぐまた出てきた。野菜が一口大に刻まれているのを見て、春治とシャルロットが「わあ~」と歓声を上げ、ぱちぱちと拍手する。
「もしかして、野菜をカットしたこともなかったのかい?」
二人は顔を見合わせて、少し恥ずかしそうにした。
「僕たち、こっちに来てから、ほとんど野菜を食べてないんです」
「味も、食べ方もわからないから」
「そうか。それじゃ、正解だったな」
ルゥルは得意の料理を振る舞おうと、食材をたくさん買い込んできていた。
「よーし、お次は……」
ルゥルは大きな生肉の塊が載ったプレートに差し換え、パネルに二回触れる。プレートはさきほどと同じようにスライドインしたが、さきほどと違いすぐには出てこない。その間に、刻んだばかりの三種類の野菜を程良く混ぜながら木製のボールに移し、二人に抓み食いを勧めた。そしてそれぞれの野菜の特徴を語りながら、自分も抓んだ。
「ハルジーィ」
リビングのソファから、ラゥラが呼びかけてきた。
「これは何だい?」
さっきまで春治が座っていたところには、ラゥラが長い足を組んで座っている。
「それは栄養バランスを整えるためのお菓子です」
「一つ頂いてもよろしいですか?」
ラゥラの向かいには、背筋をピンと伸ばしたミゥミュが座っている。
「あー、どうだろ。もしかしたら体質に合わないかも」
「ははは、心配性だな、ハルジは」
ラゥラは意に介さず、一つ手に取り、袋を開けた。ミゥミュもパッケージのロゴデザインをしげしげと眺めてから開封した。
「匂いは悪くないな」
「果物の香りがしますね」
「うん! うまいじゃないか」
「なんだろう、初めてなのに懐かしい味だ」
ミゥミュは春治に微笑みかける。
「美味しいですよ、とっても」
上品で柔和な所作、話し方や顔立ちを含め、三人の中ではミゥミュが最も女性的であるという印象を春治は受ける。
調理機の前に立つルゥルが、小瓶を手にして蓋を開けた。
「これはヨーゴの肉を醗酵させたものなんだが」
「うっ!」
春治とシャルロットは、両手で鼻を押さえる。
「ダ、ダメですそれは」
春治は顔をしかめる。
「ごめんなさい」
シャルロットはよろけるように二歩、三歩と後退りする。
「ははは、気にすることはない。こいつはオウブ人でも好き嫌いがはっきり分かれるんだ」
ルゥルが瓶を傾けると、赤褐色の中味が糸を引いて垂れ下がった。それを手の甲で受け止め、口に持っていく。
「うん、うまい」
ルゥルは瓶に蓋を被せる。
「じゃあ、こいつは封印だな。ラゥラもこれが大の苦手でね」
春治は焦った顔で、きょろきょろと何かを探している。
「この家には、換気扇はないんですか?」
「ん? 何だいそれは」
「空気の入れ換えをする装置です」
「ああ、臭いが気になるのか。それならイオンに分解すればいい。おーい、頼む」
「ポーン」と、機内アナウンスの注意喚起音に似た音が一つ鳴り、次の瞬間にはキッチンを満たしていた悪臭が消えてなくなっていた。
春治とシャルロットは「ふうー」と、長い息を吐く。
「ははは。そんなに臭かったか。地球にはこういうのはないのかい?」
「いくつかあります。でもここまでじゃないかな」
春治は遠慮気味に苦い顔をする。
「ナットー、勧めてみたら?」
「そうだね。今度ご馳走します。納豆っていって、地球の僕の国の食べ物なんです。シャルロットは苦手で…… だからいないときに」
「そうか。楽しみにしておこう」
調理機からようやくプレートが出てきて、肉の焼けるいい匂いがキッチンに広がった。シャルロットが深く息を吸い込む。
「おいしそうな匂い」
「本当だ。ちょっと燻したような匂いがする」
肉は厚さ二ミリほどにスライスされている。ルゥルは楕円の大皿に肉を移すと、持参したボトルのキャップを開け、とろみのあるからし色の液体を肉に注ぐ。
「それは何ですか?」
シャルロットが訊いた。
「市販のソースだよ」
「私たち、こっちの調味料に関する知識が全然なくて……」
「それじゃあ今度、いろいろと持ってこよう」
「わあ、ありがとうございます!」
シャルロットは嬉しそうに春治を見る。
春治は「良かったね」と言って微笑んだ。
「さあ、できた!」
ルゥルはリビングに向き直る。
「おーい、運ぶの手伝ってくれ」
ラゥラとミゥミュがやってきて、五人で手分けして料理と食器をリビングまで運んだ。
「さて、困ったぞ」
肉の盛られた大皿をテーブルに置くと、ルゥルは腕組みした。
部屋には二人掛けのカウチソファが二脚あるだけだ。家の中には、椅子の代わりになりそうなものが何もない。
「出すか?」
ラゥラが言った。
「バカ! そんなもったいないことするな」
ルゥルが窘めた。
出すとは、物質構成機で新たに作るという意味である。
構成するためには原料が必要であり、当然無料というわけにはいかない。
「二人は小さいから、あと一人誰かと三人で座れるだろ」
そう言ったラゥラは、すでに一人だけ座っている。
「問題は、誰と誰が座るかですね」
ミゥミュが言った。
「まあ、普通に考えて、こうだろうな」
ルゥルは水色の長い髪を右肩から前にまわすと、ソファの真ん中に座り、春治とシャルロットに両サイドに来るよう手を広げて促した。
「でしょうね」と言って、ミゥミュがラゥラの隣に腰を下ろす。
なぜ普通に考えるとこうなるのか、春治とシャルロットが疑問に思っていると、それを察したかのように、ミゥミュがしなやかな指でルゥルとラゥラを交互に指し示した。
「この二人は、以前付き合っていたんですよ」
「ええっ!」
シャルロットは思わず驚きが口を突いた。
春治はすんでのところで飲み込んだ。
「つまらない過去だ」
ルゥルが言った。
ラゥラは、我関せずといった体で、「さあ食べよう」と言った。
ルゥルが「これもあるから」と言って、大きなタッパーの蓋を開けた。もあっと湯気が立ち昇って、いい香りが漂う。見た目はホワイトシチューに似ているが、わずかに黄色味がかっている。香りもシチューとは違うようだ。
「僕、ピクミックを持ってきたんです」
ミゥミュがラグビーボールほどもある二本の大きな瓶を、袋から取り出した。
「お! 気が利くなあ」
「そんなものラゥラに飲ませたら、酔っ払って何仕出かすかわからないぞ」
「大丈夫です。度数はそんなに高くありません。それに五人で飲めば大した量じゃないでしょ」
「まあ、一本だけならいいか」
「よし、グラスだ、グラス」
「ラゥラはこぼすから、僕が注ぎます」
「それじゃあ、カンパイしよう」
ルゥルがグラスを手に取った。
「カンパーイ!」
三人はあっという間にグラスを空にする。春治も口をつけてみた。アルコールとは全然違う。
「ふう…… うまい!」
ラゥラが濡れた真紅の唇を、手の甲で拭う。
「よおーし、食うぞ!」
言うが早いか、トングで大量の野菜をつかみ、小皿を山盛りにして、上から紫色のピュレをどばどばとかけた。何かに急かされるようにトングを箸に持ち替えて、肉を一枚つまみ、紫に染まった野菜を包みこんで大きく開いた口に押し込んだ。
ルゥルは先に何枚かの肉を小皿に移しておき、ヘラを使って赤茶色のペーストをたっぷりと塗り、その上に野菜を載せると、クルトンのようなものをトッピングして、箸で巻いて食べた。
ミゥミュはトルティーヤのような平パンに肉を一枚敷いて、野菜をくるんで手で食べた。
他にもまだ、バゲットに似たパンや、さくらんぼそっくりな赤い実、枯れ枝にしか見えない棒、正体不明の黒い粉末などなど、手のつけられていないものがたくさんある。どうやら少しずつ味を変えて楽しむようだ。春治とシャルロットも三人に倣って食べた。
「どうかな? 地球人の口に合うかい?」
ルゥルが訊いた。
「はい」
「とっても美味しいです」
春治とシャルロットは嬉しそうに答えた。
その言葉に嘘はなかったが、実のところ、二人の頭の中は料理の味どころではなかった。
ルゥルとラゥラが元恋人同士……
さっきから心臓のドキドキがとまらない。
どういうことだろう? 一緒に行動を共にしているところをみると、少なくともいま現在、仲違いしているわけではなさそうだけど……
勉強一筋だった二人は、恋愛経験が乏しい。というよりも、皆無に等しい。
地球の男女の仲にも疎いのに、オウブの恋愛事情となると、もう理解の範疇を超えている。
煩悶する春治の正面では、さっきからずっとラゥラが春治に熱い視線を送り続けている。
大皿の肉に手を伸ばした春治が、ラゥラの視線に気づいた。
二人の視線が交わった。
「どうかな? 地球人から見て、オウブ人は恋愛の対象にならないかい?」
「へ?」
春治の箸から肉がペタリと卓上に落ちた。
フォークを握るシャルロットの右手が、ぷるぷると震えだす。
「えと…… あの……」
春治の額から汗が噴き出す。
いつものように、ルゥルがラゥラを窘めてくれるんじゃないかと期待したけれど、ルゥルは黙して語らない。代わりにミゥミュが口を開く。
「シャルロットはどうです?」
「ひぃっ!」
シャルロットは瞬時に固まった。
ラゥラは春治を、ミゥミュはシャルロットをじっと見つめる。
空間が静止したように誰も動かない。
ルゥルが両脇に座る春治とシャルロットを、ゆっくりと見比べる。
「う~ん、困ったな……。二人の態度の意味するところが、我々にはよくわからない」
ルゥルは顎に手を当てる。
「じゃあ、これだけ聞かせてくれないか。二人は恋人同士なのかい?」
シャルロットは耳まで真っ赤になると、下を向いてしまった。
春治は顔の前で、ちぎれんばかりに手を振る。
「そそ、そんな……、そんなこと……」
春治から否定の意を得た三人が、一斉に首を振って、今度はシャルロットを捉える。
六つの目玉から照射される鋭い視線に気圧されたシャルロットが、消え入るような声で呟く。
「……ない、です……」
「そうか!」
三人の顔がパアッ明るくなった。
「だと思ったよ!」
「いやあ良かった!」
「さあ飲もう、飲もう!」
三人は口々に言って、ピクミックの入ったグラスを手に取った。
嬉しそうな三人とは対照的に、春治とシャルロットは食事がのどを通る状態でなくなった。
「知ってるか? オウブでは、小柄で頭のいい人間がモテるんだ」
ラゥラが言った。
「あと、かわいらしい子もね」
ミゥミュが言った。
「それは個人の好みだ」
ルゥルが言った。
「それはミゥミュの趣味だろ」
「なんにしても我々オウブ人にとって、二人はとても魅力的です。はい」
オウブ人たちの声のボリュームが上がるにつれ、地球人たちのテンションは下がっていった。春治は心神耗弱に陥りながら、三人が自分たちのことを口々に褒め合うのを遠くに聞いた。
二本目のピクミックの大瓶が空になって春治の足下に転がってきた。春治はほとんど口をつけていないにもかかわらず、気づけば目の前のグラスが空になっている。
耳たぶから爪の先までをピンクに染めたオウブ人たちのボルテージは留まるところを知らず、上昇の一途をたどる。
いつの間にかルゥルの右手が春治の左手を握っている。それに気づいたラゥラが目を見開く。
「こら! 勝手に握るな!」
前のめりになって、テーブル越しに二人の手を引き離そうとする。
「勝手に抱きついたヤツに言われたくない!」
ルゥルはもう一方の手で、ラゥラにのど輪をかける。
「ぐうう…… ハルジ、あんな臭い物を好んで食うヤツなんか、やめておいた方がいい」
「ラゥラこそ、二人の前でベガロを噛むのはもうやめろ。昨日のような不埒な狼藉は、今後一切許さないぞ!」
「あっ、そうだ」
ラゥラは自分の上着に手をかけ、胸襟を大きく開いた。
「オウブの正式な挨拶がまだだったな。さあさあハルジ、上半身裸になって、胸をこちらに突き出すんだ」
「ラゥラー、貴様あ!」
「嘘じゃないぞ。その昔、シピヌーヌの部族たちは──」
「黙れ!」
「まあまあ、落ち着いて。それよりも、二人の意見を聴こうじゃないですか。シャルロット、ハルジ、君たちはこの三人の中で、誰が好みなんです?」
「こ、好みって、そんな……」
春治は困惑する。
「俺だよな、ハルジ」
「私だろう、ハルジ」
「僕ではダメでしょうか、シャルロット」
「あ、あの……」
シャルロットは頭が真っ白になりながらも、必死で言葉を絞り出す。
「わ、私たち、二年後には学園を卒業して、地球に帰るんですけど……」
「いいさ、残った方を俺がもらう」
ラゥラが言った。
「勝手に決めるな!」
「そうですよ。二人の意思をもっと尊重すべきです」
残った方もなにも、二人とも帰るんだけど……
春治はそう突っ込みたかったが、三人はギャアギャアと喚き合い、春治にそんな隙を与えなかった。
「残った方は俺のものだあああああ!」
春治とシャルロットは、この嵐が一刻も早く過ぎ去ってくれないものかと、ただただ願うばかりだった。そのため、ラゥラが重大な事実を示唆していることになど、このときの二人には気づく由もなかった。
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