死ぬかと思った

伊奈

死ぬかと思った

 最近の私はなんかちょっとおかしい。で、なんかそう思っている私を外から眺める私がいて、そいつは「きっしょ!」と思ってたりする。そのさらに外から眺める……→∞。メタな視点を持つというのはなんだか生きづらいなと思う今日この頃です。

 思い立って、最近の所感をツラツラ述べます。正直読みづらいかと思いますし、私も頭を使って書いていないので支離滅裂です。ちなみに普段はめちゃくちゃ頭を使って小説をかいているつもりです。いやでも正直、私の頭は上等ではない方なので、けして頭が良いわけじゃないですし、頭の良い小説を書いているわけで、決して期待はしないでください。ていうか頭使って書くと小綺麗に小説がまとまるけど、奔放さがなくなるんだよな。

 という感じで盛大に脱線しながら書きます。オチもないかも。

 なんか色々疲れた。というのも6~9月に私は滅茶苦茶忙しくて、滅私奉公という言葉を身でもって体感して、メッシホウコウ! メッシホウコウ! と題目を唱えていたワケじゃないのですけど、とにかく朝の六時に目が覚めては出掛けて帰りは終電(AM0時過ぎ……)という生活を続けていたので、ヤバイかったです。お昼の12時にお昼ご飯を食べながら「あと12時間、あと、12時間働く……」と考えるのは辛かった。涙が出かけました。強い子なので泣きはしませんでしたが。

 過労と睡眠不足と趣味の読書や執筆ができないストレスと将来への不安と寄る辺の無さや寂しさが尋常でなく、「あぁ、私はこうして繁忙に埋もれ、何者にもなれないのだな」とか「いっそ盛大に病んで静養したいな」とか「なんか燃えないかな」とか色々考えました。ちなみに今は健康に過ごせてます。やった~~! ビバ日常! QOLを上げろ!

 なんだこの人、頭おかしいな。

 でもそんなことを考えるというのはつまり、この狂気の思考や振る舞いというのは一種のパフォーマンスで、つまりフリで、それを外から眺めた私は、「きっしょ!」と叫ぶわけです。自分で自分をオカシイと思っている人は、オカシサを内面化できてないですよ~!!! つまり、私がこうやってメタなことを考えて「きっしょ!」とか考えているのは心身共に健康!(母子共に健康!)な証拠! むしろこういう狂人パフォーマンスをしているのは精神衛生管理上有効で正常な反応であり、つまり私はまだまだ生きていける。どうでも良いですがメタな思考で思い出すのは太宰です。あの人の小説ってだいぶメタい。なにが「さらば読者よ」だよ。しばき倒すぞ。別に嫌いじゃないけど(むしろ好き)。まあ、太宰治の小説は、ちょいちょい小説世界と現実が交錯する。当たり前と言えば当たり前ですね。こんなの小学生でも知ってる。自意識過剰の饒舌体というのも言い得て妙で、まさに自分がどう見られているか的な視座と心情がごちゃまぜですね。いいないいな。そんな感じで私は『女生徒』がとても好きです。最高。次点で『人間失格』辺りです。『人間失格』って何が良いって、私の最高に好きなポイントは構成ですね。あれってまず最初に一般人が三葉の写真を眺めて「なんかこの人物いやだなー。笑い方が妙だなー。人間のからだに駄馬の首をくっつけた感じ(この表現好きだ。駄馬って辺りが)だー」と思うわけです。その後に第一の手記、第二、第三。後にあとがきで、写真を眺めてた一般人がバアのマダムと話し込む。つまり手記を挟むように端書きとあとがきがあり、その構成自体が{メタ(手記)メタ}となっているのですよね。手記は勿論、「恥の多い生涯を送って来ました」で始まる葉蔵の心情(なんかもっと良い言い方がある気がする。心情じゃありきたりで不十分だ)がつらつらと書き連ねてあって、それを読んだ一般人は「いやな感じ」と思う。でもこの部分を書いてるのは紛れもなく太宰本人。しかも跋文が秀逸だ。マダムは言う、「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

 この文を読んだ時、意味も分からなく衝撃が走ったし、構成に気がついたときは手を叩いて笑いそうになった。これを書いたのも太宰本人。きっと彼は、死ぬほどこの言葉が欲しかったのだと想像します。あぁ、彼は切に切に求めていた言葉で締め括って、ようは自演で、マダムの口から言わせて。それが十二分に語っている。メタとかどうとか、もうどうでもいいや。なんだか一本取られたような、憐れなような、笑えるような、悲しいような。私もいつか「神様みたいにいい子でした」と言われたい。言わせるのではなく、どこか私の知らないところで、私が知らないままにそう言われたら。たぶん私は自分が知らなくても、救われる気がする。その日が命日であってもいい。そういえば中学時代、人間失格をよくわからんまま読んで、「多角的な視点で読めるからこの作品は素晴らしいよね」としたり顔で語ったあの時、話を聞いてた友人。あの人、元気かな。人間失格で読書感想文書いてた気がするんだけど、元気だと良いです。あと、太宰と三人の女たち観に行きたいです。

 最近、頭の中でごちゃごちゃと考えることが(これはデフォルトなんですが)ありまして、例えばものすごく眠い時に「おやすみ、おやすみ」と頭の中で、誰かが私に言うテイで、まあなんか言ってます。頭の中に誰かがいる、というか作る、というかなんかいる? 分からないです。その誰かができればかみさまであってほしい。イエス様でもヤハウェでもアッラーでもお釈迦様でもなく神道の神々でもなく、かみさま。ひらがなであることが重要です。これは最近練り練りしている小説のネタにも関係してくるもので、ともかく『かみさま』がいて、それは絶対的であり全てを救い給う。なので私は頭の中で「かみさま、かみさま」と唱える。馬鹿じゃないの。こんなこと言って、狂人パフォーマンスをして、狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人ですよ。つまりお前は馬鹿。うるせーほっとけ。馬鹿になりたいのです。あっぱらぱーになりたい。賢くなれないのならいっそ馬鹿になって、かみさま、かみさま、どうかお救いくださいって念じながら、かみさまに全てを捧げて殉教するのが一番シンプルで生きやすそう。あっぱらぱー。誰だよ相対主義を持ち出してきた奴は。そんなものがあるから生きづらいんだろ。私は個人主義者だ。いやでも、そんなこと言って私の好きな人が燃やされたら、ありきたりだけど、私は辛くて悲しいだろうな。やっぱり、私は私の好きな人や物が幸せになってくれるのが一番です。かみさまになりたいです。とてもわがままで自分勝手で、でも優しく穏やかなかみさま。

 最近、私の好きなものがどんどんなくなってきている気がします。それはもう仕方がないことなのだけど、やはり少しナーバスになる。厭なことはもう、だいぶ諦めた感があります。違うな。見放したと言うべきかも。私は私の好きな人や物が幸せになってほしい。それが私の幸せです。拙く幼い願いです。世界平和になってほしい。

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死ぬかと思った 伊奈 @ina_speller

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