Scene:8「新生活」

「――良いだろう」


 それがノエルの件の報告を聞いたオルストの返事だった。それを聞くのは部隊長、シュウ、そしてノエルの三人。

 あの後、無事にストラへと帰り着いたシュウは他の仲間達とは別れ、部隊長とノエルと共にオルストの元へ報告に訪れていた。

 フォルンでの戦闘の経緯と結果、それによって生じたベリルの懸念。

 やはり、オルストも話を聞いて同様の懸念を抱いたようだ。

 部隊長に労いの言葉を掛けた後、しばらくは周囲の警戒の密度を上げる必要があるだろうなとこぼしていた。

 これに部隊長が同意を示し、後で詳細を詰めるという方向で話はまとまる。

 その間、当事者ではないノエルは暇そうであったが、自身以外の三人が真剣な表情で話し合ってる事もあって姿勢は崩さない――というか崩したくても崩せないが正しいのだろうが――でいた。途中、シュウが僅かに振り返って見た所、話の終盤の方は中々に辛そうな様子であったが……

 そうしてようやく話は帰還中に遭遇した強盗の話へと移る。

 部隊長は彼女が治療系の異能者である事から生活の面倒を見る代わりにその力でストラに貢献してもらうのはどうだろうかと提案した(この取引は道中にて既にノエルに話をしており既に了承を得ている)。

 先のオルストの返事はその提案に対するものだ。


「確かに治療系の異能者がいればいろいろと便利な事も多い。その提案を許可しよう」

「ありがとうございます。それでは彼女の面倒――」

「リーネとシュウに任せる」


 話の途中でさっさと結論を告げるオルクス。それと同時にシュウの方へを向ける。

 否、それは正しくない。正しくはシュウの背後に隠れるように立っているノエルへと視線を投げたのだ。

 視線に気付いたノエルはシュウの身体へとさらに隠れようとするが体格が近い以上隠れきれるものではない。それでも見えないよう見られないよう身を縮こませようとする彼女。

 そんな様子から彼女のシュウに対する信頼が伺える。

 どうやら歳が近いことに加え、同郷だという事が彼女の中で仲間意識を抱かせるきっかけになったらしい。

 道中の車両の中の会話でも最初こそ口数も少なかったが、いろいろと互いの事を話している内に向こうからもいろいろ聞いたり話してくれるようになった。

 家族は父、母、姉の四人家族。異能の事は最初こそ驚かれたが両親や姉には受け入れてもらえたらしい。

 シュウとしては羨ましい話である。

 さらわれたのは学校の帰宅中。話を聞いている感じだと車を横付けされそのまま眠らされたようだ。異能の事は周囲に隠していなかったようなので恐らくその情報が業者の耳に入ったのだろう。

 一方で彼女はシュウの経緯を聞いて酷く心を痛めていた。

 特に親に売られた事は彼女とって衝撃的な話だったらしくしばらくの間、絶句していた。

 他にもいろいろな話を聞いた。

 オーラルの事や好きな事等……中でも姉に関する話題はかなりの数あった。

 犬に吠えられた時に姉に庇われた事、道に迷った時に姉が見つけてくれた事、そして誕生日に姉がプレゼントをくれた事。

 どうやら姉の事がかなり大好きなようだ。他にもいろいろな姉を自慢をしてくる彼女の話を聞きながらシュウは『ここにいる間は自分が彼女の姉の代わりに守らないと』と静かに心に誓ったのであった。

 そんな会話で距離が縮まったおかげかストラに辿り着く頃にはすっかり彼女はシュウの傍を己の定位置に定めていた。

 それはシュウとしては一安心できる事なのだが、そのせいで部隊仲間や道中の人々から意味ありげな視線を向けられるのはたまらない。

 誤解というかどうせからかいも混じっているのだろう。ただ、いずれにしても彼女から一番信頼されているのがシュウである事に間違いはない。

 と、なれば彼女の面倒を見るのはシュウ――引いては彼の面倒を見ているリーネの役割となるのは自然な事であった。


「わかりました。しかし、そうなるとリーネのせっと――説明も自分から?」

「――ああ、任せる」


 ピシャリとそう言い切るオルストにシュウは内心でため息を点きながら了承を返す。見れば部隊長もやれやれといった表情だ。

 今回の内容は取引だし、無償で面倒を見るという訳にいかない以上、ノエル側からも何らかの提供をしてもらわなければならないのは当然の理屈。

 しかし、見方によっては彼女の命運を人質にした脅迫という観点もないわけではなかった。

 なにせこの取引、断っていた場合、彼女に待っているのはどこまでも広がる過酷な環境に身一つで放り出されるという未来だ。

 当然、その先にあるのはほぼ間違いなく死。仮に生きていたとしても不自由な生活を送っている事になるだろう。

 である以上、選択肢の形をとってはいるが、実質選べるのは『了承する』の一択だけだったと言える。

 実の所、道中での話の際にもその事はシュウの口から告げている。『――ただし、この話を断った場合、この過酷な世界に身一つで放り出される事になると思う』と……

 なので、その脅しともとれる言葉に怯えて提案を受け入れた感は否めない。そしてリーネはそういう話が嫌いだ。何せシュウを買ったと聞いて怒った例があるのだから……

 果たしてシュウの話を聞いて彼女はどんな反応を返すだろうか?

 いろんな表情が思い浮かぶが、しっくり来るのは彼の気が重くなるような表情ばかりである。

 

(――いっそ、誤魔化すか? ……いや、どの道気付かれるだろうから遅いか早いかの違いでしかない。寧ろ、先延ばしにした方がもっと面倒になるだろうしなぁ)


 そう考えると覆い隠さずシュウの事を告げたオルクスのやり方が一番無難なやり方なのかもしれない。

 あれで意外と娘の事を理解しているという事なのかと一人で納得しながら窓の外へと視線を向けるシュウ。

 その視界にはここからでは見えない我が家の面影が思い浮かんでいたのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「――そう」


 それがノエルの経緯を聞いたリーネの返事だった。

 鈴のように軽やかかつ静かでそれでいてよく響く声。だが、シュウは聞き逃さない。その声から僅かな怒気の感情が漏れ出ている事を……


 オルストとの話し合いが終わり、ノエルを連れて家へと帰ってきたシュウ。

 彼がドアを開け『ただいま』と告げるとそれと同時に奥の方から駆け出してくる音が響いてきた。

 そうして家の奥から音の主リーネが現れると彼女はシュウの無事の姿を見て安心したのか、ほっと息をつき『おかえりなさい』と言葉を返してきた。

 それからようやく彼女は彼の他に見知らぬ少女がいる事に気が付く。

 『この子は?』という疑問の視線を受けて内心が強ばるのを自覚しながらノエルを紹介するシュウ。

 そうしてこれまでの経緯とオルストとのやり取りを説明し、今に至るわけである。


「……リーネ?」

「――――」


 恐る恐る声を掛けみるシュウ。だがリーネは笑顔を浮かべたまま返事はなし。よくよく見るとこめかみの辺りがピクピクと動いているのが見える。

 最早、怒る事は不可避。これは素直に謝ろう。そう考えて口を開――


「――シュウは悪くありません」


――きかけた所で突如背後に立っていたノエルがシュウを庇った。

 予想外の事に目を丸くするリーネ。それはシュウも同様だった。てっきりリーネの雰囲気に飲まれて怯んでいるのかと思っていたのだ。


「シュウは私のためにきちんと説明してくれただけです」

「……」

「私はまだ子供ですが、それでも何でもかんでもただで手に入るものじゃない事くらいはわかります。だからこそ、お金の代わりに私の力を提供する必要がある事も……」

「……」

「正直言えば、放り出されると聞いた時は怖かったです。でも、シュウが言い淀むのを見てそれが言いたくないけど言わなければならない事だというのはわかりました。だから、彼を怒るのはやめて上げてください」


 強い眼差しでそう訴えるノエル。

 そんな彼女の視線をリーネはじっと受け止めていたが、やがて根負けしたのか嘆息。そうして視線をシュウの方に戻すと彼に近づき次のように告げた。


「とりあえず夕食にしようか。昨日の残りもあるし」

「昨日……あ」


 それでシュウは許されたと理解すると同時に昨日の会話を思い出す。

 確か出発前のあの時、シュウは夕食のオーダーをしていたはずだ。

 だが結局、その日の夜には帰れず日を超えてしまった。


「――ごめん」

「仕方ないよ。大変だったんでしょ?」


 頼んだにも関わらず夕食を一緒にできなかった事を謝るシュウだったが、リーネはそんな彼の謝罪を笑顔で受け止める。

 確かに彼女の言う通り異能者四人を含めた多数の敵との連戦は大変だった。実際、戦いの内容を話したらリーネが心配するだろうからやめておいた方がいいだろうが……

 一方のノエルはその辺りは事はわからないので疑問の表情を浮かべながらシュウの方へと視線を向けている。

 それに対してシュウは苦笑を返す事ではぐらかす。


「とにかく二人共座って」


 そんな二人を夕食の席につかせるリーネ。


「わかった」

「わかりました」


 そう席に着く二人。リーネはというと別の場所から椅子を持ってきて新たな自分の席を作っている。

 それが済むと彼女は夕食を並べ始め、そうして夕食が始まった。

 夕食と共に始まったのは明るい雑談。

 リーネの父親であるオルストが家に中々帰ってこない事から始まり、集落の事、近所の事、そしてリーネやシュウの事と話題は尽きる事なく続いていく。

 話すのはもっぱらリーネでシュウがそれに相槌を打つ。ノエルはそんな二人の話を興味深く聞いて――そうして楽しい時間はあっという間に過ぎていったのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



――それは夢だった。

 彼女には他の子には真似できない自慢できるものがあった。

 自身や他人の怪我を治せる事。それが彼女の自慢だった。

 転んでも、包丁で手を切っても元通り。大きな傷は時間は掛かるがそれでも治す事自体はできる。

 加えて疲れも軽くできるので仕事帰りの父にそれをして夕食まで遊んでもらった事がよくあった。

 初めて家族に見せた時、流石に驚かれたがそれでもすんなりと彼女の力を受け入れてくれた事は喜ばしい記憶だ。

 お前は凄いなと父に頭を撫でられるのが嬉しかった。

 ありがとうと微笑んでくれる母が好きだった。

 大好きと抱きしめてくれる姉の助けになりたかった。

 だから、もっと、もっといろんな人をこの力で助けたいと願った――願ってしまった。

 友達、学校の先生、近所のおじさん、遠くにいる祖父、たまたま出会った見知らぬ誰か。

 誰かが傷を負ったのを見れば迷わずこの力で治し、そうしていろんな人をその力で助けて――

 ――結果、彼女は異能専門の誘拐業者に目を付けられ、さらわれたのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 鳥の囀りが意識を闇の淵から引き上げる。

 虚ろな意識には恐怖の感情の名残が残っているが、一体何が怖かったのか今の彼女にはもうわからない。


――闇の中から無数の手がこちらへと伸びる。


 唐突に思い浮かんだイメージ。その映像に怯んで身をよじ――ろうとした所でそれができない事に気が付いた。

 原因は彼女の頭が誰かに抱き包まれているから。覚醒の途中だったためその事に気付くのが遅れた。

 温かい人肌の温もり。先程のイメージによる恐怖もあるのだろう。安心できるその温もりがとても心地よくて、思わずその温もりに顔をうずめてしまう。

 いつだったかは忘れたがこんな風に姉に甘えた時があった事を思い出す。

 確かホラー映画を見たせいだったか。一人で寝るのが怖くて姉のベッドで一緒に寝たら翌日こんな体勢になっていたはずだ。

 懐かしいなという感想が漏れる。その姉は今、傍にない。


――では、この温もりは一体、誰のものなのだろうか?


 微睡んだ思考の中でふと生まれた疑問。感覚としては答えなんてどうでも疑問であるのだが、それに答えられない自分がいる事に気が付き、それをきっかけに次々と新たな疑問が生まれてくる。

 姉ではないのなら一体、誰だろうか? そもそも何故、そんな人物と一緒に寝ているのか? 一体、どうしてこうなったのか?

 疑問から新たな疑問が生まれてくる事で遡っていく過去。そしてその疑問が答えられる段階までいった時、それらの疑問は連鎖するように次々と解けていった。

 さらわれて奴隷となった事。船やヘリや車に乗って長い間、移動した事。その途中で強盗に襲われ、そして救われた事。そして今はその救ってくれた人達の集落にいる事。


――そして目の前にいる人物が誰であるか。


 抱擁から逃れて上を見上げる。

 最初に目に飛び込んだのは白いパジャマ。

 その更に上にあるのは長い茶髪の女性の顔だ。確か名前はリーネ。

 今、ノエルが眠っている場所はリーネの私室であった。そこで寝る事になったのは様々な要因が重なった結果である。

 ノエルがこの家に住む事になって最初に生まれた問題。

 それが部屋割りの問題だった。

 現在、この家の寝泊まりに使えるスペースは三箇所。それらはオルスト、リーネ、そしてシュウの三人使われてしまっている。

 優先順位から考えれば客人同士が同室になるのが筋であるが、幼いとはいえシュウとノエルは歳の近い異性。流石にそれは問題だという事でリーネから却下の裁定が下った。

 そうなるとシュウかノエルのどちらかが別の部屋に映らなければならないが、最近は戻っていないとは言え家の主たるオルストの部屋を使うというのは流石に気が引ける。

 と、なれば残るはリーネと部屋となるが、そうなると一緒に寝泊まりする相手は自然、ノエルに限定される。

 私の部屋で構わないかと尋ねる彼女にノエルは『構いません』と答えたのを思い出す。こうして部屋割りの問題は片付いた。

 ベッドは一人用で多少手狭だったが、それでもどうにか収まる事はできた。

 横になるとこれまでの疲れが一気に押し寄せてきたのだろう。瞼が重くなりあっという間に眠りにつき――そうして現在に至るのである。


――かすかに扉が閉まる音が聞こえてきた。


 その音を合図にノエルは起き上がると眠るリーネを起こさぬようひっそりと部屋を後にする。

 朝の空気がひんやりと冷たい。思わずブルリと身体が震えてしまう。

 その拍子にずれ落ちるパジャマ。

 今、着ているパジャマは元々リーネのものである。当然ながらサイズは大きく、裾も丈も長い。首元も広いので結果、そこが肩からずれ落ちてしまうのだ。

 ずれ落ちたパジャマを元に戻し首元を押さえながら玄関へと向かう。

 ドアを開けるとまだ太陽が登っていないのだろう。空はまだ暗いままだった。それでも登る時が近いのだろう。西の空の方は僅かながら明るい。

 そしてそんな空の下にシュウは佇んでいた。

 瞳は開いておらず目を状態で彼はじっとしている。

 何をしているのか? 疑問に思いながら彼に近づいていくノエル。


「おはよう、ノエル。ごめん。起こした?」


――と、ノエルの存在に気が付いたのかシュウが目を開け振り返ってきた。


「おはよう……シュウは何してるの?」

「異能の訓練――になるのかな? 外の音を聞いてた」


 そう応えて再びを瞳を閉じるシュウ。

 シュウの異能については昨日の夕食時に説明を受けていた。

 範囲の狭い音の操作。説明を聞いた当初はあまり強い異能だとは思わなかったが、実際にできる事を聞いてみると意外に多芸な異能のようだ。

 外の音を聞いていたという事は増幅や減衰といった音の制御の訓練という事だろうか?


「音の制御?」

「ううん。音の操作よりも聞き分けの方の訓練になるかな。この静かな時間に聞こえる僅かな音からいろんな情報を導き出す感じ。と言っても今はどうにかって感じだけど……」

「……例えば?」

「そうだな~」


 少し悩んだ後、シュウがある方向を指差す。


「今、あそこの家の目覚ましが鳴って止まった。音からしておじさんの方かな。時期におばさんを起こして二人で朝食の準備を始めると思う」


 しばらくしてその家の窓が空き、男性が顔を出す。

 男性はシュウ達に気づくと『おはよう』と声を掛けてくる。

 反射的にノエルは『おはようございます』と返事をしシュウも挨拶を返すと男性は満足した顔で頷き、部屋の中へと戻っていった。

 程なくして今度は女性が窓から顔を出す。先程のシュウの話が本当ならあれが奥さんなのだろう。

 再び挨拶を交わし、その後女性もまた窓を閉じて室内へと戻っていく。


「――っと、今度はあの家から派手にドアを蹴破る音。なんというか相変わらずだなぁ。時期に騒がしくなると思うよ」


 その言葉の通り、窓を閉じているのにも関わらずその家から怒鳴り声のような音が聞こえてきた。

 流石に距離があるのでノエルには内容は聞こえなかったがこの距離で怒鳴り声とわかる時点で相当の大音量である事は間違いないだろう。

 きっと怒鳴れた人物も相当驚いている――というか怯えているに違いない。


「なんで怒鳴ってるの?」

「中々起きないって前に愚痴ってたのを聞いた――っと、鳥だ」


 そうして今度は空を見上げるシュウ。

 つられてノエルも空を見上げると丁度、頭上を一話の鳥が通り過ぎる所だった。

 雄々しくも荒々しい大きな身体と翼。

 それは一声鳴いて己の存在を周囲に喧伝すると空高く舞い上がって集落の空から離れていく。

 そんな鳥を見送る二人。やがて、鳥の姿が見えなくなると同時に二人は会話の続きを始める


「いつもこんな事をやってるの?」

「何もない時は、かな。他にも通常の訓練とかもやってるし」

「……そうなんだ。辛くはないの?」


 なんてことはない表情で応えるシュウを見て不思議に思ったノエル。

 別にノエル達は望んでこの場所に来たわけではない。なのに戦う事を強制され、そのための訓練まで課せられている。

 普通なら無理やりそんな事をやらされたら嫌と思ったり辛いと思ったりするだろう。少なくても自身ならそう思う。

 けれども、シュウの表情にそういった様子は見受けられない。寧ろ、自らも強くなろうと精力的に取り組んでいる程だ。


(――何故、そう思えるの?)


 疑問の声が頭の中を掠めていく。

 それが先程の問いを投げ掛けた動機だ。


「辛くはないかな。自身が生き残れる可能性を上げれるわけだし」

「どうして? だってシュウは望んでここに来た訳じゃないのに……」

「――まあ、そうだな。でも、ここの人達の事は好きだと思ってる。だから、守りたいと思うってのは駄目かな?」


 困ったという顔でそう答えるシュウ。

 そう言われるとノエルとしては何も言う事はできない。ノエル自身、まだ彼らの事をよく知らないからだ。

 彼がそういうからには良い人達なのだとは思うが、まだその実感を得てないので納得しきれない。納得しきれないので同意もできず、かといって否定もできないというのが現状のノエルの心境という訳である。

 だが、そんな彼女の思考は顔の方にも出ていたのだろう。

 ノエルの反応を見てシュウが苦笑を浮かべている。そんな彼の反応でノエルはようやく自身の内心が顔に出てしまっている事に気が付いた。


「……ごめんなさい」

「仕方ないさ。ノエルからすればこの大陸に住んでいる人達は皆、自分をさらった連中って認識にもなるだろうし」


 シュウの指摘は間違っていない。

 実際、彼の言う通りノエルの中ではまだこの大陸の人達=自身をさらった人達という認識の方が強かった。

 全員が全員、そんな人達ではないという事はリーネやシュウと一緒にいた人達を見ていればわかるはずなのに何故かその認識が拭えない。

 自分が相手を信じきれない臆病者だからだろうか? それとも見知らぬ者全てに自分自身が怯えているからか? あるいは――

 侵食するように頭の中で繰り返される問答。

 そんな彼女にシュウは――


「――――ふっ」

「!?」


 無言のチョップをかました。

 唐突な痛みに我に返るノエル。どうやら手加減してくれてたようで痛みはそれ程ではない。とはいえ、いきなりだったので驚いた。


「シュウ。痛い」

「そんな訳無いだろう。ちゃんと、手加減したから」


 その通りではあるのだが、だからといってチョップをしていい理由にはならない。

 無言の抗議として睨むノエルだが、シュウの方はどこ吹く風。その視線を無視して家の入り口へと自身の視線を向ける。


「――っと、そろそろ戻るか。朝食の準備が出来たみたいだし」


 それと同時に開く家のドア。開いたドアの向こうにはエプロンを着たリーネの姿があった。


「あ、ノエルもここにいたんだ。二人共、朝食ができたよ」

「わかった」

「わかりました」


 恐らくシュウは朝食の準備の音か、こちらに近づく彼女の足音を拾ったのだろう。

 シュウはかなり砕けた調子で応えるが、まだ会ってそれ程経っていないノエルはつい丁寧な口調で返事してしまう。

 そんなノエルの返答にリーネは苦笑いを返すと横へと退いて二人に中に入るよう促す。

 その促しに素直に従う二人。

 朝食は温かいスープとパン、そしてベーコンと目玉焼きだった。

 昨日の夕食もそうであったが、温かい食事など一体どれくらいぶりだろう。

 一瞬、奴隷生活時の食事環境を思い出し暗い気分に陥りかけたが、それも再び朝食を口にするまで。それで辛い過去の影は風に吹かれたように頭の中から消えてしまった。

 それを実感して『美味しい食事は心も温かくするものなのだな』とノエルは関心するのであった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Scene:8「新生活」:完

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