第6話【神様は悩まない】

 ――全知全能の神。


 数多ある世界の全てを創造したと云われている、神。

 神を敬う信仰に満ちた人間もいれば、神を信じようとしない不信心な人間もいる。

 人々は神の名の下に戦争を行い、天災という神の下した厳しい裁定に嘆き苦しみ、ときには罪の告白をして許しを請う。


 とまあ、そんなことはさておき――

 今日も今日とて、神の会議場には多くの天使が集まっていた。

 二枚、四枚、六枚と対になった翼を生やした多くの天使が椅子に座り、一際立派な椅子にどかりと鎮座している老人――神様へと視線を送っている。


「えー、ですから、私が管理している世界『ダリルバウム』においては、神を信じようとしない無礼極まりない人間が増えてきています。ここは一つ、大洪水などを引き起こして威光を示す必要があると思いまして……」


 真面目そうな天使が意見を述べ終わり、それを聞いていた神様はやや渋い顔をする。


「ふーむ。大洪水はちと厳しすぎる気がするのう……先代の神もやり過ぎたかもしれんと後悔しておったらしいし……」


 曖昧に返事をする神様に横槍を入れたのは、神様の隣に立っていた六枚翼の天使だった。

 彼はとても理知的な顔つきしており、長引いている会議に少々苛立ちを隠せないようだ。


「神様。人間が信仰を忘れるなどとんでもないことです。大洪水など生優しい処分ではなく、巨大隕石を落下させましょう。直径数十キロぐらいの大きめのやつを」

「なっ、何を言っとるんじゃ! そんなことをしたらダリルバウムに住む全生物が死に絶えてしまうじゃろうが」


「いいではありませんか。それではさっそく手配のほうを……そうですね。ファリエル君とアマリエル君、それにブラキエル君あたりにお願いして、さっそく宇宙を漂っている手頃な隕石を引っ張ってきてもらいましょう」

「ちょっ、待たんかぁい! 隕石はダメじゃと言っとろうが!」

「わかりました。それでは直径をやや小さくします」

「いやいやいや、そういう問題じゃねーから。なに? なんで隕石を落とすことにそんなにこだわってんの? わしがちょっと会議を長引かせたから怒っちゃった? 今日の夜に予定でも入ってたから怒っちゃったの? 洪水のことも前向きに検討するから、ね?」


「わかりました。では、手始めに一年間ほど大豪雨を降らせて全大陸に住んでいる生物を押し流して……」

「やめぇい! 手始めで全部終わってしまうじゃろうが! まずはちょっと強めの豪雨で警告するぐらいの感じでいいから! おい、ダリルバウムを管理しているそこの天使! 聞こえとったじゃろ!? 間違っても隕石とか落としちゃいかんからな。本日はこれにて閉会!」


 ダン、ダン! と神様が木製の小槌を打ち鳴らし、会議場からは一斉に天使たちが退出していく。

 綺麗な翼を持ち、陶器の人形のように整った顔立ちの天使が、優雅に話をしながら歩いている光景は、もし人間が見れば神々しくもあるだろう。

 そうして静かになった会議場には、神様と天使一人が残された。

 残っているのは、さきほど神様に強気な意見を口にしていた六枚翼の天使である。



「――ふぅ……わし、もうそろそろ引退しようかのぉ」

「突然どうされたんです?」

「いや、わかっとるよ? わしの決断力が鈍くなっとるせいで、おぬしに色々と気を遣わせておるのはな。隕石がどうのというのも、本当は落とすつもりなんかなかったんじゃろ?」

「いえ? わりと本気でしたが」


 しれっと、神様の言葉を否定する天使。


「またまたぁ、わしの背中を押すためにわざと厳しく……」

「いえ、本気です」

「あっ……そうなの」

「はい」


「と、とにかく、わしは最近少し疲れたんじゃ。そろそろ後継者に神の座を譲ろうかと考えておる」

「そうですか……神様がそう仰るのなら、無理に引き止めることはいたしません。それで、いったい誰を後継者にするつもりなのです?」

「ふーむ。わしが直接指名してもいいのじゃが、どうせならパァッと派手に後継者選びの催しをしたいもんじゃ。神様候補の天使たちに、各々が管理している世界から優秀な戦士を一人選んでもらい、戦わせるとかはどうじゃろう? なかなかに迫力があると思うんじゃが……」


 神様の話を聞いていた天使は、何もない空中に手をかざし、分厚い本を取り出してみせた。

 その本をペラリペラリとめくり、しばらくして口を開く。


「たしか……同じようなことを八十二代ほど前の神様がすでにやっていますね。神様の威光を示すというわけではなく、自分勝手な理由で選んだ戦士たちに殺し合いをさせたという、非神道的な行為を糾弾されるという結末に至っています。結局、その神様は天使たちの総意で懲戒免職になったそうです」

「えぇ~……神様が懲戒免職って……さすがにそれはないじゃろ?」

「いいえ。本当です。結局、その神様は年金を受け取ることもできずに寂しい余生を送ったとかなんとか」

「マジでか? わかった。さっきの案は取り消し。なかった方向で」

「はい」


「じゃあ……ほら、たしか前の会議にあったじゃろ? 堕天した天使が魔王になって世界を支配して困っているとかいう案件が。それを見事に解決した天使を次の神様に……」


 またもやペラリペラリと本をめくった天使は、神様の提案を正面から否定していく。


「それも三十七代前の神様が似たようなことをしています。ですが、いわゆる管理不足による不良債権まがいの案件を天使たちに都合よく処分させようとした疑いを持たれて、とても大変なことになっています」

「た……大変なことって、具体的にどんな?」

「もともと高齢で、棺桶に片足をつっこみかけていた神様が、もう片方の足も天使たちに優しく押し込まれて――」

「もうよい! やっぱり聞きたくないわい。というか、その本に出てくる天使たち、なんか荒っぽくないかの!?」

「かもしれませんね。その時代にはキレる天使が多かったといいますし、今はちょっと落ち着いてきたと思いますが……、あまり挑戦的な試練を与えると老後を脅かされることにつながりかねませんよ」

「むぅ……素直に誰かを指名したほうがいいような気がしてきたわい」


 順当に考えるならば、次期神様に最も近いのは、さっきから厳しい言葉を遠慮なくぶつけてくる目の前の熾天使である。

 天使にも階級が存在するが、熾天使はその中でも最高位だ。

 天界の治安維持を任せられるほどに力が強く、今もこうして神の右腕として活躍してくれている。


「じゃがなぁ……」

 ちらりと熾天使のほうを見やる神様は、小さく溜息をついた。

「どうされました?」

「いや……おぬしはちと人間に厳しすぎるような気がしてな。正直なところ、人間のことをどう思っているか聞かせてもらえるかの?」


 この熾天使を、次期神様として推薦してよいものか少しばかり迷う。

 いや、実力は申し分ないのだが、どうも人間のことを軽んじる傾向が強いように思えるのだ。


「そんな、いきなり答えにくい質問をされても困りますよ。正直に口にすれば、さすがにお優しい神様でもわたしをお叱りになると思いますし」

「うむ、それじゃ。そういうところがたまらなく不安なんじゃよ。おぬしも下級天使の頃には、人間が暮らす地上でしばらく時を過ごす『下界研修』に行ったじゃろ。そこで出逢った人間を愛おしく感じたりはしなかったのか?」

「しなかったです」

「またまた、ちょっとぐらい興味を惹かれる相手とか――」

「いえ、そうではなく、わたしは下界研修に行っていないのです。天界天使試験一種に合格して、中級天使からスタートしたものですから」


 天界天使試験一種――それは最難関とされている試験の一つである。

 数多の天使が受験して、合格するのはほんの一握りの者のみ。

 下級天使の必修項目である下界研修が免除され、いきなり世界の管理を任されることすらあるエリートといえる。


「世界の管理――民衆たちの信仰心の管理は、私情を挟まず機械的に実施したほうが上手くいくと、わたしは思っています。下界研修はその妨げになる可能性すらありますからね。もっとも、下界での様々な経験を活かして人心掌握の術を会得することには一定の意味があり、まったくの無駄であるとは言えませんけども」


 神様はそれを聞き、にんまりと微笑んだ。


「なるほど……なんとな~く、おぬしが人間に厳しいことにも納得がいったわい。どうじゃ、長期休暇を取ることを許可するから、しばらく下界に行ってみる気はないかの? いい経験になるじゃろうて」

「ないです」

「そうかそうか。ではさっそく――……ん? 今なんと言った?」


「行く必要を感じません。そもそもわたしが長期休暇を取ったら、神様を補佐する天使が居なくなりますから」

「いやなに、その心配はいらん。しばらくのあいだは別の天使に補佐してもらうことにする」

「……いえ、補佐したがる天使がいないかもしれないので」

「さらっと傷つくようなことを言うのはやめい!」


 熾天使は、どうも本気で下界に行くのを嫌がっているようだ。


「もし休暇がもらえるのなら、ゆっくりと羽根――いえ、翼を休めることのできる天空公園にでも行って、聖獣と戯れるほうが……」

「いやいやいや、なんでそんなに行きたくないの? 今そういう話の流れじゃなかったじゃろ? おぬしが下界に行って人間のことをもうちょっと理解して考えを改めることができたなら、次期神様として推薦してもいいかなと、そういう感じだったじゃろ?」

「わたしが、次期神様に……?」

「そうじゃ。出世街道まっしぐらじゃぞ!」

「嫌です。わたしに務まるとは思えませんし、ものすごくストレスが溜まりそうな気がします」

「なぁに、大丈夫じゃて。しんどいのは最初だけ、ちょ~っとだけ我慢すれば、すぐに気持ちよくなってくるから、の?」


「失礼ながら、神様の頭部を観察させてもらいますと、その苦労が容易に想像できます」

「はぁぁぁぁぁ!? 今わしの髪の話はどうでもいいじゃろがぁぁぁ! これもうずっと前からこんな感じだから! 神様になったのとか関係ないから! 昔からちょっとスケルトンな感じだったからぁぁぁ!」

「神様。そんなに興奮するとまた血圧が……」


「ええい、うるさい! 多少血圧が上がったほうが元気も出るってもんじゃわい! おぬしは今からわしが管理している世界へと転生させる。口答えは許さんぞ!」

「ちょ、ちょっと待――」


「そりゃあぁぁぁぁ! 飛んでけぇぇぇぇぇ!」



◆◆◆◇◇◇◆◆◆



 歴代の神様が創造した世界は数多くあり、全てを管理するには天使たちの協力が不可欠である。任命した天使たちにいくつかの世界を管理させ、問題が起これば神様会議で報告――というのが、一般的な流れだ。


 ――が、もちろん全てを天使たちに任せているわけではなく、神様が直接管理している世界も存在する。


(まさかいきなり飛ばされるとは。なぜわたしがいまさら下界研修など。く……ここはどこだ? 動きづらいぞ)


 体を動かそうとしたものの、どうにも思ったように上手く動かせない。

 眩しい光に抵抗しながらなんとか目を開けると、上空から見下ろすように覗き込んでくる男女の姿があった。

 二人は天使のように整った顔ではなく、背中に翼も見当たらない。


(人間……か。ということは、ここは本当に下界なのだな)


 自分がどういう状況にあるかは、なんとなく予想できた。

 おそらくは、人間の子供として下界に転生させられたのだろう。

 基本的に、神様や天使が下界に直接干渉することは推奨されておらず、下界に姿を現わすときには人間の姿を取ることが多い。もちろん、それは仮の姿であるため戻ろうと思えばすぐに元の姿へと戻ることができる。

 しかし、下級天使が下界研修に赴く際には、より人間を理解できるように赤ん坊に転生させられるのが一般的だ。

 天使の魂を人間の体に定着させているため、気軽に元の姿へ戻ることもできない。


「ほら、こっちを見てるわ。うふふ……ママって呼んでもいいんだよ」

「バカだなぁ……生まれたばかりで喋れるわけがないだろうに」


(この男女は夫婦……そして、自分はこの二人の子供ということになるのか。熾天使であるわたしがこのような赤ん坊になってしまうとは――)


「あばばぶぅ、あ~だぁ~、きゃっきゃっ!」

(ダメか……喋ろうとしても、上手く口が動かせないようだ)


「そうだ。あなたに名前を付けてあげなきゃね。パパと一緒に考えた、とってもいい名前なんだよ」



◆◆◆◇◇◇◆◆◆



「ほっほっほ。どうやら無事に下界へ産まれ落ちたようじゃな。優しそうな両親でなにより。これであやつも少しは丸くなってくれると良いんじゃがの」


 天界にある水鏡で、そんな様子を窺っていた神様が、満足げに頷いてみせた。


「失礼します。本日から神様を補佐させていただく任を受けたのですが……」


 ちょうどそのとき、熾天使の後任の天使が水鏡の間へとやってきた。


「おお、今日からよろしく頼むぞ」

「はい。……あれ? 今さっき神様が映し出していた世界は……」

「ああ、これは『ベリルハイド』の世界じゃよ。気候も一年を通して穏やかで、人間同士が争うことも滅多にない、それゆえ下界研修にはうってつけの場所だと思ってな」

「なるほど、そうでしたか」


 水鏡に映った世界をちらりと覗き込み、その天使は目を大きく見開いた。


「か、神様!?」

「ちょっ、そんないきなり大声を出すでない。わし、けっこう高齢じゃから。そういう高いトーンの大声は控えるようにしてくれんか?」

「い、いえ、この世界は『ベリルハイド』ではありません!」

「なん……じゃと?」


『ベリイハード』――それは神様が管理する世界の中でも、最上位に厳しい世界である。

 気候の変化が激しく、農作物は荒れ果て、それゆえ少しでも豊かな土地を求めて戦争が止まぬ時はないとされているほどだ。おまけに魔物なんていう人間を襲う魑魅魍魎が当然のように跋扈するのだからたまらない。

 あまりに悲惨でそれほど頻繁には様子を見ないため、どうにも最近は堕天した天使たちがこっそり逃げのびて暮らしているなんて噂が立つほどである。


「やっべぇ……マジやっべぇ。いまさら戻せねえんだけど」

「あ、あの、神様? もしや下界研修へ行く者をその世界に……?」

「そ、そんなはずないじゃろが! これはアレだから、寸前で間違いに気づけて良かった的な話じゃから! もうホント、ギリギリの寸前で回避できてセーフみたいな感じ? みたいな?」

「そ、そうですか。それなら良かったです」

「うむ、大丈夫じゃ。問題ない」


(やっべぇぇぇぇぇぇぇっ! どうしよこれマジで! いやでも、あやつのことじゃから、この厳しい世界でもなんとか無事にやっていけるんじゃない!? その可能性もなくなくなくない!? よし、信じる! わしは信じとるからの! この世界でたくさんのことを学んで立派に成長し、ふたたび元気な姿をわしに見せてくれる日が来ることを!)




 ――数千年後。


「……ふぅ、わしもそろそろ引退を考える時期かのぉ」


 やや疲れた声でそんなつぶやきを漏らしたのは、何代も後の神様である。

 その言葉を聞き、傍にいた天使がペラリペラリと本をめくった。

 どこかで見たような光景だ。


 ふと、神様が言った。

 おぬしを次期神様として推薦したい、もし下界研修を受けていないのなら、今からでも下界へ転生させてやろう、と。

 慌てた天使は、本を数ページめくる。


「何代か前の神様が、無理やり熾天使を下界へと転生させたことがあるそうです。何かのはずみで、とても厳しい世界へと送り込んでしまったとか」

「して、その結果どうなったんじゃ?」


 天使は、本を開いたまま神様へ差し出した。

 記載されている内容を目で追う神様。


「うっ……なんか気分悪くなってきた。もういい。閉じて。お願いじゃから」

「大丈夫ですか?」

「のお……これって本当にあった話かの? 怪談の類とかじゃなくて?」

「以前に少し興味があって調べたことがあるのですが……ガチです」

「あっ、そうなんだ……」


 背筋を伸ばして深呼吸し、新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ神様は、どうにか気分を落ち着かせて爽やかな声で言った。


「――うん、もう次期神様はおぬしでいいや」

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異世界短編集 一期一会 飛鳥けい @asuka_kei

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