第5話【ダンジョンは憩いの場】

 ――この世には、ダンジョンというものがある。


 地下深くに広がる巨大な迷宮の底にたどりついた者は誰もおらず、なぜそんなものが存在するのかさえ、誰も知らない。太古の昔からその地にあったのか、はたまた誰かが造ったのか、そういった記録は一切発見されていないのだ。


 生命の鼓動のように度々構造を変化させるダンジョン内部には、無数に生まれる魔物がはびこり、侵入してきた者へと襲いかかる。そのような恐ろしいダンジョンには、大半の人々は近づきたくもないと考えるだろう。


 だが、ダンジョンに潜ろうとする者は後を絶たない。

 迷宮に生息している魔物の体内には、魔石と呼ばれる結晶体が存在している。


 エネルギーの塊ともいえる魔石は、魔導機関の動力源として使用され、その発展に大いに貢献してきたといえる。風車小屋にある大きな歯車は天候に左右されずに臼を動かして麦を挽き、麦袋をいっぱいに積んだ輸送船は凪の日にも出港することが可能となった。今では麦粉を練って作ったパンを焼く竃にすら魔導機関が組み込まれているのだ。


 その恩恵は、人々が暮らす上で欠かせないものとなっていた。

 ダンジョンに潜り、魔石をたくさん持ち帰ればそれが金銀財宝へと化ける。

 それゆえに迷宮へと足を運ぶ命知らずはとどまることを知らず、一攫千金を夢みてダンジョンに挑む者たちが後を絶たなかった。



 しかしながら、そのダンジョンへの認識は、今は昔の話である。


 なぜかといわれれば、数年前、ついにダンジョンの最深部にたどり着いた若者が誕生したのだ。


 並外れた強さを有する若者の名前は、リオ・ヴェルニー。

 彼が言うには、最深部にはダンジョンの核とも呼べる物体が存在しており、ダンジョンの意思が自らにコンタクトを取ってきたというのだ。


 曰く、ダンジョンというものは生物の一種であり、別に人間へ害をもたらす意思はないという。ダンジョンの魔物が人間を襲うのは間違いないが、これはダンジョン内部――つまりは身体の中に入ってきた異物である人間を排除するため、自動的に生み出されるものらしい。

 そっとしておいてもらえれば、何も悪さはしないとのことだ。


 リオが持ち帰った情報は衝撃的であったが、地上の代表者たちの反応はいたって冷淡だった。


 すなわち、『これまでと何も変わらない』というものだ。


 魔導機関が普及するにつれて、必要になる魔石量は増えていくばかりであり、いまさらダンジョン内部への立ち入りを禁止し、魔石の供給をストップさせるわけにもいかなかったのだ。




「……すまない。どうやら、お偉方の連中の意見は変わらないようだ」


 ダンジョンの最深部、地下深くに存在する部屋の内部は、壁から月明かりのような柔らかな燐光が漏れることで見渡せるほどには明るい。そんな不思議な部屋のなかで、どっかりと床に座り込んでいるのは、赤みがかった茶褐色の髪に、田舎村で育ったせいか健康的な褐色の肌をしている青年だった。


 彼こそがダンジョンの最深部に到達できた唯一の人間、リオである。


「あなたが謝ることじゃないわ」


 リオの眼前には光る球体のようなものがあり、今の声はそこから聞こえてきたもののようだ。

 次の瞬間、球体の内部から溶け出るように分離した光の粒子が、徐々に人の形を成していく。


 しばらくすると、そこには肩ほどまである銀髪を後ろで結わえている容姿端麗な女性の姿があった。

 肌は雪のように白く、意思の強そうな紫紺の瞳に、柔らかそうなぷっくりとした唇はほんのりと赤い。

 お世辞ではなく、その姿はリオが今までに会ったことのあるどんな女性よりも美しい。


「あ……はは。何度見ても、驚きを隠せないよ。まさかダンジョンがこんなにも美しい女性だったなんて」

「それはちょっと違うかな。わたしはこのダンジョンの意思であって、あなたと話をしやすいように形を変えているだけだもの。性別という概念は、地上の生物特有のものでしょう」


「しかし、君がおれの前に姿を現すときは、いつもその格好だろう?」

「……うーん、なんだかこの姿が一番しっくりくるのよね。もし自分が人間として生まれていたのなら、こんな容姿になっていたのかも」


 くるりと無邪気に自分の身体を見回す様は、まるで年端もいかぬ可憐な少女のようでもある。


「それなら、やっぱり女性と表現してもおかしくはないと思うぞ」


 優しそうな笑みを浮かべていたリオだが、その表情はしだいに真剣な面持ちとなっていく。


「……やはり、だんだん弱ってきているんだな」


 ダンジョンが生き物であるというのならば、超常的現象によって無限に魔物を生み出し、無限に魔石を得られるわけではないことに、気づくべきなのだ。

 いや、地上の代表者などはダンジョンが疲弊していくであろうことを予測しているのかもしれないが、やはり魔石の入手が最優先なのだろう。


 最深部にある光の球体の輝きはわずかに曇っており、ダンジョンの意思だという彼女の顔色もほんのわずかに翳りがある。身体の中に異物である人間が侵入し、ダンジョン内をさんざん荒らしていけば、調子が悪くなるのも当然といえた。


「ま、おれも人のことは言えないか。君に会うまでは魔物を狩り続け、ついにはこんな奥深くにまで来てしまったんだから」

「あれ以来、あなたが極力魔物を殺さないようにしてここまで来てくれてるのは知ってるけど、そんな余裕があるのはきっとあなたぐらいね」


 たしかに、いまだダンジョンの最深部にたどり着いたのはリオだけなのである。数年間という月日が経っても、他に誰もたどり着けていないのだ。それほどに、彼の力量は抜きん出ているのである。


「だけど、このままだと君は死んでしまうんじゃないか? ダンジョンに魔石を求めてやってくる連中は、減るどころか増える一方だ」


 ダンジョンが人間に害を成す存在ではないとリオが提言しても、人間の生活にとって魔石は欠かせないものとなっているのだ。もはや論点はそこにないのである。


「いっそのこと、おれがダンジョンの入り口で誰も通さないようにすればいいんじゃないかな」

「そんなことをしたら、あなたはたくさんの人に恨まれるでしょうね。それに、偉い人たちの反感を買えば、さすがのあなたも多勢に無勢でやられちゃうんじゃない?」

「見くびってもらったら困るな。軍隊がやってきたとしても、そう簡単にはやられはしないさ」


 自信満々に胸を張るリオの姿を見て、彼女は嬉しそうに目元を緩ませた。人間と同じ感情があるのかは判然としないが、今の言葉は非常に好ましいものだったようだ。


「残念ながら、まだまだわたしは元気なのでその必要はありません。それに、あなたが同情しやすいように、わたしはわざとこんな外見をしているのかもしれないよ? もしかすると、騙されて利用されている可能性とかも考慮しなさいよ」


 そんな意見に、リオは声を上げて笑った。


「な、なによ? わたし、そんな変なこと言った?」

「いや、そうじゃない。笑って悪かった。ただ……」


「ただ?」

「そう思ってるのなら、自分でそうは言わないだろう。もしそれさえ計算された演技だというのなら、きっと騙されたおれが悪いんだろうな」


「……変な、人間」

「だろうね。おれは地上の人間のなかでも変わり者なんだと思うよ。それじゃあ、また」


 リオはそう言って、ダンジョンを後にした。




 ――それからさらに数年。


 リオは何度かダンジョンの最深部に足を運んだが、そのたびに弱っていく彼女の姿を見ることになった。ダンジョンの核である光の球体は翳りを増し、弱々しい光が、彼女の命が残りわずかであることを容易に連想させた。


 ここ数年、さらに魔導機関が発達したことで魔石の需要は爆発的に増加していたのだ。


「――それじゃあ……また」


 彼女に会い、しばし言葉を交わしたとしても、リオにはどうすることもできなかった。


 そうして地上へと戻る道の途中、リオは爆発音を耳に捉えた。

 最深部とはいえないまでも、ここもかなり深い階層である。魔石を求めてダンジョンに潜る連中も、ついにここらまで来るようになったのか。


 そんな思いに耽りながら、どうやら音がした方向から助けを求める声がすることに気づいた。

 さっきの爆発音は、この階層に出現する赤竜のものである可能性が高い。灼熱の炎を吐き出す恐ろしく巨大な魔物であるが、刺激しなければやり過ごせる相手でもある。

 おそらくは、魔石を狙う連中がわざわざちょっかいを出したのだろう。



 ――案の定、助けを呼ぶ悲鳴のような声がした現場に到着すると、それはもう凄惨な光景が広がっていた。


 炎で丸焦げになった死体や、竜の顎に引き裂かれ、人間だったものの残骸がそこら中に散らばっている。


「あ、ああ! たす、助けて! お願いだ」


 とはいえ、まだ全滅というわけではなく、恐怖のせいで剣すらまともに握れていない男が泣き喚いていた。

 リオはすぐさま助けようとしたが、その動きにわずかながら鈍さが入り混じった。


 魔石を求めてダンジョンに潜る連中が、憎くてしょうがないわけではない。

 自分だって昔は同じようなことをしていたのだ。魔石を必要とするのは理解できる。

 いくらダンジョンに意思があったとしても、最深部で実際に彼女と言葉を交わしたのは自分だけだし、ダンジョンに挑む多くの者にとって、魔石を持ち帰るのは、鉱山で有用な鉱石を採掘することと何ら変わりはないだろう。


 彼女に言ったように、自分は地上の人間のなかでも変わっているのだ。


 だって仕方ないじゃないか。


 あのとき、初めてダンジョン最深部で彼女に会ったとき、その一瞬で――


「ぐぅ…………っ!!」


 そんな思考が、リオの動きをほんのわずかに鈍らせた。襲いかかろうとする赤竜から男を無事に助け出すことには成功したものの、リオは片腕を赤竜に喰い千切られてしまったのだ。


「あ、わわ……腕が」

「……さっさと逃げろ!」


 語気を強くした言葉に、助けられた男は一目散に駆けていく。

 その様子を視界の端に捉えながら、リオは隻腕となった状態で剣を鞘から引き抜いた。


「ゴアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」


 勝利を確信したかのような咆哮が鼓膜をつんざいたが、リオは真正面から赤竜を見据える。


「片腕を奪ったぐらいで勝ちを宣言するには早いだろう。こっちはまだまだ戦えるぞ」


 リオの言っていることは、強がりでもなんでもない。

 彼は、片腕を失った状態であっても赤竜と戦って勝利を収めるだろう。


 しかし、そこで彼はふと思った。

 これほど巨大な魔物を殺してしまえば、いったい彼女にとってどれほどの負担になるだろうか。


「いまさら……なにを」


 彼女に会って以来、極力魔物を殺さないように配慮はしていたが、その数はゼロではない。彼女に会おうと最深部を目指せば、戦いを避けられない場合も当然ある。それが彼女の負担になっていると知っていても、会いたい気持ちを抑えることはできなかったのだ。


『――それじゃあ、また』


 その言葉に、彼女が微笑みながら頷いてくれていたのだから。

 がしゃん、と剣が地面に落ちる音が響く。


 武器を投げ捨てた相手を見て、赤竜はふたたび咆哮を上げた。


「言っておくが……お前の迫力に戦意喪失したわけじゃないからな」

「ゴアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」


 赤竜の口腔内が焼けた赤熱色に染まっていき、周囲の空気がジリジリと悲鳴を上げる。


「ああ……こういう結末も、悪くない」


 ――助けてもらった男は、自分のせいで片腕を失ってしまった命の恩人が心配だったようで、あまり間を空けずに赤竜が暴れていた場所に戻ったという。

 しかしながら、慎重に周囲を窺っても赤竜の姿はなく、また命の恩人の姿も見つけることができなかったらしい。さきほどまでの喧騒が嘘のように静けさに満ちていたそうな。




 ――結局、その後もダンジョンに潜って魔石を持ち帰る者が減ることはなく、しばらくしてダンジョンは一夜にして消滅してしまった。


 本当に、突然煙のように消え失せてしまったのだ。


 魔導機関を生活の基盤としていた人々は激しく動揺したが、不思議なことにダンジョンが消滅したあとに、世界各地にいくつもの新たなダンジョンが出現した。


 こうして、人々は喜び勇んでふたたびダンジョンに潜っていくこととなる。

 きっと、誰も深く考えることはしなかっただろう。


 ――ダンジョンが生き物であるならば、各地に出現したダンジョンが、いったいどうやって生まれたのか、などということは。

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