第3話【刀鍛冶は今日も槌を振る】
倭国のとある町に、とても腕の良い刀鍛冶がいた。
刀鍛冶の名前は玄斎。
毎日のように鍛冶場で槌を振り続け、何百、何千という刀を生み出してきた稀代の名工である。
鋼の特性を誰よりも熟知し、粘り強く、かつ強靭な刃を作り出すことに心血を注いできた彼は、戦乱が絶えない時代にはとても重宝されていた。
玄斎が打ち鍛えた刀には、魂さえ宿るとされていたほどである。
しかしながら、戦乱の世が落ち着けば民というのは気まぐれなもので、もてはやしていた玄斎への態度も変容していった。
刀というのは武器であり、根幹的には人殺しの道具でしかないと否定的な見方をする者が多くなっていき、しだいに刀を打ってほしいという依頼も減っていったのだ。
玄斎とて、当然ながら刀が人を斬るものであることは理解していたし、それを打ち鍛える行為について何も想わなかったわけではない。
刀で斬られれば、人は死ぬ。
死ぬということは、幸せとは程遠い。
そんなことは、わかっている。
ただ、ひたすらに刀を鍛えることに費やしてきた自分の人生を、いまさら否定する勇気がなかっただけかもしれなかった。
――年老いた玄斎は、ある日、ふと槌を振り下ろす手を止めた。
炎が燃え盛る赤熱した炉を前にして佇み、彼は時が止まったかのようにしばらく佇んでいた。
突如、玄斎は工房の隅に置かれていた刀をおもむろに掴み取り、金床に乱暴に固定すると、勢いよく槌を振るって刀を叩き折ってしまった。
その勢いは止まることなく、彼は次々に刀を使いものにならないように破壊していく。
ついには蔵にしまってあった刀までを引っ張りだし、打ち壊していくではないか。
工房には玄斎以外は誰もおらず、その行為を止める者は誰もいない……そのはずだった。
『げ、玄斎殿! な、なにをなさるんですか!?』
だというのに、槌を振るう玄斎の手を止める声が上がった。
声というよりも、彼に語りかける存在があったというべきかもしれない。
「これは……驚いたわ。不思議なこともあるものだ」
玄斎を静止させたのは、まぎれもなく次に叩き折られようとしていた刀だったからだ。
過去には、彼が打ち鍛えた刀には魂が宿るなどと賞賛されていたが、実際にこうして語りかけてくる刀を目の当たりにしては、玄斎も驚きを隠せなかった。
「これは……わしの幻聴か?」
『い、いえ。玄斎殿は息災です。本来であれば、魂を宿したとはいえ、刀にすぎないわたしが誰かに語りかけるなど、あってはならないことですから』
「……ほほう、なかなかに面白い。たとえこれが夢幻であったとしても、刀と会話するなど初めてのことだからな」
玄斎は握っていた槌を作業台に置き、刀の声に耳を傾けた。
ひとまずは壊される心配はなくなったようで、刀は落ち着いた声で話しかける。
『なぜ、刀を壊すような真似をなさるんですか?』
単刀直入なその質問に、玄斎は表情にわずかながら寂しげな色をにじませた。
「……わからなくなった、というのが本音だな。刀は人を斬ることを目的としたものであり、それを打ち鍛えることに疑問を抱いたことがないと言えば嘘になる。だとしても、まだ必要とされているうちはあまり深く考えずに刀を打つことができた」
昨今では、刀を欲しがる者が極端に少なくなってきているのだ。
「急に虚しくなったのだよ。わしが人生をかけてやってきたことは、果たして意味があったのだろうか、とな」
『そんな、玄斎殿ほどのお方が……』
「わしも昔は天才だの鬼才だの、色々と評された。しかし……人間というのは弱い生き物なのだ。ふとしたことで、自分がやってきたことに疑問を感じたりもする。死ぬまで自分は間違っていなかったと胸を張れる者は、天才というよりは狂人というべきだろうな」
玄斎はそう言って、ふたたび作業台に置いていた槌に手を伸ばした。
「さて、お前には悪いが一度決めたことだ」
『ま、まま、待ってください! 玄斎殿! たしかに刀は人を斬るためのものです。だとしても、それが誰かを守るためという場合もありましょう。幸せをもたらす刀というのも、あっていいのではないでしょうか?』
叩き折られることに恐怖を感じたのか、刀は必死に玄斎を止めようとする。
「なかなか言いよるわ。仮にもわしが鍛えた刀なら、いさぎよく叩き折られる覚悟をみせてみいと言いたいところだがな」
『こ、こういうのはどうでしょう。玄斎殿の鍛えた刀が、持ち主にどういった結果をもたらしたのか、実際に確かめにいくというのは? それを見届けてからでも判断を下すのは遅くないかと』
「むぅ……」
まさか刀に説得されることになるとは思ってもみなかった玄斎は、しばし黙りこんだ。
自分が生み出した刀を手にした者が、どのような人生を送ったか、少なからず興味があったからだ。
独りで思い詰めるよりは、いいかもしれない。
「いいだろう。わしの刀によって幸せになったという者がいれば、考えを改めないでもない」
そう言った玄斎は、魂とやらが宿った刀を鞘へと収めて腰に帯び、手早く旅装を整えた。
さすがに何千と生み出してきた刀の行き先を全て把握しているわけではないが、特に良い出来だった作品を誰に譲ったかというのは、概ね覚えている。
いくつかの町を廻ることになるだろうから、路銀は多めに持った。
「……では、行くとするか」
――まず訪れたのは、玄斎の作品の中でも随一の切れ味を誇る刀を購入した武家であった。
門扉を軽く叩くと、家人が顔を出した。
訪ね人が玄斎であることを見ると、家人は明らかに嫌そうな顔をする。
家人曰く、玄斎の刀を所有していたのは武家の息子だったそうで、戦争が激しかった時代はその刀で敵を多く斬り殺すことで武勲をあげたという。
しかし、戦争が終わったというのに、刀で人を斬り殺すことに快楽を覚えてしまったようで、最後には辻斬りまがいのことをして捕らえられてしまったのだという。
「申し訳ないのですが、お帰りください」
乱暴に閉められた門扉の前に佇む玄斎は、しばらくしてその場を去った。
玄斎の刀は玉鋼を極限まで鍛造したもので、その美しく強靭な銀白色の刃が煌めく様は、たしかに人を魅了するだけのものがあったのかもしれない。
『とんでもない。刀を振るうのは、それを手にした人間です。いくら切れ味が良いからといって、それを理由に刀が悪いように言うのはお門違いってやつですよ』
刀が憤慨する、という表現が正しいのかはわからないが、玄斎の腰に下げられている刀は怒りを露わにしていた。
刀に説得されてこのような旅に出てしまった玄斎からすれば、刀にそそのかされて辻斬りといった蛮行に至ることもあるのではと想像を膨らませたが、さすがにそのような狂気を刀に込めたことはない。
「……まあ、こんなものだろう。やはり刀なんてものは戦場で人を斬り、いざ日常に戻れば厄介事の種にしかならないというわけだ。わしが妻に愛想を尽かされてまで心血を注いだ結果がこれというのは、なんとも虚しいものよな」
晴天の空を見上げる玄斎は、寂しげに溜息を吐いた。
『玄斎殿には、奥方が?』
「妻と息子がいた。わしがあまりに鍛冶仕事ばかりの人間だったから愛想を尽かされてな。もうずいぶんと前に家を出ていったが……ごほんっ」
刀を相手に身の上話をしていたことに若干の恥ずかしさを覚え、玄斎は次の町へと歩を向けた。
しかしながら、その後も玄斎の刀によって幸せになったという者には、なかなか出会うことができなかった。
やれ決闘に使用して友人を殺してしまっただの。
やれ借金の形に強引に奪われた挙句、結局は一家心中しただの。
いくつもの町を廻ったが、血生臭く、泥臭いような話ばかり玄斎の耳に入ってくるのだった。
「ふむ……今日はこの町に泊まることにするか」
顔に疲れがみえてきた玄斎が町へと到着し、入り口にある橋を渡っていると、後方から馬の嘶きと何かが倒れる音が聞こえた。
振り返ると、荷馬車が転倒して助けを求める声が上がっている。
近くにいた玄斎が駆け寄ると、どうやら女性が荷車の下敷きになってしまっているようだ。
すぐに助けようとしたものの、玄斎だけの力では荷車はビクともせず、時間帯のせいか橋の周りには他に人影が見当たらなかった。
『玄斎殿、わたしを荷車の下に!』
何を言わんとしているかは、玄斎にもすぐにわかった。
荷車の隙間に刀を差し込み、テコで荷車を浮かせば女性も抜け出すことができるかもしれない。
鞘ごと刀を荷車の下に差し込み、玄斎は全体重を勢いよく刀の柄にかけた。
普通なら丸太のような丈夫なものを使うべきだ。
刀のように細い物体に多大な負荷をかければ芯が歪んでしまう。
だが、玄斎の刀は剛性と柔性を兼ね備えた逸品であるため、非常に強靭。
結果的に、かなり刀に無理をさせてしまったが、荷車の下敷きになっていた女性は助けることができた。
「あ、ありがとうございます」
「礼などいいから、早く手当をしてもらうことだ」
素っ気ない返事をしながら、玄斎は刀を持ち上げて刀身の状態をジッと観察している。
「さすがに少し曲がってしまったか……おい、返事をしろ」
『…………』
刀は喋らないのが当たり前だが、あれだけ流暢に話しかけてきたやつが黙りこんでしまうと、玄斎も心配せざるを得ない。
「……まだ旅の途中であるというのに、先に壊れてしまうやつがあるか」
「あの、わたしを助けるために大切な刀が傷んでしまったんですよね。主人が町で鍛冶屋を開いていますので、ぜひ修理させてください」
助けた女性の申し出は、玄斎としても嬉しいものだった。
いかに名工であろうとも、設備も工具もない場所では刀を打ち直すことはできない。
「それはありがたいが……わしはこれでも刀鍛冶でな。少しばかり工房を貸してもらえれば、自分で直せる」
もちろんそれで構わないという女性に町の中を案内され、玄斎は鍛冶屋の前まで連れてこられた。
鍛冶屋……といっても、玄斎のように刀を作っているわけではなく、店頭に置かれているのは包丁や鍋のような調理具、鍬や鋤といった農具ばかりだ。
「ふむ……なかなか良い腕のようだ」
包丁の造りをみると、刀身に一切の歪みはなく、刃付けの角度も理想的といえる。
農具なども、客足が途絶えていないことを鑑みると丈夫で良い物なのだろう。
助けた女性は、夫に事情を説明してくると工房に駆けていった。
しばらくすると、奥にある工房から一人の男が顔を覗かせた。
「どうもありがとうございました。妻を助けていただいたようで――ぁ……」
「かまわぬ。それよりも早速工房を……」
玄斎と鍛冶屋の主人は互いに言葉を詰まらせたが、先に口を開いたのは男のほうだった。
「ち、父上!? こんなところでいったい何を……い、いや、妻を助けてくれたのは、父上だったのですか!?」
「お、おぬしこそ!」
なんともらしい偶然であるが、この鍛冶屋の主人というのは玄斎の息子らしい。
ずいぶん前に家を出たときはまだ少年という年頃だったが、今やもう立派な大人となっていた。
「ふむ……わしが気ままに旅をしようが、おぬしには関係あるまい。それで……あいつは元気にしているのか?」
あいつ……というのは、玄斎に愛想を尽かして出ていった妻のことだろう。
「母上は……二年前に亡くなりました」
「……そうか」
玄斎はしばし黙祷を捧げるようにしてから、改めて周りを見回した。
「それにしても、おぬしが鍛冶仕事で生計を立てていようとはな」
玄斎は息子に小さい頃から鍛冶の技工を教えこんでいた。それは傍から見ても厳しい修行の毎日であり、母親が息子を連れて家を出ていった要因の一つかもしれなかった。
息子が弱音を吐いていたことも記憶している玄斎としては、辛いと感じていたことを仕事としている相手に疑問を覚えたようだ。
「はは……それを言われると苦しいですね。父上の教え方は厳しかったですから。でも、わたしは鍛冶が嫌いだったわけじゃありませんよ」
真っ赤に焼けた鉄を炉から取り出して金床に据え、槌を振り下ろして綺麗な火花が盛大に飛び散る――その光景は、子供心をたまらなく惹きつける魅力があったのだ。
「そうか……たしかに、今こうして出来上がっている作品を観れば、おぬしの腕もなかなか上達したのだろうことはわかる」
「父上には、まだまだ敵いませんけどね」
「……ふん。話はこれぐらいにするとして、工房を使わせてもらうぞ」
「ええ。妻を助けるために刀を傷めてしまわれたとか……おや?」
玄斎の息子が刀に目を留め、驚くような声を上げた。
「それは、まさか……蔵にしまってあった刀ではありませんか? ああ、やっぱりそうだ」
玄斎から刀を受け取り、眺めることしばし。
「うん? その刀が、一体どうしたというのだ?」
「覚えていませんか? これはわたしが初めて工房に入らせてもらったときに、父上が記念にくれたものですよ」
「なん……だと」
「これぐらいの刀を打てる鍛冶師になれって……そう言ってくれたんです」
玄斎の脳裏に、忘れ去っていた過去の記憶が鮮烈に蘇った。
彼は、息子にいつか自分を越えるほどの鍛冶師になってほしいと願っていたのだ。
おそらく、父親としての威厳を保ちたいという見栄もあっただろう。
そのとき持ちうる全ての刀工技術と思いの丈を込めて、完成した一本を息子に渡した。
「なるほど……どうりで」
数ある刀の中で、なぜこの刀だけが魂を宿し、玄斎に語りかけてきたのか。
その理由が、ようやくわかったような気がした。
「あの、父上……」
息子が意を決したようにして、静かに思いに耽っていた玄斎へと呼びかける。
「せっかくこうして再会できたのです。よかったら、これからは一緒に暮らしませんか?」
「おぬし……いきなり、何を言い出すのだ」
「正直なところ、わたしは刀よりも、包丁や鍬のような生活に身近なものを作っているほうが性に合っている気がします。刀鍛冶の父上からすれば不満もあるでしょうが……」
「……別に、それが悪いわけではなかろう」
玄斎は、誰にも聞こえぬほどの小声でそう言った。
「そんなわたしですが、もう一度見てみたいのですよ――」
天才の息子が、必ずしも親に匹敵する才能を開花させるとは限らない。
期待が重荷に感じることも、あるかもしれない。
それでも、息子が幼少のときに憧れたのは、紛れもなく……。
「――父上が鍛冶場で槌を振るう、その姿を」
――しばしの静寂。
玄斎は、物言わぬ刀となってしまった相手へ、ゆっくりと視線をやった。
(そういえば、わしの刀によって幸せになった者がいれば、考えを改めるのだったな……)
刀へとそっと手を伸ばし、曲がってしまった刀身を優しい目つきで眺める。
「ああ、刀鍛冶をしていて……よかった」
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