第2話【薬草採りの少女と竜】
とある国の城下町に、薬草採りの少女が住んでいた。
彼女の名前はライム。
彼女が山から採ってくる薬草は非常に治癒効果が高いもので、薬剤師の間で好んで使用されていた。
他の薬草採りが山に入っても、彼女が摘んでくるような上質な薬草を発見できないのだ。
ライムは、その秘密の場所を母親から教わった。
一般的に、薬草採りを生業にする者は、自分の採取する薬草の群生地を誰にも教えることはしない。
生活の糧を得るための大切な秘密であり、万が一にでも誰かに場所を知られると、次に育つはずだった薬草の芽まで全て摘まれてしまう可能性が高いからだ。
そうなれば険しい山中で新たな群生地を命懸けで探さなければならない。
ライムの母親も、娘にさえずっと秘密にしてきた場所を、亡くなる少し前にやっと教えたぐらいである。
「さて……と、準備もできたし、気合を入れなくちゃ」
野山に暮らす動物たちが嫌う香り袋を腰にくくりつけ、摘んだ薬草を持ち帰るためのカゴ、革製の水筒、干し肉、固く焼きしめたパンなどなど、諸々の準備を終えたライムは、早朝に城下町を出発した。
彼女が向かうのは、山奥にある秘密の薬草群生地である。
冬を越し、最近は暖かくなってきたため、野山には木の実といった食糧が豊富にあるはずだが、それでも野生動物に襲われる危険性はある。
香り袋の中に詰まっている粉を少しだけ身体にふりかけ、ライムは険しい山道を進んでいった。
休憩をはさみながらであるが、昼前には目的の場所にたどりつくことができた。
「ふぅ……無事に来られたけど、なんだか今日は変な感じがするわね。香り袋のおかげで野生動物に遭遇しないのはいいけど、鳥の鳴き声もしないし……どうしたのかしら」
いつもであれば、この辺りでは鳥のさえずりが聞こえるはずなのだが。
とはいえ、苦労してたどりついたのだから、あまり暢気なことも言っていられない。
さっそく薬草摘みを開始した彼女は、きちんと育った薬草のみをカゴに入れ、まだ小さなものや芽は踏まないよう、注意しながら手際よく作業をしていく。
『――ここで何をしている? ヒトの子よ』
しばし採取に没頭していたライムであるが、その突如聞こえてきた声にハッとして顔を上げた。
そこにいたのは――巨大な竜。
城下町の立派な建物よりもさらに巨大な竜は、真っ赤な縦長の瞳を真っすぐにライムに向けていた。雄々しい角に大きな牙、丸太のような腕の先には鋭利な爪、しなる尻尾は熊をも一撃で吹き飛ばせるほどに大きい。そして背中には巨体を浮かすための二枚の翼が折りたたまれていた。
このような巨大な生物がここまで近づくまで、なぜ気づくことができなかったのか。
いくら薬草摘みに夢中になっていたとしても、それなりに彼女も警戒していたはずなのに。
いや、そもそもなぜ竜がこのようなところにいる。
竜というのは、ほとんど伝説に近い存在だ。
知能は人間以上とされており、怒れば天変地異すら引き起こすとされている災害級の神獣である。当然ながら、ライムも遭遇するのはこれが初めてである。混乱のあまり思考がまとまらない彼女に対して、ふたたび声が響いた。
『何をしている……と聞いたのだが?』
やはり……というか間違いなく、この声の持ち主は眼前の巨大な竜のようだ。
その現実をやっと受け入れることができた彼女は、大きく深呼吸をしてから慎重に竜へと返答した。
「あの、わたしは薬草採りで生活しているライムといいます。ここにはいつものように薬草を採りにきました。ここは母から教わった特別な場所で、傷に効く良い薬になるんです」
丁寧な返事に、竜はこくりと頷いた。
『ふむ……そうであろうな。ここには我が同胞の波動を微かにだが感じる。おそらく、この地面の下に亡骸が埋められているのであろう。我ら竜の身体には、強力な癒しの力があるとされているからな』
どうやらこの一帯に群生している薬草には、埋葬されている竜の亡骸が影響を及ぼしているようだ。
『同胞の亡骸を埋葬してくれたのは、そなたか?』
「いえ、わたしではありませんが……母がずっと昔に、風化して崩れかかっていた大きな生物の骨を、ここに埋めてあげたと言ってました」
ライムの母親も、まさかその骨が朽ちた竜のものだとは思っていなかっただろう。
『なるほど……そなたの母親に礼を言いたい。案内を頼めるか?』
「あの、母はもう亡くなってしまいました。わたしは教えてもらった場所に薬草を採りに来ていただけで……」
そう言うと、竜はピンと上を向いていた尻尾を下向きにし、どことなく悲しげな顔をしてみせた。
『……そうか』
その様子を見て、ライムは竜という生き物に対する認識を改めた。たしかに凄まじい力を有しているのかもしれないが、彼女へ示した紳士的な態度からは、野生の獣のような荒々しさが微塵も感じられないのだ。
まだ少し……いや、かなり怖いが、必要以上に恐れていては相手に失礼かもしれない……そう考えたライムは、落ち着いて対話を進めていった。
「えと、竜……さん、はお名前とかってあるんですか?」
『うむ、名はロヴェルグという』
「どうしてこの場所にいらしたんですか?」
『この地にわずかなれど同胞の波動を感じたのでな。我ら竜は何千年と生きる長命種であるが、その反面、数は非常に少ない。我はもう何十年も同胞に会っておらぬし、それを寂しく想う気持ちはヒトのそなたにも理解できよう』
何千年、という途方もない年月は実感が湧かないが、何十年も独りでいることの寂しさは、ライムも少し理解できる気がした。
つまり、ロヴェルグは仲間がいるかもしれないと感じ、この場所へとやって来たのだ。
しかしながら、その仲間はとうの昔に亡くなっており、朽ちた骨は地面の下に埋葬されてしまっていた。
「ここに生えている薬草を……わたしは採ってもいいのでしょうか?」
『なぜ、そんなことを訊く?』
「この群生地帯に生えている薬草の効能が優れているのは、ロヴェルグさんの同胞の亡骸が埋められているからなのでしょう? だったら、この地をそっとしておいてほしい……とか思うんじゃないかと」
ライムの言葉に、ロヴェルグの深紅の瞳がわずかに緩み、低く静かに響く声に笑みが混じった。
『その心遣いは嬉しいが、そなたはここで採れる薬草を売って生活の糧としているのだろう。同胞をきちんと埋葬してくれただけで、我は十分に感謝している。好きなだけ採るといい』
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。ですが、今回はこれで十分です」
『よいのか? まだたくさん生えているようだが』
「ええ、でも、薬草採りの基本は採り過ぎないことなんです。小さな芽も、しばらくすれば立派な薬草に成長してくれますから」
『なるほど……そなたは定期的にここに薬草を採りに来るというわけか』
「はい」
『我は同胞を捜すために世界を転々としていたが、少々疲れた。しばしこの地で休むことにする故、もしここに来ることがあれば話し相手になってくれるか?』
ロヴェルグの声はとても穏やかであったが、どこか寂しげでもあった。
そんな竜の願いを断る理由はどこにもなく、ライムは快く了解の意を伝えたのだった。
――それから一年。
ライムは薬草を採りにいくたびに、ロヴェルグに出会った。
いつも群生地のあたりで寝転がっているので、もしかすると暇なのかとも思ってしまったが、よく考えれば寿命が数千年もある長命種なのだ。ほんの一年ほど、戯れにヒトの子と会話する時間に費やしたとしても、何ら問題はないのかもしれない。
会話の内容も、本当に戯れであったといえる。
ロヴェルグが世界を転々としていた頃の異国の話などは、特にライムの興味を惹いたようで、いつか時間に余裕ができれば行ってみたいと口にしていた。
また、ロヴェルグは狩った野生動物を喰らうことで腹を満たしていたようだが、ライムが差し入れに持ってきた料理を口にする機会などもあった。当然ながら『これだけでは量が足らん』と愚痴をこぼしていたが、まんざら悪い気はしていない様子だった。
そんな折。
「……もうすぐ戦争が始まるそうです。隣国との国境では、もう小競り合いが始まっているとか」
彼女が口にした言葉に、休んでいたロヴェルグは首をもたげるようにして振り向いた。
『戦争、か。ヒトというのは争うのが好きな生き物だからな』
「そんなことありません! わたしは……争いなんて嫌いです」
ライムがこのように強い語気で否定の言葉を口にするのは珍しく、ロヴェルグは少なからず驚きを覚えた。
「わたしの父はずっと前に戦争に連れていかれ、そのまま帰ってきませんでした。それから母は苦労して、わたしをここまで育ててくれたんです。偉い人たちには何か考えがあってのことかもしれませんが、戦争なんて悲しいだけです。本当なら……わたしが摘んでいる薬草だって必要とされないのが一番なのに……」
そこまで言って、彼女はやや興奮していた自分を諌めるように押し黙った。
『……すまぬ。この一年でそなたの気性がとても優しいものだと理解しているつもりだ。さきほどの言葉は配慮に欠けたものだったな。しかし……もし薬草が必要なくなれば、そなたも困るだろう?』
「それはまあ……その、転んで擦り傷ができたとか、ちょっとした喧嘩で怪我をしたとか、そういうときに必要とされればいいんです。細々とやっていきます」
『喧嘩、か。そういえば、我も昔は仲の良い同胞と少しばかり諍いをすることなどがあったな』
「あはは。ロヴェルグさんみたいな竜同士が喧嘩したら、それこそ人間の戦争より激しい喧嘩になるんじゃないですか?」
『むう? たしかに。我はあまり他の者をどうこう言える立場ではないかもしれん』
人間を丸呑みにできてしまうほどの大きな顎を半分ほど押し開け、ロヴェルグは面白そうにくつくつと笑った。
『……もっとも、長く生きているせいか、そこまで感情が昂ぶることもあまりないがな』
――そんな二人の憩いの時間も、やがて終わりを迎えることとなった。
城下町に戻ったライムは、ある日、王城へと呼び出された。
戦争が激化していくなかで、傷薬の需要は増える一方であり、質の良い薬草が大量に必要だというのだ。
彼女が採ってくる薬草は非常に質の良いものだと誰もが知っている。
彼女以外に薬草採りを生業にしている者も呼び出されており、それぞれ秘密としている薬草の群生地を強引に聞き出されていた。
だが、彼女はそれを頑なに断った。
普段よりも高額な値段で買い取ってやると言われても、一時金としてまとまった金をくれてやると言われても、ロヴェルグと語らいの時間を過ごした群生地の場所を、教えなかったのだ。
もともと紳士的な態度ではなかった王城の担当者は、彼女を口汚く罵った。
「この……売国奴め! もっと金が欲しいとでもいうのか!? みんなが協力して隣国との戦争に勝とうとしているときに……貴様というやつは!!」
彼女にしても、ロヴェルグとの出逢いがなければ素直に場所を教えていただろう。母親から教わった大事な場所であり、群生地に生えている薬草は根こそぎ引き抜かれてしまうだろうが、王城からの命令に真っ向から反対するわけにもいかないからだ。
しかし、あの場所はロヴェルグの同胞が眠る大切な土地だ。
王城の兵士が派遣されれば、荒らされることは間違いない。
なぜあそこの薬草だけ飛び抜けて治癒効果が高いのか、不思議に思って地面を掘り返すこともするだろう。
そうなってほしくはないと、ライムは思ったのだ。
「……なんと言われても、お断りします」
「小娘が! 優しくしていればつけあがりよって!」
怒り狂った担当者は、なんとライムを牢屋に放り込むように命じた。
……拷問してでも、場所を聞き出すようにと。
――それからしばらくして。
ロヴェルグのいる薬草の群生地に、大勢の兵士がやってきた。
金属の鎧がカチャカチャと鳴る音は、遠くにいてもすぐにわかるものだった。
ライムが来たのではないと悟ったロヴェルグは、しばし身を隠して様子を窺うことにした。
兵士たちが乱暴に薬草を引き抜いていく行為も、彼は黙って見ていた。
小さな芽も全てカゴの中へと放り込んだあたりで、兵士たちが地面を掘り返すための道具を手にする。
「しかし、ホントにここの地面を掘り返すのか? けっこう手間だぞ」
「仕方ないだろ。上からの命令なんだ。上質な薬草が育つのは、土壌の成分に秘密があるのか、それとも別の理由があるのか……とにかく調べてこいっていうんだからな」
「別の理由ね……そういえば、この場所を秘密にしていた薬草採りの女は、情報を吐くのをかなり渋ったんだってな。案外、地面の下に見られたくないもんでも埋めてあるんじゃないか?」
「ありゃあ、かなり酷い拷問だったようだぞ。俺は牢屋でちょっと見たぐらいだが、顔も身体も青痣だらけで、さすがに可哀想だったよ。あと二、三日もすれば死んじまうんじゃないかな」
「へぇ、そこまで拒んだってことは、やっぱりここに何かある可能性が高――――」
兵士たちが暢気に会話できていたのは、そこまでだった。
彼らの眼前に、巨大な竜が姿を現したからだ。
『……その薬草採りの少女が捕らえられている場所は、どこだ?』
「り、竜だと!? こ、こんな場所に、なぜ……」
「へ、へへ……初めて見たぜ。もしかすると、こいつが秘密ってやつかもしれないな。竜の生き血を飲めば不老不死になれるって伝説もあるぐらいだ」
荒々しい口調の兵士が、鞘から剣を引き抜いた。
そのまま大きく振りかぶった剣がロヴェルグの身体へと打ち落とされ――鋼鉄の剣はあっけなくバキンと砕け折れた。
「なっ――」
そうして呆然としている兵士の腹を、ロヴェルグの太い尻尾がしなって軽く薙ぎ払う。兵士は宙を吹っ飛ばされて地面へとゴロゴロ転がり、気絶したのかピクリとも動かなくなった。
鋼鉄よりも強固な竜の鱗、大地を斬り裂く爪、大木を薙ぎ倒す尻尾、口から放たれるブレスは鉄をも蒸発させる灼熱の業火。
それらが誇張のない竜の戦闘能力であり、災害級の神獣とされている所以である。
国を一つや二つ滅ぼすことも容易いこと。
そもそも、人間の手に負えるものではないのだ。
『……もう一度だけ言う。少女が捕らえられている場所を我に教えろ。あまり争いを好むほうではないが――なにぶん、これほどの感情の昂ぶりは久しぶりなのでな』
王城の地下にある牢屋の中。
ライムは横倒しになり、頬にはりつく石畳の冷たい感触が、なんとか意識をつなぎとめる助けになっている状態だった。
呼吸をしようにも、肺があまり膨らんでくれないようで、空気を吸おうと努力しても穴の空いた風船のように萎んでいってしまう。ひどく苦しい。
(ああ……たぶんわたしは、死ぬんだろう)
「どうせ死ぬんなら、最後まで頑張るんだったな……ロヴェルグさん……ごめんなさい」
そのとき――王城に衝撃が走った。
彼女がいる地下にまで響くような振動。
まるで大きな飛来物が、速度を落とさずに突っ込んできたような地響き。
なにやら喧騒が聞こえてくるが、耳もあまり聞こえない今のライムには、何が起こっているのか把握することはできなかった。
逃げようにも、牢は閉まっているし、なにより身体が動きそうにない。
必死につなぎとめている意識を手放してしまうほうが、よほど楽かもしれなかった。
「――あ、れ……?」
しばらくすると、彼女は頬に暖かな陽の光が差していることに気づいた。
ここは地下だったはずだ。
だというのに、見上げれば、青く明るい空が見える。
『……どうやら、間に合ったようだな』
傍には、ロヴェルグの姿があった。
いつもと同じように優しげな瞳を彼女に向ける竜は、自らの爪で身体の一部を切りつける。
ポタリ、と彼女の口元に数滴の血が落ちた。
朽ちた骨でさえ、辺り一帯の薬草に影響を及ぼすほどの癒しの力を持つ竜。
その生き血ともなれば、効果はどれほどのものか。
「……すごい、ですね」
命が消えゆく寸前だったライムのあらゆる傷が、なんと一瞬のうちに完治してしまった。
さきほどまでの痛みが嘘のように消えてしまったことに、彼女は驚きを隠せないようだ。
「助けに来ていただいて、本当にありがとうございます」
『うむ。ところで、さきほどはそなたの意思を確認する余裕がなかったわけだが……』
珍しく言い淀むようなロヴェルグの様子に、ライムは首をかしげる。
『竜の血を飲んだ者は、不老不死とまではいかずとも、竜と同じほど長く生きるとされている。そのような者がヒトの世で生きていくのは、色々と大変であることは想像に易い』
つまりは、傷を治すためとはいえ、本人の意思を無視して勝手にそんな身体にしてしまったことを詫びているようだ。
『そなたには……死んでほしくなかった』
「たしかに、ずっとこの姿のままだと、同じ場所に長く暮らすのは難しいかもしれませんね」
『すまぬ』
「……それなら、わたしはロヴェルグさんと世界の色んなところを巡ってみたいと思います」
『なっ……に?』
「同じ土地に留まることができないのなら、世界中を動き回るしかないでしょう」
彼女の突拍子もない提案に、ロヴェルグはしばし沈黙した。
いつか、時間に余裕ができれば異国に行ってみたいと憧れの言葉を口にしていたが……。
ヒトの子と一緒に世界を巡るなどと、長い彼の人生(※竜生)においても未だ体験したことのないものだ。
「それに、同胞となかなか出会うことができなくて、寂しいと言っていたじゃないですか。だったらわたしが、ロヴェルグさんの同胞が見つかるまでの話し相手になるのも悪くはないんじゃないですか?」
それはたしかに、ロヴェルグにとって好ましい提案だった。
竜の数は、とても少ないのだ。
もしかすると、彼がこの世で最後の竜かもしれない。
悠久の時を独りで生きていくのは――ひどく寂しい。
『……こういうときは、なんと言えばいいのだ?』
「えっと、一緒に連れていってくれるんでしょうか? それなら、あの……失礼かもしれませんが、これからはロヴェルグ……と呼んでもいいですか?」
『かまわぬ。我もそなたのことを名前で呼ぶことにしよう』
これは、とある国に住んでいた薬草採りの少女が竜と出逢った物語。
『――よろしく頼む。ライム』
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