異世界短編集 一期一会

飛鳥けい

第1話【勇者がタンスを開ける理由】

 ――この世には、魔王と勇者が存在している。


 血が滴るような死肉を好み、人間を遥かに凌駕するほどの圧倒的な魔力を内に秘めた魔族たちの王――それが魔王。


 血統ではなく、託宣によって魔を打ち滅ぼす者として運命づけられ、人間とは思えぬほどの驚異的な身体能力と魔力を誇る救世主――それが勇者。


 遥か過去に遡れば、魔王と勇者の戦いを伝える物語(サガ)は数多くあり、放浪の旅の途中で吟遊詩人たちが語る英雄譚に、その場にいる者たちは心を震わせたものだった。




 今日も今日とて、一人の吟遊詩人がある辺境の村を訪れた。

 地図にも載っていないような小さな村だったが、あてもなく旅をする吟遊詩人にとっては、大きな街ばかりを渡り歩くだけというのもつまらない。

 このように人があまり来なさそうな辺境の村でこそ、語り部として物語を紡ぐことに意味がある。


 吟遊詩人はそう考え、村にある酒場を尋ねた。

 夕暮れ前という早い時間帯であったためか、酒場には客が一人しかいない。もう少し経って夜になれば客も増え、酒代と寝る場所を確保することができるだろう。


「お? 吟遊詩人がこの村に来るなんて珍しいな。何か面白い話を聞かせてくれよ」


 奥に座っていた男の客が立ち上がり、興味深そうに吟遊詩人へ話しかけてきた。男の年齢は青年というより、もうちょっと年をくった感じだろうか。

 客が一人だけではやや物足りないが、「酒なら奢るよ」という男の誘いを、断る理由は特になかった。


「わかりました。それでは失礼して」


 重苦しい旅装を解き、酒場の店主に一杯注文してから吟遊詩人は雄弁に語り始める。



 ――それは、数あるなかでも最も人気のない英雄譚。



 ある世界の、ある国の、ある場所で、一人の男児が生まれた。

 周囲にいた者たちがどよめき、高齢の老人が声高に叫ぶ。


「間違いない。託宣があった! この御子は勇者となられるに違いない。必ずや人類に繁栄をもたらすであろう!」


 そんな祝福の言葉に、男児の周りにいる者たちは喝采を上げる。

 生まれたばかりの男児の泣き声に呼応して、それは際限なく大きくなっていくようであった。


 男児はすくすくと育ち、まもなく勇者の名に恥じぬほどの剣と魔法の才能を開花させた。

 剣の一振りは山をも砕き、魔法の一閃は大河を両断するほどだったと云われている。


 そうして青年となった勇者は旅に出た。もちろん魔王を打ち倒さんという目的を掲げての出発である。人間の国はいくつも存在するが、勇者の旅路はできるだけ援助するというのが大昔からの習わしだったため、どの国も勇者が訪れた際には惜しみのない歓迎をした。


 豪勢な食事に、歩くだけで頬を染める乙女たち、高位貴族も羨むほどの特権の数々。

 ……それが勇者を変えてしまったのだろうか。


 勇者は魔族領に攻め入って魔王を倒そうとはせずに、何を思ったのか街や村の民家に押し入り、タンスを漁り始めたのだ。


 家の中で最も色々な物が詰め込まれているだろう、タンス。

 勇者はその中身をことごとく略奪していった。


 銅貨に銀貨、ぴかぴかと光る金貨だけではなく、婦人が着るのを楽しみにしている高級なドレス、身に着ける宝石類、価値のある骨董品、証文などの重要書類にいたるまで、ありとあらゆる金目のものを全て。


 救世主ともいえる勇者の訪問に最初は喜んでいた民衆の顔も、これでは引きつらざるをえない。

 勇者の特権を以ってしても、目に余る行為だった。


 とはいえ、略奪の被害にあった民衆はどうすることもできない。

 なにせ、相手は勇者なのだ。

 普通の人間が止めようとしても、止める術がない。


 貴族の館にまで遠慮なく踏み込み、タンスを物色し始めたときには、衛兵やら貴族の私兵やらが大勢で取り囲んだが、勇者が地面を殴りつけると大地が砕け、青ざめた兵士たちは我先に逃げ出したという。


 そしてついに、勇者は王城へと歩を進めた。

 まさか王城にあるタンスからまで略奪行為をするのかと、城内は騒然となった。


 騎士団が勇者の進路を阻もうとしたが、国内最強と謳われていた騎士団長は一撃で殴り倒されてしまい、国王は戦々恐々だったという。

 こうして城下町の民は勇者の訪れを泣き叫びながら待つこととなり、国王は絶望の淵に立たされたのだ。


 そんな折、国王はとんでもない……いや、ある意味当然ともいえる決断をくだした。

 ある者に、勇者を止めてほしいと申し出たのだ。

 普通の人間では束になっても勇者には敵わない。

 勇者を止めることのできる可能性があるのは、比類なき力を持つ者のみ。


 つまりそれは……他ならぬ魔王だった。

 人間の敵ともいえる魔王に救援要請をする。

 馬鹿げているともいえるそんな要請に、しかし魔王側は応じることとなる。


 強大な敵が現れた場合に、今まで敵だった者同士が手を組むということは、戦時中にはよくあることだ。相手が魔王ということを鑑みると、そう単純な話ではないのかもしれないが、当時の国王には余裕がなかったのだと言わざるをえない。


 こうして国王は魔王と一時休戦し、魔王と勇者は対峙することとなる。

 両者の戦いは激しく、過去の勇者と魔王の戦いの中で最も苛烈なものだったという。


 勇者の剣閃によって木々が吹き飛び、地面は裂け、空が割れた。

 魔王の魔力によって形成された稲妻は大気を切り裂き、時間すら凍結させる超大魔法によって圧縮された炎は周辺の岩を一瞬で蒸発させたという。


 三日三晩にわたる戦いは、魔王の勝利に終わった。

 国王は、傷つき、疲弊していた魔王に礼の言葉を述べる。

 それは一時的なものではなく、魔王と人間の間に何かが芽生えた瞬間だったのではないか。




「――今宵の物語はここまでとさせていただきます」


 吟遊詩人が物語を話し終えたあとで、グラスに注がれていた酒を一気に呑み干した。

 なかなかに情熱的な語りだったのか、酒場の店主などは頷きながら聞き入っていたようだ。


 何か面白い話をしてくれと頼んでいた客の男も、満足はしているようだが、吟遊詩人に一つの質問を投げかけた。


「面白い話だったよ。しかし、もっと英雄譚らしいサガはたくさんあるだろう? なんでまた一番最近の、しかも魔王が勇者に勝つなんてものを選んだんだ?」


 その疑問はもっともで、古い歴史のなかには勇者と魔王の王道的な戦い、いわゆるヒロイックで泣けるような物語が多くある。


「たしかに、この物語は最も人気のない英雄譚といえるでしょうね。希望の星ともいえる勇者が悪辣非道な盗賊のように云われているのですから。しかし……わたしのように世界中を放浪しながら旅をしていると、色々と想像力が膨らむものなのですよ」

「ふーん、というと?」


 吟遊詩人の言葉に、男は酒をちびりと舐めながら続きを促した。


「勇者は、なぜ人々からタンスの中身を奪うような略奪行為をするに至ったのでしょうか。金品を奪うといっても、奪った金で勇者が豪遊していたという話は聞きません。また、さきほどの物語にあった勇者は歴史上でも特に強い力を持つ勇者でした。彼は魔族領に向かおうとしなかったと言いましたが、各地にある街の人々の情報によれば、途中までは最短ルートで魔族領へ向かっていたようです」


「まあ、途中でやっぱり勇者の特権ってやつに目がくらんだんじゃないのか?」

「そうでしょうか? 比類ない力を持つ勇者が物欲に支配されるというのは、わたしには理解しがたいのですよ。子供がおもちゃを欲しがるのは至極当然のこと。欲しくてもなかなか手に入らないものであればあるほど欲求は強まる。結局のところ、大人だってそう変わりはありません。手に入りにくい貴重品に大金をはたく貴族が良い例です。だからこそ、強大な力を持つ勇者が、望めば何でも手にすることができてしまう者が、そんなつまらない略奪行為をするはずがないと思うのですよ。もっとも、これは自分の価値観に照らし合わせた想像でしかありませんが」


「へえ、なんだか面白くなってきたな。もう一杯呑むかい?」

「ええ。ですから、おそらく他に理由があったのだと思います。魔族領まで最短ルートを進んでいた勇者の身に、途中で何かが起こった……」


「何かって、なんだい?」

「勝手な推測でよろしいのであれば、魔族……いや、魔王本人が勇者に接触したのではないかと考えています」


 吟遊詩人の話を聞いていた男は、口から酒を勢いよく吹き出した。


「な、なんでそうなる!?」

「おかしいと思いませんか? いくら勇者の蛮行が目に余っていたとしても、一国の王が敵である魔王に救援を求めるという思考にはなかなか至りません。おそらく魔王側からそれとなく手を差し伸べる機会を作ったのではないでしょうか。となれば、事の発端である略奪行為を仕掛けた勇者は、裏で魔王と結託していた……なんていう推測も浮かんでくるわけです」


「さすがに、それは話が飛躍してるんじゃ……」

「そうでしょうか? 魔王と勇者の戦いがあまりに激しいものだったため、二人が密約を交わしていたなどと疑う者はいないようですが、それほど突拍子もない話ではないでしょう」


 戦いの傷痕は今なお大地に深く刻まれており、地形が大きく変化してしまった場所などは、その土地の天候にまで影響を及ぼしているという。


「魔王と一時休戦した国王は、事態が収束してから魔族との歩み寄りを始めました。他国へも同調を呼びかけ、少しずつではありますが、各地での人間と魔族の関係性もよくなってきています。もしかすると、魔王と勇者の狙いは最初からこれだったのかもしれません」

「……なるほどねぇ」


「また、略奪行為をするにあたって、勇者が民衆を傷つけることはなかったらしいですね。騎士団長を一撃で倒したのも、その他大勢の騎士団員から戦意を削ぐためだったと考えれば納得はできます。そして、勇者が略奪したとされる物資も戦いのあとで持ち主に全て返還されました」


 これは、勇者が所持していた無限に収納できる魔法の道具袋を、魔王が戦いのなかで奪い取ることに成功したからとされている。


「……つまり、一時的かもしれませんが、現在の平和はこの物語の魔王と勇者によって、『誰一人死ぬことなく』築かれたものだという考え方もできるというわけです。世間では悪辣非道な勇者が魔王に倒される人気のないサガですが、わたしにとっては最高の物語というわけなのですよ。これで、なぜわたしがこの物語を選んだのかという質問の答えになったでしょうか?」


「そういうことか……とても、面白かったよ」


 男は目元を緩ませながら、吟遊詩人の言葉に深く頷いた。


「よかったら、今からウチに来ないか? ここはたしかに酒は豊富だけど、料理は自慢じゃないが家内の作るもののほうがウマイぞ」


 吟遊詩人の語りが余程面白かったのか、男はとても上機嫌に言った。


 宿屋もないような小さな村なので、泊めてもらえるのはありがたい。もうちょっと酒場に残って物語を紡ぐのも悪くないが、酒はかなり奢ってもらったし、美味い料理というのは旅路で空腹状態の自分には魅力的な言葉だ。

 そう考えた吟遊詩人は、男の提案に素直に頷いたのだった。



 男の家は、酒場から歩いてそう遠くない場所にあった。

 扉を開けると、夕餉の準備をしていたのであろう。とても良い香りが漂ってくる。


「紹介するよ。家内だ」


 男の妻である女性は、お世辞ではなく美人だった。

 吟遊詩人は各地を放浪しているため、今までたくさんの女性を見てきたわけだが、その彼からしても、どこか妖艶な美しさをもつ彼女に目を奪われたほどである。


「どうかしましたか?」

「あ、いえっ、とてもお美しい方だなと……」


 その言葉に、彼女は照れるようにしてやんわりと笑った。


「だろう? おれも初めて会ったときは言葉がでないぐらいに緊張したさ」

「あなた……ちょっといい?」


 男が小声で呼ばれ、なにやら話している。

 いきなり見知らぬ吟遊詩人を家に泊めることになったのだから、妻としては色々と言いたいこともあるのだろう。


「あの人は吟遊詩人さん? ウチに泊めるだなんて、よっぽど気に入ったのね」

「まあな。あとで君も聞かせてもらうといい。ちょっと驚くぞ」


「でも、大丈夫なの?」

「ああ、幻術をかけてあるから、そのまま普通にしていればいいよ」



 ――さきほどの言葉に嘘偽りはなく、テーブルに並んだ料理はどれも絶品だった。


 腹を幸せで満たした吟遊詩人は、陽気になっていくつもの物語を歌った。

 お気に入りだという物語などは二回目であるというのに、最初よりも熱がこもっていたほどだ。


「いやぁ、やっぱり面白いよ。しかし……一つだけ思ったことがあるんだけど、いいかな?」

「ええ、どうぞ」


 料理と酒を楽しみながら、男は吟遊詩人に言う。


「たしかに、勇者は望めば何でも手にすることができるほどの力を持っていたと思うけど……平和を手にするには、かなり苦労したんじゃないかな」

「ええ、魔王と対峙したときなどは、本気で殺し合う必要があったでしょうから」


「いや、それもあるだろうけど、人様の家のタンスを無断で開けるときなんかは……精神的にかなりしんどかっただろうね」


 男はそう口にして、隣にいる妻の顔を眺めた。

 彼女は、どこか申し訳なさそうに微笑んでいる。


「……なにか他に、もっといい方法がなかったもんかな」

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