船上の人
「あぁ~……今日も波が穏やかだねぇ~☆」
リーズたちの暮らしている大陸からかなりに南の海上を進む船の上で、薄い白髪の侍女が一人、黄昏るように青一色の大海原を見つめていた。
彼女の正体は、第三王子ジョルジュの影の側近モズリー。
変装と潜入の名人である彼女は、敬愛する第三王子の指示を受けて、リーズの実家の使用人に扮していた。
第三王子陣営がマリヤンたちの動きをある程度掴めていたのは、彼女からのリークによるところが大きい。
愛想も要領もよく、すっかりリーズの母親マノンに気に入られ、彼女に近い立場にまであっという間に上り詰めた…………のだが、まさかそれがこのような形で裏目に出るとは誰が想像できただろうか。
(まさか船の上で年を越すなんてなぁ。…………王子様の所に帰れるのは、いつになるんだろう?)
普段から良くも悪くも天真爛漫なモズリーも、長い間仲間との連絡が完全に途絶えてしまったことに、内心で多大な不安を抱えていた。
いつものようにリーズの母親の行き先に付き添っていたはずが、あれよあれよと馬車ごと船に積み込まれてしまい、気が付いた時には船は港を出ていた。
「精霊の手紙」のような緊急時の遠隔連絡手段を持たないせいで、船がどこかの陸につかない限り現状を伝える手段すら存在しない。
こんな状態では、日に日にストレスがたまる一方であった。
「モズリーちゃん。気分が悪いの? 船酔い?」
「い、いえいえご主人様っ! そんなことナイデスヨー! ただ、この一面の大海原を見てると、なんとなく穏やかな気分になれるんです」
そんな時、モズリーはリーズの母親マノンに声をかけられた。
マノンもまた、リーズの姉のウディノと共に何の事前連絡もなく船に積み込まれた、ある意味被害者であったが…………彼女は文句ひとつも言わずに、船長である元二軍メンバーのヴォイテクの指示に従っている。
こんな状態でも顔色一つ変えないのだから、やはり大物なのかもしれない。
「だって、モズリーちゃん、毎日のように海ばかり見てるから――――」
(ギクッ!?)
「海が大好きなのね! 私は海も好きだし、海で釣れる魚も大好きだわ♪」
「えへへ……そ、そうですねっ! 雲の形とかも、大好きですよっ」
(ああもう、このお母さんは鋭いのか、天然なのか……)
海を見るのが楽しいというのは勿論嘘である。
毎日毎日、代わり映えのしない青一色の景色など、愉快こそ至高のモズリーにとって苦痛以外の何物でもない。
そして、色々な意味で底が見えず、微妙に自分と波長が合わないリーズの母親を船上という「開かれた密室」でずっと相手にしなくてはならないのも、彼女負担に拍車をかけるのだった。
(せめて、いつ頃陸地に着くのかがわかれば、ちょっとは気が楽になるんだけど)
「あの、奥様っ。船長様からはいつ目的地に着くかは聞きました? その、あまり船上生活が長いと、色々と問題が……」
「うふふ、心配いらないわ。船長さんからは「何があっても絶対にリーズ様の元に届けて見せますぜ」って。とても心強いわ」
「それは心強いですね!」
答えになってない答えを返してくるマノンに、モズリーは半ばやけくそになってそう言うほかなかった。
そして、そんな二人の様子を遠くからさりげなく見つめる男が一人いた。
「マリヤンたちを陥れ、リーズ様に危害を加えようとしたのはあの女で間違いないようだな。あんな近くにスパイが紛れ込んでりゃ、色々と筒抜けになるわけだ」
この船の船長にして、元二軍メンバーの一人ヴォイテクは、舵輪に手を添えて操縦するふりをしつつ、リーズの家族と付き添いの使用人たちをそれとなく観察し続けていた。
マリヤンに頼まれて品物を納品しに行ったその日に、彼女から必死に頼み込まれてなし崩し的にリーズの母親たちを馬車ごと船に乗せ、逃げるように港を後にした。
いくら度胸がある彼といえども、ほとんど敵地である王国の港から脱出するときは生きた心地がしなかったし、王都に残してきたマリヤンのことも気がかりだった。
しかし、頼まれた以上、彼には命がけで目的を達成する義務がある。
航海はすれど、後悔はしている暇はない。
(となりゃ、ライネルニンゲンに行くのは危険だ。かといって、どこかで陸に上がらにゃ、食料と水が底をつく。いつまでも海の上でグルグルというわけにもいくめぇ)
マリヤンが言うには、彼女と協力者であるグラントの動きがどこからか漏れている恐れがあり、突発的に予定を変更しなければリーズの家族の身が危ないとのことだった。
そして、その情報を漏らしていたらしき人物が、まさにこの船の上にいる。
敵対組織からスパイを引きはがせたことはまたとないチャンスだったが、どこか適当な陸地に上がってしまえば、彼女は忽ち逃げ出して、リーズの家族の位置を知らせに行くだろう。
そうなれば、マリヤンの計画どころか、元二軍メンバーの仲間たちが進めている国家統合計画にまで多大な影響が及んでしまうのである。
水と食料はおよそ半月分…………食料は最悪船上で釣って確保できるが、真水の確保はどうにもならない。
また、調理場で使用する薪の備蓄も心許ない。
元々王都に品物を届けに行くだけだったのだから、そこまで長期間の航海は想定していなかったのだ。
「おい、ボスコーエン」
「うっす船長!」
ボスコーエンと呼ばれた紫髪の青年が、ヴォイテクに呼ばれて駆けつける。
「俺たちは進路を南に変更する。お前はライネルニンゲンにいるミティシアにこの手紙を届けてくれ」
「南ってことは…………俺、暫く戻ってこれねぇんスけど」
「すまんな、だがこの緊急事態だ。今はお前だけが頼りだ」
「そうまで頼まれちゃ、やらにゃ男が廃りますがねぇ、くれぐれも気ぃつけてくだせぇよ」
ヴォイテクは、あらかじめ用意して懐に忍ばせておいた手紙を、念入りに防水紙に包んでボスコーエンに渡した。
ボスコーエンは、郵便屋のシェマと同じく
だがヴォイテクは、虎の子ともいえるボスコーエンとその騎竜を、仲間との連絡員として使おうとしている。
その上、船はこれからさらに大陸を離れ南に進路をとるので、一度この船を離れたら、当分の間帰っては来れない。
それは今まで使っていた遠くを見る目が使えなくなることを意味しており、航海の困難がより高まることを意味している。
ボスコーエンもそのことを十分理解しているがゆえに、自分が船を離れることが非常に心配だったが、重要な役割を任せられたからには断るわけにはいかなかった。
(分の悪い賭けは嫌いじゃねぇが…………こんな胃によくねぇ賭けは二度と御免だぜ…………)
ヴォイテクの手紙を携えて、甲板から堂々と飛竜で飛び立っていくボスコーエンを見て、彼はもうここから先は一歩も引くことができないと覚悟を決めた。
元々、政治だのなんだのが嫌いなアウトロー気質の彼が、リーズを巡る一連の陰謀の最渦中に放り込まれたのだから、あまり気分は良くなかったが…………
「飛竜が…………飛んでいく」
一方、相変わらず甲板で遠くを見つめるモズリーは、船を飛び立って北に向かう飛竜の姿を、何とも言えない気分で眺めていた。
偵察のために飛竜が船から飛び立つ姿は毎日のように見ているが、彼女はなんとなく直観で、いつもとは違うことを悟った。
悟ったが――――モズリーにできることは何もない。
誰にもバレずに、飛竜に乗って脱出するなど物理的に不可能なのだから。
(落ち込んじゃダメっ! 諦めなければ、いつかきっと!)
尊敬する第三王子のため、そして志半ばに終わりかけた邪教集団たちの悲願の実現のため…………モズリーは最後まであきらめることなく、根気よくチャンスをうかがうと決めた。
リーズの母親の傍にいる限り、相手の核心に迫る機会は必ず訪れる。モズリーはそう自分に言い聞かせたのだった。
「奥様奥様っ」
「どうしたの、モズリー?」
「そろそろ海を見るのも飽きましたーっ。トランプで遊びませんか?」
「いいわね。ページワンでいいかしら」
「奥様はよくそんな庶民的な遊び方知っていますね。いいですよっ」
マノンをトランプ遊びに誘うモズレー。
二人で居住区の船室に入る直前、二人の頭上から
「とぉぉりかぁじ!!」
とヴォイテクの力強い声が聞こえ、船は南に進路を取り始めたのだった。
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