失敗

「だ、大丈夫? シェラ?」

「あ……あぁ、驚かせてごめん。ただ、予想外の味がしたからびっくりして…………」


 アーシェラの身に何かあったのかと心配そうにするリーズに対し、アーシェラは涙目になりながらも「大丈夫」と小さく手を振る。

 ふとリーズが、アーシェラが調理していた鍋の方に目を向けてみると、そこには先日アーシェラが作ってくれた、真っ赤な色の肉包み入りスープ――――「ピロゲン」があった。


「参ったな…………僕としたことが、こんな初歩的な失敗をするだなんて。うう……気が緩んでいたんだろうか」

「失敗? シェラが? 珍しいねっ」

「いや、僕だって失敗することはあるし、珍しくはないよ。ただ、今回の失敗はちょっとね…………リーズ、ちょっとこのスープ、味見してみる」

「う、うん…………」


 リーズはアーシェラからお玉を受け取って、そーっと掬ってみた。

 どうやらアーシェラは料理で何か失敗したみたいだが、いったいどんな失敗をしたのか、リーズも気になった。

 普通なら、失敗したとわかっている食べ物を味見させられるなど溜まったものではないが、リーズはアーシェラの料理に全幅の信頼を置いているからか、少なくとも体に害が及ぶことはないだろうとみていた。


 そして、肝心の味はと言えば…………


「す、すっぱいっ!!?? スープがすっぱいよ、シェラっ!」

「そう……酸っぱいんだよね。実はこれ、朝にミルカさんからもらった「魔法の食べ物」こと乳清をスープに入れてみたんだ。これがあれば、かつて母さんが作ってくれた料理を再現できるかなって」


 味見をしたリーズは、鍋とは思えない奇妙な酸っぱさを感じ、アーシェラと同じくらい驚いていた。そして、この味には覚えがあった。

 そう、アーシェラが失敗したと言っていたものの正体は、朝にミルカからもらった乳清を鍋に投入したからだった。


「なんで……こんな味になっちゃったんだろう? シェラの夢では、お母さんが使ってたんだよね?」


 以前アーシェラが「何か物足りない」と呟いていたものの正体であり、なおかつアーシェラが幼いころに食べていたものと思われる味が、まさか失敗料理を生み出してしまうとは誰が思っただろうか。

 夢に出てきたものの正体はこれではなかったのか? それとも、アーシェラの記憶が間違えていたのだろうか?


 しかし、そこは料理のプロであるアーシェラ。少し味見しただけで、今回の失敗の原因を大体特定していた。


「これは単純に僕のやり方の問題だった。この乳清は、それ単体でも十分味付けになるほど味が濃いから、きっと母さんはこれを調味料代わりに使っていたんだと思う。ところが僕は、いつもの癖で普通のスープを使うのと変わらない調味料をあらかじめ使ってしまった。そんなことしたら、味が濃くなりすぎるのは当然だ」

「あ、そっか……!」

「はぁ……初めて使う調味料は、少しずつ入れて調整していかなきゃいけないのに、それをしないで夢に出てきた分量を確認もしないで入れるなんて…………僕のミスで、せっかく作った料理が台無しだ」

「だ……大丈夫だよシェラっ! せっかく作ってくれたんだから、たとえ失敗でもリーズは食べるよっ!」

「ありがとうリーズ…………でも、流石にこのままだと味が濃すぎるから、もう少し薄くなるように調整するよ。いつものようなおいしさは保証できないけど、食べにくいよりはだいぶましだろうからね」


 アーシェラの言う通り、彼の母親が乳清を使ったのは、家が貧しかったせいでまともな調味料が手に入らないゆえの苦肉の策だったのだろう。

 乳清は廃棄品なので、手に入れるのにそこまでお金はいらないし、何ならタダでもらえる場合もある。また、この時代の人々が意識しているかは不明だが、乳清自体は栄養豊富であり、アーシェラが貧乏ながらも健康に過ごせたのはこれのおかげなのかもしれない。


 しかし、いまや好きな調味料を使い放題になったアーシェラだからこそ、味をごまかすために入れていた乳清の威力を過小評価していたのだろう。

 彼がベテランを自負するからこそ起こった、まさに油断からくるミスであったと言える。


「でもそっか、シェラでも油断するとこんな失敗しちゃうんだねっ♪」

「もう、リーズってば……ちょっと恥ずかしいんだけど」

「えへへ~、リーズだって朝に失敗しちゃったし、お互いさまってことで!」


 結局その後アーシェラは、味を薄めるために水を足して、中途半端になった味をハーブなどの香りでごまかして、なんとかスープを完成させた。

 それでも、夕食の時間がいつもより遅くなってしまったし、料理の出来も完璧には程遠かった。


「やれやれ……何とか食べられるようになった。遅くなってごめんね、リーズ」

「いいのいいのっ! リーズはシェラに作ってもらってるんだから、文句なんて言えないし、むしろ失敗してもこんなにおいしくできるんだからすごいと思う!」

「うん……本当にありがとう、リーズ。リーズがそう言ってくれると、とても気が楽になるよ。なんだか、リーズに甘えちゃってるみたいだけど」

「甘えてくれるならもっと嬉しいなっ! いいこいいこしてあげよっか!」


 アーシェラが失敗して落ち込んでいるのは、リーズに完璧な料理を作ってあげられなかったからなのだが、当のリーズにとってはそんなのは些細な問題だった。


「それに、今回は失敗しちゃったかもだけど、シェラならきっといつか完成させてくれるってリーズは信じてる。冒険者をしてた頃だって、リーズたちが何度も色々失敗したけれど、シェラは怒るどころか「次はきっとうまくいく」って言ってくれたよね」

「リーズ……」


 夕食をしっかり食べ終わった後、リーズはやや背伸びしながら、アーシェラの頭をなでてあげた。

 その時のリーズの、慈しむような瞳を見たアーシェラは……初夢の時に見た母親姿のリーズがまるで現実に現れたかのような気がした。


(初夢は……一年を占うことができると聞いたことがあったけど、今までは迷信だと思ってた。けど、今年はなんとなくいい年になりそう。そんな気がする……)


 あまりの心地よさについうっとりしてしまったアーシェラだが――――


「あっ! シェラ、まだ寝ちゃだめだよっ! 食器を片付けて、お風呂に入らなきゃっ!」

「あはは、そうだね。危うく寝ちゃうところだったよ、リーズお母さん♪」

「もう、シェラってばっ! リーズはお母さんじゃなくて、シェラの恋人で奥さんなのっ! そんなこと言うと、お風呂場で襲っちゃうんだからっ♪」

「襲うって…………お手柔らかにね?」


そんな会話をしながら、リーズとアーシェラは椅子に座って向き合ったまま唇を重ね合わせた。

 おそらく今年は、様々なものに決着をつけなければならない勝負の年になる。

 それでも、こうして二人で愛を重ねていると、この年もきっといい年になると確信が持てそうな気がした。

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