親
リーズと出会ってすぐの頃から、アーシェラは彼女は家庭内で何かしらの問題を抱えているのではないかと感じていた。
普通に考えれば、末端でも一般市民に比べれば比較的裕福な王国貴族の、それもまだ年端も行かない女の子が冒険者を志すというのは異常事態であり、いつまでたってもリーズを連れ戻しに来る気配がない彼女の両親の在り方に疑問を抱いたこともあった。
とはいえ、リーズ自身がそのことを気にした様子もなく、彼女から家族の話を出すことをしなかったので、アーシェラも今まで深入りしてこなかったのである。
今になって初めて聞くリーズの家族事情…………繊細な話題だけに、アーシェラは緊張しながら耳を傾けた。
「ええっとね、そもそもリーズはね……お母さんの名前、知らないの」
「お母様の名前を知らない!?」
「お父さんの方は名前は知ってるけど、家に滅多に帰ってこないから、顔をよく覚えてないんだ」
「なんでそんなことに…………じゃあ、誰がリーズを育てたの? 食事の用意は? 勉強の相手や遊び相手は?」
「リーズの身の回りのことは、何人もいるお手伝いさんたちがいたし、遊び相手はウディノお姉ちゃんがしてくれた。お勉強やお稽古は、それぞれ家庭教師の先生がいたし…………」
「そっか……貴族ともなると、それだけ忙しいのかもしれないね」
驚くことに、リーズは母親の名前を忘れてしまったという。
リーズの父親――――ストレイシア男爵フェリクスはリーズがまだ幼いころに国内の反乱鎮圧や、邪神教団の討伐に長いこと駆り出されており、家に帰ってくることは滅多になかった。それゆえリーズも、父親の顔はほとんど覚えていない。
とはいえ、それだけの功績を立てたことで父親の名前は比較的有名だったし、今までその名を聞く機会はたくさんあった。だからリーズも、父親の名前だけは憶えていた。
一方で母親は、あくまで「男爵夫人」と扱われることが多く、名前を聞く機会がほとんどなかった。使用人たちも、母親のことは「奥様」としか言わなかったことも、リーズが名前を覚えられない原因となっていた。
このように、リーズの両親はとにかく日々手いっぱいで、末娘のリーズのことまで手が回らなかったのだろう。
貴族という身分は、思っている以上に仕事が多く、リーズのような家庭環境の子供はそう珍しくないのだとか。
いったいどんな酷い親なのかと思っていたアーシェラは、その話を聞いて逆にリーズの両親に少々同情してしまった。だからといって、リーズが一人で冒険者になってしまったのを止めなかったことが、チャラになるわけではないのだが…………
「じゃあ、勇者として王宮に迎え入れられた後も……」
「うん。リーズはずっと王宮で過ごしてたから、家には帰れなかったし、お父さんお母さん、それにお姉さんたちにも一度も会えなかったよ。でもね……家族に会えないことは、不思議と何とも思わなかった。むしろ、シェラに会えなかったこと方が、ずっとずっとつらかった。だからね…………リーズはずっと前から、シェラだけが本当の家族だと思ってたのかもしれない」
そう言ってリーズは、所在なさげにアーシェラの背中に顔を擦り付ける。
リーズが甘えたくなる時に無意識にしてしまうが、これは本来リーズが母親や父親にしたかったのかもしれない。
「よくわかったよ。つらい……とは思っていないかもしれないけれど、ある意味僕なんかよりもずっと寂しい境遇だ。しかし……リーズでも御父上のことをあまりよく知らないのか。これは参ったな」
「え、どうして? シェラがリーズのお父さんのことを知りたいの?」
「だって……僕とリーズはもう結婚しているから。リーズのご両親は、名目上僕のもう片方の両親ということになるわけだ」
「あ~、そういえばそうだったねっ! リーズも今まで気が付かなかった!」
「僕の方の両親はもうこの世にいないから、結婚に賛成も反対もないけれど、リーズのご両親はまだ健在なわけだから、いずれ僕は「リーズと結婚した」って言わなくちゃならない。聞くところによれば、リーズのお父さんは勇猛な武人として名を馳せているそうだから、若干心配なんだよね…………」
リーズの記憶にすら残っていないという父親は、果たしてアーシェラのことを見てどう思うだろうか。
普通の貴族なら、そもそもアーシェラが「旧カナケル出身」の「平民」というだけで激怒しかねないし、場合によっては「どこの馬の骨ともわからない奴が娘をたぶらかした」とその場で切り捨てられる可能性すらある。
さらに、リーズの父親は武勇に優れた人物であり、対するアーシェラは言ってしまえば文官型の人間であり、どう考えても相性がいいようには思えない。
つまり、リーズの父親がリーズとアーシェラの結婚を認める可能性は限りなく低いとみて間違いないだろう。
「うーん……どうなんだろう? あんまり記憶にないと言っても、リーズのお父さんはそこまで厳しい人じゃなかったような気がするけど。でも大丈夫っ、たとえシェラがお父さんになんて言われても、リーズはシェラの味方になるし、お父さんをやっつけることだってためらわないからっ!」
「ありがとうリーズ……そう言ってくれて嬉しいよ。でも、僕もそうならない様に、穏便に話し合えるといいな」
リーズはアーシェラと結婚するにあたり、すでに旧姓の「ストレイシア」からアーシェラの家名である「グランセリウス」に変えており、村の連盟状にも「リーズ・グランセリウス 役職:村長夫人」と堂々と記載されている。
リーズにとって、ストレイシア男爵家の家名はもはや何の未練もなかった。
勇者の名声にすら未練はないのだから、今まで自分の人生にほとんどかかわった記憶がない貴族名など言わずもがなだ。
「まあ、なにはともあれ…………リーズが良くも悪くも、家族のことを嫌っているわけじゃなくてよかった」
「うん……むしろ、リーズの家族のことあんまり話せなくて、ごめんね」
「ふふふ、そんなことはないよ。むしろ、なんでリーズが僕のことをお母さんって言ったかわかったような気がしてね」
「ううぅ…………あれは、その……あまり覚えていなくていいからね?」
朝の自分の醜態を再び思い出し、リーズは顔を真っ赤にした。
覚えていなくていいと言うが、あんな衝撃的なことは、アーシェラはきっと一生忘れないだろう。
よしよしと宥めるように頭をなでながら、もう片方の手で鍋の調理をする。
そのマルチタスクぶりは、やはり母親のような雰囲気があった。
だが、アーシェラがそろそろ完成間近のスープをお玉でちょっと掬い、味見をした瞬間――――――
「うっ!? ケホッケホッ!?」
「どうしたのシェラ!?」
アーシェラが突然むせた。
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