―元2軍情勢Ⅱ― まだ見ぬ未来へ

新たな生命

 騎士の月4日目――――とある小さな町の一軒家で、今まさに新しい命が産声を上げた。

 生まれたばかりの赤子の甲高い鳴き声と、ワンテンポ遅れて湧き上がる歓喜の声。

 そして…………


「うおぉ……おおぉっ!! サマンサっ! 本当に……本当によく頑張ってくれたっっ!」

「はぁ……はぁ……。あは……あはは。やった……やったわ。ああ……この子が、あたしたちの…………っ! ほらみて、あなた」

「くっ……うおおっ、俺たちの子供が……今目の前にいるなんてっ! お、おかしいな…………顔が見たいのに、視界が霞んでよくみえねぇ…………っ」


 町の神官たちに見守られながら、生まれたばかりで毛布にくるまっている小さな赤ん坊を抱くサマンサと、そのすぐそばで号泣するロジオンがいた。

 彼らが今いるのはサマンサの実家で、ロジオンは忙しい時期にもかかわらず店を完全に閉めて、こうして愛する妻の出産に駆けつけてきたのだった。

 ロジオン自身も王国からマークされる身ゆえ、せめて母子だけでも安全な場所にと実家に避難させていたのだが、やはり自分の子供の誕生の瞬間にどうしても立ち会いたい気持ちが強かった。

 問題が山積みの中、それを一時的にであれ放棄して自分の都合を優先させたのはやや後ろめたかったが、生まれた我が子を見てそのような不安は一気に吹き飛んだようだった。


「女神さまのご加護ですね、母子ともに無事で何よりでした。後はあらかじめお伝えした通りに扱っていただければ大丈夫ですので、お二人で存分に喜びを分かち合い下さい」

「えへへ……お気遣いありがとうございます。ほら……あなたも、抱いてみる? ゆっくり、やさしく…………ね?」

「うっ……うぅっ、おぉ……おおぅ」


 あとはもう大丈夫だろうということで、出産に立ち会った神官たちが部屋を後にする。

 二人きりになった後、ロジオンはサマンサから生まれたばかりの我が子を受け取った。


 生まれたのは女の子で、まだ毛が生えておらず、ひたすら元気に鳴き声を上げていた。

 ロジオンが緊張と感動に震える手でゆっくりと持ち上げると、赤ん坊は思っていたよりも軽かったが、それでもどことなく命の重さをしっかりと感じることができた。


(ありがとう…………ありがとうな! 生まれてきてくれて……ありがとうっ!)


 ロジオンは、心の中で、生まれてきてくれた赤ん坊に何度も何度も感謝の念を繰り返した。

 口で何かを言おうとしても、喜びの嗚咽で言葉にならず、すでに喉がかすれ始めていた。

 表情も涙やらなんやらでぐちゃぐちゃになっていて、とても格好いいとは言えなかったが、ベッドに仰向けになっているサマンサは、彼の不細工な泣き顔が今まで一番輝いているように見えた。


(ロジオンと結婚して…………本当に、よかった。この人なら、絶対にいいお父さんになってくれるに違いないよ)


 家の外は相変らず冬の冷たい風が吹きすさび、夏にはにぎやかになる街は静寂に包まれている。

 しかし、家の中では、こうして心から温まるやり取りが繰り広げられていたのだった。




「おお、神官さん! 赤ちゃんはどうだった!? サマンサさんは!?」

「ご安心ください。お子様は元気いっぱいで、サマンサさんも健康そのもの。まるで女神さまからも大いに祝福されたかのようです」

「「「いよっしゃぁっ!!」」」


 サマンサの寝室から一歩出ると、そこまで広い家ではないにもかかわらず、サマンサの親族やロジオンの店の従業員、そしてわざわざ遠くから駆け付けた二軍メンバーたちがぎゅうぎゅう詰めになっており、神官から母子の無事を聞くと全員で喜び舞い上がった。


「うっしゃ! すぐに町中に知らせろ! パーティーの用意だ!」

「よし、僕はすぐに仲間たちに知らせてくるよー!」

「まて、せっかくだからシェマも食ってけ! 飲んでけ!」

「めでたやめでたや! ロジオンとサマンサが、仲間の中では子供一番乗りだ!」


 赤子が生まれた瞬間に産声を上げた時も、彼らは新たな命の誕生を耳で感じて喜び舞い上がったが、神官から何も問題がないことを告げられると、更に嬉しかったようだ。

 何しろこの時代の出産は、特に第一子となると、母体が勝手がわからないせいで命がけであり、時には神官が全力で治癒の術をかけても命を落とすことがざらにあった。


 彼らの舞い上がりっぷりはもはや「暴走」ともいえるほどで、それを止める人間がいないのも拍車をかけた。



 だが、そんな彼らの所に、予想外の人物が顔を出した。


「おーおー……人間の元気な鳴き声が聞こえるなぁ。少し遅かったか」

「え!? あれ!? もしかして、あなたは……」


 ぼさぼさの銀髪に不気味な三白眼、そして体が膨張して見えるほどの黒いローブを纏った人物が、ノックもなしに彼らのいる部屋に入ってくると、今まで喜んでいた人々が一瞬で唖然として沈黙した。

 この人物のことを知っている者も知らないものも、その圧倒的に異様な雰囲気にのまれてしまうのだ。

 しかし、現れた当人はのんきなもので…………


「ん? どうした? なんで喜ぶのをやめるんだ? 私も一緒に「うぇーい!!!!」ってやりたかったんだが?」

「いや、そんなこと言われてもねー……っていうか、わざわざここまで歩いてきたの? 大魔道さん?」

「おうよ。せっかく可愛い弟子の子供が生まれると聞いたからな。ずいぶんと生きてきたが、そういえば人間の子供の誕生の瞬間に立ち会ったことがないなと思ってな。テレポートビーコンがないから、ここまで歩いてきた」


 ロジオンの魔術の師匠にして、かつて一軍の最前線でリーズと共に肩を並べて戦った、大魔道ボイヤール。

 普段は瞬間移動魔術ができる範囲でしか移動しない彼が、珍しくこうして遠方まで足を運んだのは驚くべきことであった。

 シェマをはじめとするロジオンと仲のいい二軍メンバーは、あまり彼と面識がなかったので、彼がここまで弟子を可愛がっているのを意外そうに見つめていた。


 アポなしで訪問してきたボイヤールのせいで、妙な沈黙に包まれてしまったが、しばらくしてサマンサがいる部屋のドアが開いて、中からロジオンが何かを成し遂げて燃え尽きたような足取りで、ふらりと出てきた。

 目の下にくっきりと隈が浮かび、瞼の周りが腫れ、涙の跡が幾筋もついている。

 ここ数日殆どつきっきりだったのか、いつもきれいに整えていた髭も、ぼさぼさの無精髭に代わってしまっていた。


 それでも、わざわざ家を訪ねてきてくれた師匠ボイヤールや、出産を喜んでくれた仲間たち、それに親族たちを見て飛び切りの笑顔を見せた。


「じじょっ……! びんぐっ……! うぉっ、おどっざ! うおぉっ……おぉっ!」

「完全に声が枯れてるな……言わんとしてることはなんとなくわかるが」

「あー、よしよし、サマンサも君もよく頑張ったね」

「おめでとう、おめでとう! 赤ちゃん、すごく元気な声だったよ。君は少し休むといい」


 泣きすぎたせいで、ロジオンの声は枯れ果ててしまい、仲間たちに喜びを伝えようにもうまく言葉にならなかった。

 それでも、彼らにはロジオンが伝えようとしていることが十分理解できた。

 つい数年前までは、まだ子供の面影が残る悪ガキのような男が、今では一児の父となったというのが実に感慨深い。


 一番の功労者であるサマンサもすぐにいたわってあげたいところだが、まだ体調が回復しきっておらず、赤子の世話で暫く手が離せないため、彼女に直接声をかけられるのはもう少し先になるだろう。


 各地で勇者リーズを巡る大小さまざまな協調や陰謀が大きくなっていく中、元勇者パーティーメンバーの新たな後継者誕生というニュースは、仲間たちに一時の癒しと勇気を届けてくれることだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る