変身

「――――ということで、今年はなるべく早いうちに川の下流の調査をしようと思ってるんだ」

「この季節になりますと、毎年山向こうへの陸路が途絶えますから。もしもの時に備えて、優先的に開拓していかなければいけませんわ」

「リーズにもまた活躍してもらうことになりそうだけど、その時は…………、……? あれ、リーズ?」

「リーズさんもミーナちゃんも、寝ちゃったみたいね~」


 日の出まで何気ない話をしていたアーシェラたちだったが、いままで目が冴えていたはずのリーズとミーナが、アーシェラに両側から寄りかかって眠ってしまっていた。

 時間がまだあるからと何気ない話をしていたのだが、途中で開拓村の今後の方針などの難しい話をアーシェラとミルカが始めてしまったため、リーズもミーナには二人の話が催眠術のように効いてしまったのかもしれない。

 なにより、寒い屋外で過ごすために厚着をして、術式暖炉が適度な温かさを発し、その上アーシェラの身体に身を寄せているととても心地よくなってしまうらしい。

 寄りかかられるアーシェラも、二人の身体の仄かな温もりと、寄りかかる適度な重さが心地よい。


「そうか……寝ちゃったのか。気が付かなかったな」

「あらあら村長、両手に花、ですわね。ですが、リーズさんとご結婚しているのですから、二股は感心しませんわ」

「ふ、二股……もう、そんなんじゃないって。ああうん……でも、これは確かに…………ミーナを起こす?」

「いいじゃないいいじゃない~。こんなに可愛い寝顔なんだから、起こすのはもったいないわ~」

「冗談ですわ村長。村長がリーズさん以外の女性に手を出す度胸があったら、こんな辺境の地で燻っていたりしませんもの」

「その言い方もどうかと思うんだけど…………事実だから文句言えないなぁ」


 一度目が覚めてそのまま寝付けなくなりそうだったとは言え、いつもならばリーズはまだ寝ている時間であり、ミーナも普段以上に早起きしたので、流石にまだ少し眠かったのかもしれない。

 あどけない顔で眠る二人を、アーシェラたち3人はほっこりした気持ちで見つめていた。


「うん、いつ見ても本当にいい寝顔だね。魔神王を倒した勇者だって持ち上げられるのも悪いことじゃないけれど、素顔のリーズが僕には一番かわいく見えるよ」

「当たり前だけど、そのあたりまえをわかってくれる人って、なかなかいないのよね~。ふふふ、リーズさん……こうしてみると、やっぱりミーナちゃんと同じくらいの子供っぽく見える~。さっき村長さんが初夢のお話してくれたけど、リーズさんが大人っぽく見えるなんて、ちょっと想像つかないかも~」

「確か夢の中では、リーズさんは村長のお母さまの格好をしてたと言いましたが、もしかしたらそれがヒントなのかもしれませんわ。……と、言いますか、私たちも村長のご両親のことはあまり聞いたことありませんでしたわ」

「なんだかんだ言って、この村の人たちはみんな、何かしらの後ろめたいことを抱えているからね…………みんな無意識に避けちゃってたみたいだ。そうだね……僕の母さんなんだけど、僕の髪の毛の色は母さん譲りだったから、髪型をこんな感じにすれば…………」


 そう言ってアーシェラは、いつも後ろで髪の毛を結っている藍色の布を解くと、後ろに長く伸ばしている髪の毛を無理やり右側に持ってきて纏め、再び布で固定する。

 いわゆるルーズサイドテールと呼ばれる髪型である。


「あらあら、確かにこれは……」

「うん、実際に見て見るとなかなか」

「ええっと……僕自身は見えないからわからないけれど、髪型をちょっと変えただけで、雰囲気まで変わるものなのかな?」


 アーシェラとしては、髪の毛をまとめるところを少し変えただけなのだが、ミルカとアイリーンはなんとなくアーシェラがっぽく見えた。

 元々アーシェラは柳のようにしなやかな体格で、瞳も大きく睫毛も長いため、父親よりも母親という印象があった。

 それに加えて、今は太陽が出ていない真っ暗闇なので、顔がそこまではっきり見えないのがさらにその印象に拍車をかける。


 その時ミルカは、ふとよからぬことを閃いた。


「……そうですわ。村長、ちょっとそのまましばらく動かないでくださいね♪」

「え? ミルカさん……その、手に持ってるのはもしかして、口紅とチーク? ま、まさか僕の顔にお化粧するわけないよね? 言っておくけど僕の母さんはお化粧はあまり…………」

「うふふ、大の大人が言い訳していいわけないですわ。リーズさんのために、大人しくしていてくださいませ」


 ミルカはどこからか簡易化粧道具一式を取り出すと、リーズとミーナに寄り掛かられて動けないアーシェラの顔に、楽しそうに化粧を施していった。

 アイリーンも、とめるどころかワクワクしながら、ミルカが施す化粧を楽しそうに見ていた。



「はい、できましたわ♪」

「へぇ~、こんな風になるんだ~。ふ~ん、へぇ~……」

「なんだか、色々と塗られてしまったけれど、大丈夫なんだろうか? 自分の顔が見えないのが、こんなに不安だなんて…………鏡とか持ってないかな」

「持っていませんわ。そんなことしたら、つまらないではないですか」


 「リーズのため」と言えば何でも許されるわけではないのだが、アーシェラは結局されるがままに顔を弄られてしまった。

 しかし、アイリーンの反応は予想していたよりも落ち着いており、何やら興味津々と言った様子だった。

 アーシェラは余計自分の顔がどうなっているか気になってしまうが、少なくとも何かひどいことになっているわけではなさそうだった。とはいえ、相手はミルカなので油断はできない…………。


 いったい自分の顔は今どうなっているのか……アーシェラが不安に思っていると、下の方から人の足音と話し声が聞こえた。


「明りがついてるね、姉さん」

「私たち以外にも誰か来ているのか? アイリーンだけなら、明かりを灯さずとも周囲が見渡せるからな」


「おや、この声は……レスカさんとフリッツか」


 まだ見張りを交代する時間ではないにもかかわらず、レスカがフリッツと共に見張り台までやってきたのだった。

 レスカとフリッツの方も、普段は明かりをつけないで夜の見張りをしているアイリーンが明かりをつけているので、別の誰かがいるのだとすぐに分かったようだ。


「こんばんわ~、いや……おはよ~。レスカさんにフリッツ君、ごめんねもう満員になっちゃった」

「誰がいるのかと思ったらイングリット姉妹か……早起きしているにもかかわらず釣りに行かないなど、珍しいが……そっちにいるのはリーズさんと、えっと――」

「あはは、先を越されちゃったね姉さん。……あれ、どうかしたの?」


 二人が梯子を上ってくると、狭い見張り台の上でぎゅうぎゅう詰めになっている5人を見て、先を越されたと愕然とした。

 しかし、レスカはすぐに別のことに気が付いた。


「……そこにいるのは、誰だ?」

「え?」

「っと、その声は村長か! なんで変装なんかしてるんだ、またどこからか見知らん人間が紛れ込んだかと思ってびっくりしたぞ!」

「なになに姉さん、何かあったの……って、あれ? 村長さん……だよね? 女の人になってる……?」

「まったまった……今の僕の顔、本当にどうなってるの!?」


 狭い見張り台の上に登ってきた二人が見たアーシェラは、妙齢の女性のような雰囲気で、暫く別人かと思ってしまうほどだった。

 二重瞼に沿うように描かれた朱のアイシャドウや、穏やかに見えるよう計算された艶やかな頬、柔らかそうな唇など、少し変えるだけでここまで雰囲気が変わるのかと思うほど素晴らしい出来だった。


 だが、レスカとフリッツが現れたことで少し騒がしくなったからか――――アーシェラに体を預けていたリーズが、わずかに目を開いた。

 そして、彼女の視線の先にアーシェラの顔が見えて…………


「……あれ? おかあさん……?」

「え、おかあさん!? 僕が!?」


 夢の中でリーズが母親になったと思いきや、今度はアーシェラが母親になる番だった。

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