虎穴に入らずんば……

 王都アディのポリスは、平民が住む区画と貴族や富豪が住む区画に大きく分かれているが、住民人口は前者の方が圧倒的に多いにもかかわらず、所有する面積は後者の方が圧倒的に大きい。

 というのも、王都に住む平民の多くは「インスラ」と呼ばれる集合住宅に居住していて、一軒家を持っている平民はめったにいない。都会に住んでいるからと言って、みんな豊かな生活をしているとは限らないのはこの世界でも同じなのだ。


 一方で財と権力が十分にある貴族は、王都の約3分の2を占める高級住宅街に庭付き一戸建てを堂々と所有している。

 その数はおよそ3000戸と言われており、位が高い貴族になればなるほど、家を囲う塀も高く、庭園の木で邸宅が見えなくなるなど、さながら要塞の模様を呈してくる。


(ここまでくると、ちょっとしたお城だよね…………リーズ様とアーシェラさんの村が丸ごと入っちゃいそう……)


 商品を満載した大型馬車に乗って、とある巨大な邸宅の門をくぐったマリヤンは、品がないことと承知しつつも邸宅内の風景をじろじろ眺めてしまう。

 門から邸宅までは小さなの町ほどの長さの石畳が敷かれ、道の両脇には様々な人物の彫刻がきれいに並んでいる。

 周囲の庭園には花壇もあり、噴水付きの芝生広場もあり、雑木林もあり――――高い塀に囲まれて外界と隔絶されたこの場所は、完結した一つの世界のようにすら思えた。


(仮に……あたしがここで殺されても、誰にも知られることはないんだろうなぁ~)


「どうしたのマリヤン? 何か気になることあった?」

「そ、そりゃそうですよ……あたし、こんなに大きなお屋敷に入ったの生まれて初めてなんですからぁ!」

「まあ、そのうち慣れるわよ」


 御者台で道を指示するアイネは、マリヤンが緊張で冷や汗をかいているのを見てくすっと笑った。


(お屋敷に入るだけでも緊張するのに、あの方に会ったらいったいどんな反応をするんだろう? ふふっ、ちょっと楽しみ♪)


 元一軍メンバーの中でも比較的実直なアイネでさえ、心の底ではマリヤンのことを無意識に見下していることがよくわかる。


(一応、いざとなったときのための切り札も用意したけど…………これ使ったら、もろもろの計画がバレちゃうし。うぅ……あたしの命のために、計画をすべて犠牲にするなんて、そんなことしてもいいのかな)


 馬車を駐車場に止めて、配下の人足たちに荷物を運ばせている間も、マリヤンはいつどこでどんな危機に直面するか気が気ではなかった。

 気を落ち着かせるために両手でぎゅっと握っている、一見地味な青色のブローチは、マリヤンが危機に陥ったときの一発逆転の切り札になりえるのだが…………それを使うということは、すなわち計画のすべてを台無しにしてでも自分だけ生き残ることに他ならない。

 はたして、今までの自分やグラント、それにリーズの家族たちの努力を台無しにしてまで、自分が生き残る必要があるのだろうか……マリヤンはしばらく悶々と考え続けた。

 そのとき、ふと彼女の脳裏に、いつしか仲間のロジオンから聞いた話が思い浮かんだ。


(リーズ様は……かつての仲間たちの名前が刻まれた『勇者の碑』の前で、涙を流したんだっけ。あたしたちを全員は守れなかったことに自責の念に駆られて…………もし、あたしがここで死んじゃったら、リーズ様は…………)


 リーズが二軍でしかない自分のことを労わってくれる――かつてなら自意識過剰としか思えなかったが、先日リーズと再会した今なら胸を張って言える。

 今ここでマリヤンが不慮の死を遂げたら、リーズはきっと悲しむだろう。


(それに、魔人王討伐の旅で、何が出てくるかわからない危険な場所に、真っ先に進んでいったのはリーズ様だったんだから……あたしだって!)


 リーズが望む真の世界の平和のためにも、そして何より各地で体を張っている仲間たちの為にも…………マリヤンは両手でほほをペチペチと叩いて気合を入れた。


「い、いきなりどうしたのマリヤン?」

「ううん、将来のふと客になるかもしれない相手がいるなら、商売人として腰抜けになってる場合じゃないって思って! 今のあたしなら、どんな相手が出てきても、堂々と商売してみせるよ! さあ、気合入れていきますよーっ! えい、えい、むんっ!」

「……?」


 こうして、改めて気合を入れなおしたマリヤンは、気合が入りすぎて先導するはずのアイネよりも先に堂々と館の中に入っていったのだった。





「よく来てくれた。私はこの国の第三王子ジョルジュだ。アイネ君からは話を聞いている、御用商人に負けず劣らずの目利きだそうだな」

「へ……へへぇぇ~っ」

「ちょっ!? 急に土下座!? さっきまでの気迫はどうしたのよ!?」


 館に入って表れたのは、第三王子ジョルジュだった。

 彼の名前を聞いた瞬間、マリヤンは先ほどの堂々とした態度はどこへやら、流れるような動作できれいに土下座を決めた。

 あまりの態度の落差に、アイネも王族の前にもかかわらず、思わずツッコミを入れてしまった。


「ああ、そこまで頭を下げなくてもいい。顔を上げねば商売もできないだろう」

「は……はひ! し……しかしながらっ! わ、わたくしめのような王国の人間ではない者がっ、王子殿下にお目通りするなど、恐悦至極っ!」

「ほ、ほらマリヤン……ジョルジュ様もそういってるし、そこまで怯えなくても……」

「それは、そうですけどぉ…………王国の平民でさえ、許可なく王族と会話したら処刑されるのにぃっ! ましてや、あたしなんてぇ……! あ、いえ、その……し、失礼しましたっ! お目通りかなった御礼に、本日は大サービスいたしますぅぅぅっ!」

「安心せよ。そんな変な難癖付けて処刑するのは兄上……第二王子くらいだ。私はそこまで非常識なことはしない……と言っても、今の君には信用されないだろう。まあなんだ、少しの間だけ腹をくくってくれ」


 昨日グラントと話した際に「要注意人物」として名が挙がった第三王子ジョルジュが、今まさに目の前にいる。マリヤンの緊張は相当なものだったが、それ以上に招待した相手が王族だということを今まで秘密にしていたアイネに若干怒りがわいていた。


(王族相手ならそれ相応の準備しなきゃいけないのに……直前まで黙っているなんて! これはあからさまに裏がある……)


 彼らの思惑はまだよく見えてこないが、この時間に呼び出すこと自体が「ある意図」をはらんでいる可能性が高いため、あとは相手の出方次第だ。

 それまでの間、マリヤンは完全に三下ロールで乗り切ることにした。

 そんなマリヤンの思惑を知ってか知らずか、ジョルジュは何事もなかったかのように買い物を進め始めた。


「実はな、ついこの前ここにいるアイネから美しいブローチをプレゼントされてな、私的にはこのデザインがいたく気に入ったのだ。そこで、もっと違う色の種類のブローチはないかと相談したかったわけだ。ああもちろん、ほかの商品も見てみたいし、興味があれば購入させてもらおう」

「あ、ありがたき幸せっ!」

「もしよかったらあたしにも見せてよっ! 最近ちょっとおしゃれの感覚に目覚めてきてさっ! あはは~」


 こうして、商人と工作員の二つの顔を持つマリヤンが、商人と工作員両方の苦難を抱え込む勝負の時間が幕を開けたのだった。

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