―王国情勢Ⅲ― 暮色蒼然
夢破れし棺
リーズとアーシェラが、開拓村で村人たちと共に明るい年末を過ごしている頃――――――
リーズのいなくなった王国は、いよいよもって誰の目から見ても閉塞感が強くなってきていた。
本来の帰還予定まで一応あと1か月はあるのだが、王国上層部は初めから訪問日程を巻きで終わらせて年内に帰還してもらう算段だったため、リーズがいることを前提で組んだイベントの予定で主役が不在の状態がずっと続いているのである。
リーズと共に年末年始を祝えると期待していた人々は、いまだに行方が全くつかめない状態にすっかり辟易しており、リーズが帰ってこないことは極秘情報であるにもかかわらず、すでに平民でさえある程度知っているほどだった。
年末までいよいよ数日に迫ったある日のこと、今の王国の低迷を象徴するかのような事が起こった。
とある小貴族の領地で、領主の一人娘が亡くなり、その葬儀が営まれることになったのだが―――――
「この度は心からお悔やみ申し上げる…………このような事態を見越せず、我々も忸怩たる思いを抱いております」
「それがしも、一応は婚儀を結んだ身…………お嬢様のことは、それがしも至極残念無念にございます」
「…………っ! ……っっ!!」
グラントとその親友のシャストレ伯マトゥーシュが葬儀に参列するために足を運んだとき、亡くなった令嬢の父親は、白い棺に縋りつくように泣いていた。
その動揺ぶりは尋常ではなく、慰めの言葉を述べるグラント達に返事もできず、ただひたすら嗚咽と共に涙を流していた。
そう……この日行われた葬儀は、かつてマトゥーシュの婚約者だったが、第二王子セザールに見初められて彼の元に行ってしまった令嬢の追悼のためであり、しっかりと蓋がされた棺の中には、彼女の遺体が眠っているのである。
様々なわだかまりが残っているとはいえ、マトゥーシュと彼女は婚礼を上げたことになっており、実態はどうであれ形式上マトゥーシュは彼女の夫となっているわけで、この場に参列する義務がある。
だが、それを差し引いても、かつての恋人を無くしたマトゥーシュは表面上は落ち着いており、恥も外聞もなく取り乱す両親と比較すると、どちらが被害者かわからないほどだ。
(棺の蓋が閉じられている…………余程ひどい有様だったのだろうな)
聖堂の真ん中に安置されている棺の蓋がしっかりと閉じられているのを見て、グラントは心の中で大きく嘆息した。
グラントはふと確認するように親友の横顔を見たが、彼の表情はとても穏やかだった。
花嫁を奪われた悔しさも、愛する人を失った悲しさもないが、かといって厄介ごとが終わったという安どの表情でもない。まるで…………来るべき時が来たかとでもいうような、初めからこうなることがわかっていたかのような顔だった。
マトゥーシュが棺に近づこうとすると、棺に縋りついて泣きわめく父親が体を震わせて怯えた。
この父親も、マトゥーシュに対して「失礼」というレベルでは済まない背信行為をしてしまったうえ、今では第二王子を後ろ盾として利用できない立場にあり、マトゥーシュからの報復を恐れているのだろう。
彼は仕方なく、献花のために用意した聖花をそっと足元に置き、最後に黙礼してから踵を返した。
グラントも思うところがあったが、これ以上父親を刺激するのは忍びないと考え、親友に習って目礼してその場を後にした。
「ご当主様の様子はいかがでしたか?」
「ああ……見ていて居た堪れなかった。自業自得と言うにはあまりにも悲劇的だ」
グラントが聖堂を出ると、彼や領主と親しい貴族や騎士たちが大勢待っていた。
彼らも今回の惨劇を耳にし、哀悼の意を示そうと葬儀に参列したわけだが、事情が事情なのでまずグラントとマトゥーシュの二人が様子見も兼ねて代表として中に入ったのだった。
集まった人々は、自分たちも聖堂に足を踏み入れていいのか尋ねたが、グラントは静かに首を振った。
父親があの状態であり、母親はショックのあまり寝込んでいると聞く。このような状況では、とてもではないが大勢の人間が立ち会える状態ではない。
「しかし……何と言ったらいいか、この件はいくら何でもあんまりだよなぁ」
「私も聞いたわ。勇者様が帰ってこないことにイライラした第二王子殿下が、相当な暴行を加えたそうじゃない」
「緘口令が敷かれてるが、まあ無理だな。むしろ、こんなことがあってもまだセザール殿下を支持する連中が多いのが信じられん」
「聞いた話では、火消しのために「処分」に関わった使用人は秘密裏に処刑されたそうだ。実際に王宮内で大規模な人事異動が行われた形跡があった」
「せっかく魔神王を倒したというのに、世も末だな…………」
令嬢の死因は、公式発表では「急病」とされているが、もちろん王宮内でそのような話を信じている人間はほとんどいない。
正確な状況は推測でしかないものの、彼女の本当の死因は第二王子セザールによる度を越した暴行であることはすでに疑いの余地はないだろう。
当然、国王をはじめとする指導部はその事実を一切認めていないし、事実無根の噂を公言する者は極刑に処すとの通達が出されている。だが、肝心の第二王子自身が、親しい仲間内の人間にまるで武勇伝のように詳細を騙っているのだから始末に負えない。
グラントも、政権中枢に近い立ち位置故、意図しなくてもそのような情報が入ってくるため、余計に居た堪れない気持ちになった。
「一応聞くが…………令嬢のご遺体の様子は」
「………棺の蓋は完全に閉じられていた。それで察してくれ」
『……………』
グラントの言葉に、その場に集まった人々は無言でお互いに顔を見合わせた。
そもそも、葬儀の場では余程の理由がない限り、墓地に運ぶまでの間は参列者に個人の遺体をしっかり公開するのが一般的であり、
そして、セザールはそれほどになるまでに彼女を扱ったとなれば、あの王子の本性がいかに残酷なのかもよくわかる。
「あーあ……これも勇者様がなかなか帰ってこないせいかね。個人的にあの第二王子が勇者様と結ばれるのは…………その、あまり賛成はできないが、かといってこのままだとまた第二第三の被害が出かねない」
「うむむ、グラント殿…………捜索の状況はどうかね? このまま勇者様不在では、王国の屋台骨は傾いてしまう」
「私も懸命に範囲を絞っているのだが、肝心の『王国暗部』が全く成果を上げないのでな…………このままでは私自身が探しに行かねばならないかもな」
「おぬしも大変だな」
勇者の捜索を指揮していることになっているグラントは、いけしゃあしゃあと噓をつきつつも、内心リーズ不在の状態がここまで王国にダメージを与えるとは思っていなかった。
(確かに、何かおかしい気がする。最近物事があまりにも悪い方向に進み過ぎている。ただでさえリーズ様のいない政府の権威は失墜気味だというのに、この事件が起きてこの対応…………タイミングが悪いだけでは説明がつかん)
親友のかつての婚約者の死は、確かに非常に悲劇的だった。だがグラントは、この悲劇は何かの予兆ではないかと感じた。
アーシェラと色々とやり合っていくうちに、グラントは今まで以上に疑り深い性格になったことを自覚はしていたが、それを差し引いてもなお拭いきれない、奇妙な不安が生じはじめたのだ。
と、そんな時――――もう一つの騒動の種がこの場に舞い込んできたのだった。
「グラント様! 申し訳ありません、遅れました!」
「母上も参列したいと申したため、少々時間が…………」
「おお、フィリベル! リオン! ようやく来たか…………ん? 今「母上」と言ったか?」
遅刻していた部下と、その兄がようやく到着したのだが、その母親まで来たと聞いた時、グラントは思わず驚愕の声を上げそうになった。
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