舞踏 Ⅱ

 この日の夜はとても静かだった。

 いつもなら、村長夫妻の甘ったるい会話だけが唯一のBGMになるのだが、今夜は二人の足音が木材の床をキシキシと鳴らす音しか聞こえない。


 お互いに手を取り合ったリーズとアーシェラは、ただひたすら無言でお互いの顔だけを見つめ合いながら足を運んでいる。

 横に、横に……前に、前に……二人の動きは完璧なまでにぴったりで、とても数日前に踊りの練習を始めたパートナーには見えない。勇者と元2軍メンバーのコンビというバイアスさえなければ、たとえ王宮の舞踏会で踊っても他と見劣りしないだろう。


(不思議だ……リーズといると僕もついつい口数が多くなるから、こうしてずっとリーズの顔を無言で見つめたことはなかったかもしれない。こうしていると、リーズの息遣いまで聞こえてくる…………)


 今までになく美しいリーズの顔から目が離せないアーシェラ。

 例えリーズの顔しか見れなくとも、彼女の呼吸とちょっとした動き、それに今まで練習で刷り込まれたリーズの声――――「ここでくる~んと回って、キュッとして、タンっ! そこから前、前っ、右、右っ」――が、自然と脳内に現れるせいか、アーシェラは特に意識をせずともリーズのステップに合わせることができた。


(今までリーズとダンスをしたことがないから…………たったそれだけの理由だったのに、想像以上に心が満たされる。まるでリーズと心まで一体になった気分……)


 アーシェラがリーズとダンスをしたいと考えたのは殆ど思い付きだったが、実はちょっとだけ嫉妬心も混じっていた。

 わずか1年間とはいえ、リーズは王国で数多の貴族を相手にダンスを行ったことだろう。もしかしたら、あの名前を思い出すだけでも頭にくる例の公子や、それ以外にもリーズを狙っていた有象無象が彼女の手を取ったのかもしれない。

 なのに、リーズを世界で一番愛している自分がリーズと踊ったことがないのはいかがなものか…………アーシェラにしてはなかなか俗な考えを持っていたが、それは彼がリーズに持つ思いへの裏返しと言えるのかもしれない。


(リーズ……リーズ。君は今、とても幸せそうだね。その笑顔を作ることができたのが僕で…………本当に、よかった)


 だが、今ではそんな邪な思いは完全に心の中から消え去った。

 リーズは今目の前にいて、アーシェラの手を取って踊ってくれる……そんな喜びの前では、細かいことなどすべてどうでもよく思えてならない。


 そんなアーシェラの喜びは、彼の表情にしっかりと表れていた。

 リーズから見てずっと親の代わりのような存在だったアーシェラは、今や伴侶として当たり前のように隣にいてくれる…………そして、リーズは今、妻としてアーシェラの一挙手一投足を導いている。この喜びは何物にも代えがたい。


(えっへへ~、ダンスはそこまで嫌いじゃなかったけれど、シェラと一緒だとやっぱりすごく楽しい……。綺麗な音楽も、明るいシャンデリアも、讃えてくれる人も、なくていい。今ここにいるのは、リーズとシェラだけ…………)


 今のリーズにとって、アーシェラと二人きりになれたこの薄暗い空間こそが、世界のすべてだった。

 壮麗な楽団による音楽の演奏はないが、むしろ今は音楽なんてないほうがいい。

 一曲終わればそこでいったんストップしてしまう社交ダンスと違い、アーシェラと二人きりなら、好きなだけ――――気が済むまでずっと踊っていられるだろう。


(シェラ……もっとこっちに来て♪)


 気分が最高潮に達したリーズは、今までの練習ではやらなかった動き――――左手の方をぐっと自分の方に手繰り寄せ、足が絡まってしまうほどアーシェラに密着した。

 本来の社交ダンスではタブーとされる、悪く言えば下品な動き。男性がパートナーの女性を露骨に誘う行為であったが、誰も見ていない今はそのようなマナーなど関係ない。

 二人はそのままもつれ合うようにくるっと半回転し、そして……リーズの意図を察したアーシェラが顔を近づけて、二人はぎゅっと唇を重ねた。


「えへっ……」

「ふふっ」


 何も言わなくても心で通じ合う。これほどまでに理想のパートナーがいるだろうか。

 つい数か月前までは、こうして結ばれることはないとすら思っていたというのに。


 その後も、二人はずっと無言で、お互いの顔を見つめ合ったままダンスに没頭した。

 同じ動きを何度も繰り返しているのに、二人は飽きることなく、むしろこのままずっと時が繰り返していてもいいとさえ思える至福の世界だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る