日記
二人が開いた日記帳には、表題に「
これにより、先ほどの廃墟は金羊毛の宿という名前だということが分かった。よく見ると表紙にも、翼をもった羊の印象が描かれている。
「
「あの廃墟もなかなかの大きさだったし、ひょっとしたらそれなりに高級な温泉宿だったのかもしれない」
元の建物は大きく崩れて面影はほとんど残っていないが、宿屋の名前や大きさ、それに立派な宿帳を見るに、かつてはそれなりに名の知れた宿屋であったことが想像できる。
そして、アーシェラの読みはそこそこ当たっていた。
開いた日記帳には、一ページに三日ごとの記録が書いてあり、旧街道を行き交う商人たちが旧カナケル王国への道中の休息や、帰り道の前のバカンスなどに利用していたことがわかる。
利用客がそれなりにお金持ちだったこともあり、それなりに羽振りが良かったようだが…………
「うーん、なんだか妙だな」
「どうしたのシェラ?」
「この日記帳には、仕入れや備品のことについても書かれてるよね」
「うんうん。この日には高級なお皿を買ったって書いてあるし、初めの方に椅子を新しくしたって書かれてるね」
「でもさ、さっきの廃墟にそんな高級なものは残ってたかなって思って」
「うーん……そうだっけ?」
日記帳には宿主のコメントもいくつか書かれているが、中には高級なものを買った様子が嬉しそうに書かれている日もあった。特にアーシェラの目を引いたのが「下民の私がこのようなものを手に入れられるとは!」と感極まった様子で書かれているもので、リーズも「下民」という単語が少し気になった。
「ねぇシェラ、この「下民」って…………」
「旧カナケル王国の平民のことだね。あの国は山向こうの王国と文化が少し違うんだけど、基本的に貴族は「上民」って呼ばれていて、王国とは比べ物にならないくらいの身分差があったんだ。それこそ…………一目見ただけで上民か下民か判別できるくらいだったって話だ」
「王国よりも身分差が激しいって、ちょっと想像できないかも」
気になるところは多いが、今は置いておいて、二人はさらに日記を読み進めていった。
魔神王が復活する前――――すなわち、今から20年以上昔。旧カナケル王国では上民の経済力が勢いを増しており、王国や中小諸国のいくつかで作られた高級品が飛ぶように売れ、大勢の商人が旧街道を行き来していた。
その恩恵は街道の宿場町にも利益をもたらし、このあたりに住む人々は、下級身分でありながらもそのおこぼれにあずかって儲かっていたことがわかる。
そして、この宿帳の持ち主も大金が入るにつれてどんどん気持ちが大きくなっていったようだ。
「この日は浴場をワイン風呂にしたって書かれてる…………そしてお風呂場でお肉の食べ放題をしたんだって」
「古の暴君の逸話、酒池肉林の再現か…………そんなことして大丈夫なんだろうか? せっかくいい泉質の温泉があるのに」
「こっちの日は…………ええっと、近くの宿場から、女の子を大勢取り寄せたって……」
「すごいスピードで堕落していってるなぁ…………」
軽い気持ちで開いた日記帳のはずだったが、好景気で儲かっていくにつれて、真面目だった店主がどんどんとアレな方向に走って行っているのが生々しく書かれており、二人はやや居た堪れない気持ちになってきてしまった。
一般の人が、何かのきっかけで大金を手にすると、その使い道に慣れていないせいで無茶苦茶な使い方をする傾向にある。その点、リーズとアーシェラの親友のロジオンは、商売の成功で大金を得ても、その大半を自分のためではなく商売のために使っているのは、賞賛すべきことだろう。
ただ、どれだけ豪勢な生活をしていても、宿帳だけは毎日欠かさずつけているところを見ると、持ち主の几帳面な性格は変わらなかったということもわかる。
しかし、そんなイケイケな雰囲気に、途中から徐々に暗雲が立ち込める。
「シェラ、ここ…………遠くの地方で反乱がおきたことが書かれてる」
「間違いない、魔神王が復活して、邪神教団が力を増したころだ」
旧カナケル王国やリーズの故郷の王国では、社会不安による民心の混乱がかなり深まってきており、このころから魔神王を復活させることを目的とする邪神教団が現れ始めた。
それでも王国は、まだ彼らの根拠地だったギンヌンガガプからかなり遠かったため実害はほとんどなかったが、旧カナケル王国はギンヌンガガプの南側に位置しているせいで、反乱の影響をもろに受けてしまった。
重税により生活が限界に達した下民たちは、各地で邪神教団に同調して反乱を起こし、対する上民たちはそれを徹底的に弾圧したのだが、それがさらなる反乱を呼び、旧カナケル王国は急速に力を失っていった。
その結果、山向こうから来ていた商人たちは、旧カナケル王国の混乱を憂慮して、旧街道を利用しなくなり……………
「この日は……お客さんが3人しか来なかったみたい。このままじゃ商売あがったりだって……」
「アルトリンド子爵領から温泉税の増税通達か…………金羊毛の宿の人も、苦しかっただろうな」
前半で羽振りがいい様子がかかれていた宿帳も、後ろのページになっていくにつれ、情勢の悪化で経営が苦しくなっていく様子が刻々と綴られてていく。
客足は減る一方なのに、この地を支配していたアルトリンド子爵はそんなこと知ったことかとばかりに、考えなしにどんどん増税していく。
確かに、急にお金持ちになったからと言って急に贅沢をし始めるのは褒められたこととは言えないが、それが単純に悪いことだとは言い切れない。むしろ、せっかく順調に経営していたのに、外部要因で急に客足が遠のいてしまったことに、同情の念すら感じられるほどだった。
店の貯蓄はあっという間に底をつき、物流の混乱で食べ物も満足に仕入れることができない生活が続く中、主は儲かっていた時期に買った高級品を領主に差し出すことで、どうにかこうにか税の支払いをしのいでいた。
しかし、状況は一向に良くなる気配はなく、早晩立ち行かなくなることは明白…………
「そしてここが、記述のある最後のページ…………か」
「日付は10年前、白虎の月(※2月末から3月下旬頃)11日…………旧カナケル王国が滅亡する2日前、だね」
分厚い日記帳の、後ろから10ページ目――――――もう少しで新しい日記帳に代わるというところで、記述は途絶えていた。
最後の記述によれば、魔神王が旧カナケル王国の首都付近にまで迫っており、騎士団が出撃したものの勝てるかどうかわからないということが書かれている。
実際のところ、この数日前には首都は陥落しており、それだけ情報のタイムラグがあったこともわかる。
そして、最後の日付の2日後には魔神王のすべての力を用いた大破壊魔術が発動し、旧カナケル王国の国土のほぼすべてが瘴気に沈んだ。
おそらく宿屋の主人は、この日を最後にこの地から逃げ出したか、それとも………………
「この日記を書いた人、ちゃんと逃げ出せたのかな?」
「わからない…………けれど、きっとどこかで生きていることを願うよ」
一通り読み終えたリーズとアーシェラは、予想以上に重い内容に少々心を痛めたが、それと同時に、貴重な記録を残してくれた日記帳の持ち主に、心から感謝の意を示した。
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