作法

 スープの飲み方がなぜ間違えているのかと聞かれたマリーシアが、返答に困るのも無理はない。

 王国の貴族や聖職者たちは、幼いころから細々した作法を膨大な量詰め込まれるのだから、いちいちマナーの理由までじっくり学んでいられなかった。

 むしろ、そういったことは「できて当たり前」なので、今まで理由を聞かれること自体なかったし、相手が間違えていれば直ちにそれを指摘し、正しい形に直させるだけでしかなかったのである。

 言ってみれば、日常のあいさつに一々どんな理由があるのか知らなくても、きちんとできていれば問題ないのとだいたい同じことだ。


「お皿の……傾け方が、だめな…………理由。えと、それは……み、見栄えが悪いからです!」

「なるほど、見栄えね。じゃあ、それは誰に対して見栄えが悪いと思うのかな?」

「そ、それは…………っ」


 マリーシアは知恵を振り絞って何とか答えたが、意地の悪いことにアーシェラはさらに質問を重ねてきたため、またしても窮地に陥ってしまう。

 すると今度はリーズが、にっこりと笑顔で追撃の質問をしてきた。


「じゃあねぇ、マリーシアちゃんは今のリーズは嫌い? 「勇者様」みたいにきちんとしてるリーズじゃなくて、リーズのことをリーズって言っちゃったり、美味しいスープを豪快に飲んじゃうリーズは嫌かな?」

「そんなっ! 勇者様は………いえ、ですが今のままでは、そのっ……」

「でも嫌だって言われても、これが本当のリーズだから仕方ないよね? それに、シェラも今のリーズの方が好きだって言ってくれるし♪」

「すっ……!?」


 もともと想定外の事態に非常に弱いマリーシアは、アーシェラの難しい質問とリーズの応えにくい質問に大いに悩まされ、さらには恋愛ごとに全く免疫のないのも相まって、頭の中が一気にオーバーフローを起こし、気を失いそうになった。

 あまりにも動揺したせいで、手に持っていたスプーンをスープの中に落としてしまい、その衝撃で真っ赤なスープが飛び散って、テーブルクロスだけでなく、ミーナから借りた服にまで汚してしまった。


「あ、あわわわっ!? わ、私ったら……なんて粗相をっ!」

「飛んじゃった? 大丈夫だよ、慌てないで。リーズが拭いてあげるから」

「ま、まってくださいっ! 勇者様のお手を煩わせるなんて、そんな失礼なことは――――」


「落ち着きなさい」

「っ!?」


 まるで、一瞬で空気が凍ったかのような重い声――――

 温厚で恐怖とは無縁のような存在だったアーシェラから発せられた一言で、マリーシアは一瞬で動きを止め、本能的に命の危険を感じるほど縮みあがった。

 そしてついでにリーズまで、一瞬体をビクッと震わせた……。


「まずは服についた染みを拭き取ろうか。早めに拭いておかないと、後に残るからね」

「はい」

「拭きながらでいいから聞いてほしい。君は王国の礼儀作法をほとんど卒なく完璧にこなせるようだけれど、どうやらその教養に知識が追い付いていないようだね。前にも王国貴族がこの村に来たことがあったけれど、やはり作法自体は完璧なのに、中身が伴っていないどころか、ないも同然だった。つまり、君たち王国の人々は、自分たちの作法や教養がどういった意味を持つのか、きちんと教えられていないんだろう」


 アーシェラの辛辣な言葉に、マリーシアは何も言い返せなかった。

 自らの人生を半分以上否定されるようなものだったが、彼女自身がたった今そのことを証明してしまったせいで、もはや反論の余地はない。


「もちろん、それが完全に間違っているとまでは言わない。場所や相手によっては、たとえ形だけだったとしても、きちんと見栄えを整えておくのは重要なことだ。けれども…………ここは世界の果ての、ほんの十数人しか住んでいない小さな村。そして今は食事を楽しむ時間であって、式典の会食なんかじゃない。こんな場所で、スープの傾きがどうとか、ナイフの角度がどうとか、そんな細かいことを気にしても仕方ないし、他にももっと大切なことがいっぱいある。とはいえ……こんなことは、そもそも礼儀作法以前の初歩的な問題だと思うんだけどね」

「………………」

「ちょっと厳しいこと言うけど、リーズも今のマリーシアちゃんとはお食事したくないと思う。美味しいものは楽しく食べたいし、それが許されないなら、リーズは勇者様の肩書なんて捨てちゃいたいくらいなの。ましてやシェラのことをあんまり悪く言うと、リーズだって怒るよ?」

「う……ぅぁあ…………」


 中央神殿の神官として築き上げたプライドをズタズタにされたうえ、尊敬する勇者様にまで嫌いと言われたマリーシアは、もはやどうしていいかわからず、その場で泣き出してしまった。

 会食の最中に脇目も振らずに泣くのは言うまでもなく重大なマナー違反だが、もはやそんなことを考えている余裕がないほど心に深い傷を負ってしまったようで――――とはいえ、結局ここで泣き出してしまうのが、マリーシアの未熟さを如実に表しているともいえる。


(……少しやりすぎたかな。女の子を泣かすなんて、あまりいい気分じゃないなぁ)

(うーん、人を怒るのって難しい…………。泣いたからじゃあ許してあげるっていう問題じゃないし)


 リーズとアーシェラは、ちらりとお互いに視線を交わして同時に頷き、自分たちがほとんど同じことを考えていることを確認した。

 かつてのリシャールのような傍若無人な相手ならいくらでも敵意を向けられるが、今の相手は悪意があるわけではない、かなり世間知らずな少女に過ぎない。追い詰め過ぎれば、罪悪感も沸いてくる。

 なかなか声を掛けにくい雰囲気だったが、少ししてようやくアーシェラが少しの慰めとともに諭す言葉を投げかけた。


「…………とにかく、君がどう食べるかは自由だから、そこまでは否定しないよ。でも、この村にいる限りは、ほかの人だってよほど迷惑を掛けない限り、どう食べるかは自由だ。それがこの村の掟……つまり「作法」なんだ。それがどうしても守れないというなら…………残念ながら、僕たちは君に追放も含めた罰を与えなければならない。けれども、今この村から追放してしまえば、君はきっとこの先生きていけなくなる。それがどういうことか…………中央神殿の神官が務まるくらい賢い君なら、きっとわかるはずだ」

 

 アーシェラの言葉に、マリーシアは涙をぬぐいながら黙って頷いた。


 それからの食卓は、ひたすら無言が支配した。

 いつもはリーズとアーシェラのたわいない会話が延々と続く食卓が、この日はまるで冷え切った冬の空気のように暗く沈んでいた。

 特にリーズは、かつて何もかもが監視されていた王宮での食生活を思い出し、思い切りテンションが下がってしまった。

 そして、マリーシアの体力回復を願って作られた、美味しい料理の数々も、なんとなく味気ないものに感じたのだった。

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