昼食

 その頃マリーシアは、朝食の後ミルカから半ば追い出されるように外に出た後、特に何をするでもなく村の中をさまよい、そして村のはずれにある岩の上に腰かけて呆然としていた。


「なんということでしょう…………私は、神の恩寵すら届かぬ場所に来てしまいました……」


 雪の中で倒れ、衰弱した体はまだ完全には回復していなかった。

 全身が怠く感じ、節々も痛む。特にひどいのはふくらはぎで、慣れない長距離歩行と人生で初めての山登りをしたせいで、普段使っていない筋肉が悲鳴を上げているのである。

 それでも、マリーシアは村の人々に自分の弱みを見せたくないのか、村の人と出会っても痛みをこらえて、澄ました顔であいさつを交わすのだが、いつしかそれにすら疲れて、こうして所在なさげに空を眺めるほかなかったのである。


(聖女様はもうこの村にはいない…………それはこの目ではっきり確認しました。であれば、再びあの山を越えて探しに行くべきなのでしょう。ですが、今の私ではまた…………)


 そして、そんな無力な存在になり果てた自分の体を、ひたすら恨めしく感じていたのだった。

 中央神殿のアイデンティティであり、旅の最中もずっと着ていた純白の神官服も、旅の過程ですっかりボロボロになってしまい、今はイングリット姉妹から借りている農民のような服を着るほかなく、それがさらにマリーシアの落ち込みに拍車をかけているのである。



 そんな時、マリーシアを見つけたリーズが、後ろから明るい声で彼女を呼んだ。


「おーい、マリーシアちゃん! そろそろお昼の時間だよっ! シェラがおいしいものをたくさん作ってくれたから、一緒に食べようよっ!」

「勇者様!? あ……あのっ! その……っ」

「心配しないでいいよ。リーズはちゃんとだから♪ それより、お腹すいたでしょ! まずはご飯食べよっ」


 突然現れたリーズを見て、マリーシアはワタワタと慌てた。

 尊敬する勇者リーズがたった一人で自分を探しに来てくれたという感動と、リーズのふるまいが軽すぎて一言申したい気持ちと、その一言申すのすら恐れ多いのではという気持ち――――三つが同時に湧き上がってしまい、何を優先していいのかわからないようだ。

 しかしリーズは、そんな事お構いなしにマリーシアの手を取って、ほとんど無理やり自分の家に招き入れたのだった。


「シェラただいまー! マリーシアちゃん連れてきたよー!」

「おかえり、リーズ。マリーシアも、そろそろお腹すいたでしょ、たくさん食べて少しでも体力を取り戻そうか」

「…………これを、おひとりで? ゴクリ……」


 リーズがマリーシアとともに家に戻ると、食卓にはすでにたくさんの料理がずらりと並んでいた。

 昨日も食べた紅蕪のスープをはじめ、チキンの香草焼きや酢で和えたマリネサラダ、それにキノコと秋野菜の蒸し焼きなど…………見た目は質素だが、どれも食欲をそそるいい匂いを放っており、マリーシアは無意識に喉を鳴らした。

 人前で物欲しそうに喉を鳴らすのは、王国貴族のマナーに反するのだが…………それすらも我慢できないほど、マリーシアは空腹だったのだ。


 リーズとマリーシアは、玄関に置いてあるぬるめのお湯が入った桶で手を洗うと、そのまま並んで食卓に着いた。そしてアーシェラも、三人分のお茶を入れてから席に着いた。

 この日は珍しいことに、リーズが客人の隣に座り、アーシェラがその対面という、マリーシア完全包囲の陣形を組んでいる。それゆえか、マリーシアは大人しく席に着き「いただきます」のあいさつとともに、黙々と食事を開始したのだった。


「……! これはっ!」

「ね、おいしいでしょっ! シェラは勇者パーティーの時に全員分の食事を作ってたんだよ! みんな大絶賛だったんだから!」

「勇者様のパーティーの食事を!? もしやあなたが、噂の凄腕料理人だったのですか……?」

「…………似たようなものかな」


 マリーシアの頓珍漢な言葉に、アーシェラはどこかで聞いたことあるような言葉で応えた。

 というのも、一軍メンバーの間ではどうもアーシェラは専属の料理人及び雑用請負人と思われていたようであり、その話が巡り巡って中央神殿の神官たちの耳に入るころには「勇者パーティーには凄腕のシェフがいて、聖女ロザリンデも満足できるような食事を提供した」ということになってしまっていたのだ。


 そのような(ある意味)すごい人物が、なぜこのような世界の果てにある貧しい村の長をしているのか、色々と疑問が尽きないマリーシアだったが、それ以上に目の前の食事がおいしすぎてそれどころではなかった。

 昨夜リーズに飲ませてもらった真っ赤なスープは、弱った体に染み渡る優しい味で、そのスープの中に入っているピロゲンは、王宮のものと味付けが全く異なるのに非常に驚いた。

 それ以外の食べ物も、王国の上品な味付けのものとは違い、味がそれなりに濃いものであったが、薄味になれているはずのマリーシアでさえとてもケチがつけられないほどおいしい。できることなら、毎日でも食べたい、そう思えてくる究極の家庭料理だった。


(どうしましょう………このような味を知ってしまったら。今までの食事では、物足りなく………いえいえ、食事は本来楽しむものではないはずです。あくまで決められた用量を…………)


 中央神殿の徹底した管理に基づく食事に慣れており、自身もロザリンデの食事を提供していたマリーシアだったが、次第にアーシェラの料理のおいしさに嵌りつつあった。

 だが、それでもなお彼女は、徹底した礼儀作法にのっとって、寸分たがわずナイフとフォーク、スプーンを動かしている。その姿を対面でひそかに観察していたアーシェラは、その徹底した自己管理ぶりに、心の中で称賛と困惑を覚えた。


(こんなところまでロザリンデさんそっくりなんだなぁ。いったいどんな訓練を受けたら、こんな緻密な動きができるんだろうか)


 かつて勇者パーティーにいたころ、マナーや作法にうるさい一軍の貴族メンバーですらも、ロザリンデと食事をするのを避けたという。

 だが、今のロザリンデはエノーと交流しているうちにすっかり丸くなり、少なくとも他人の食べ方にケチをつけることは滅多にしなくなったので、比較的親しみやすい人柄になったのだが――――今目の前にいるマリーシアは、そのかつての非常に硬い人柄だったロザリンデを見ているようで、非常に落ち着かない。


 普段は笑いが絶えないリーズとアーシェラの食卓だが、この日の昼食は異様なまでに静かに時が流れ、カチャカチャと食器が触れ合う音しかしなかった。

 だが、そんな気まずい静寂を、まずはリーズが破った。


「んっ…………ゴクゴクっ! ふーっ! やっぱりシェラのスープは最高っ! いっぱいだけじゃ全然足りない! というわけでシェラ、おかわりっ!」

「!!??」

「早いねリーズ。まだまだあるからたくさん飲んでいいよ。マリーシアも、お替りするなら言ってね」


 今まで優雅な手つきで食べていたリーズが、突然スープを器ごと持ち上げて、おいしそうにのどを鳴らして流し込んで、お替りを要求したのだ。

 それを見たマリーシアは思わずぎょっと驚いた。


「ちょ、ちょっと勇者様っ! なぜそのような品のない飲み方を!? しかもお替りだなんて! こんなの許されません!」

「え~、なんで? ここは王宮じゃなくて、リーズの家なんだから、別にいいでしょ?」

「よくありません! 勇者様なのですから、皆様の模範になるように心がけるべきだって、ご存じですよね! それに、昨夜から思っていましたけど、言葉遣いがよくありません! あと、勇者様の家はここではなく王都にあるはずです! いったいどうして―――――」

「おや、何をそんなに騒いでるのかなマリーシア。はいリーズ、お替り持ってきたよ」

「えっへへ~、ありがとシェラっ!」

「ああもうっ!!」


 今までリーズに遠慮して大人しくしていたマリーシアだったが、いきなり自由奔放になり始めたリーズを見てとうとう我慢できなくなり、イングリット姉妹の家で仕出かしたことを再び始めてしまった。

 が、リーズとアーシェラはマリーシアの意見に全く耳を貸す気配がない。


「勇者様もですが、村長さんも相手は勇者様なのですから、あまり無礼な真似をしないでいただきたい!」

「無礼? いったい何のことかな?」

「何もかもが、です!! そもそも、仮にあなたが噂の凄腕料理人だとしても、勇者様と親しくし過ぎです! 少しは身の程をわきまえてください! それに……先ほどから気になっていましたが、スープの飲み方がなっていません! スプーンの使い方が深すぎますし、そもそもお皿の傾け方が違います!」

「まあ落ち着きなって。そんなに一度にいっぺんに言われても、相手は困るだけだよ」


 ギャンギャンまくしたてるマリーシアに対し、アーシェラは全く困ってなさそうに宥める。

 そして――――アーシェラはついに反撃を始めた。


「順番に確認していこうか。君は僕のスープの飲み方がダメだといったね。どこがダメなのか教えてくれるかな?」

「え……そこからですか? ならば言わせていただきますが、今あなたはスープのお皿をこちらに向けて傾けていますね。それは明らかにマナー違反です!」

「そうなんだ。じゃあ…………なぜこの飲み方がダメなのか、説明してくれるかな」

「……え? えっ!?」


 アーシェラからマナーの理由について説明を求められ、マリーシアは言葉に詰まってしまった。

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