不満

 あの後家に戻ったリーズとアーシェラは、少し冷めてしまったスープを温めなおし、シェマが来るのに合わせて食器や副菜の準備をしていた。

 準備はあっという間に終わり、あとはシェマが来るのを待つだけ――――――というところで、そのシェマがなぜか不機嫌な様子で玄関から入ってきた。


「お邪魔しますー……」

「いらっしゃい、シェマっ! ってあれ、どうしたの? シェマ何か怒ってる?」

「おや、ずいぶんと剣呑じゃないか。何かあったのかい?」

「リーズ様、アーシェラ! 聞いてほしいんだよ! 実はさっき―――――いや、こんなところで話したら、せっかくのお料理が冷めちゃうねー。俺もアーシェラのスープ、楽しみだったんだ!」


 どうやらリーズとアーシェラが家に戻っている間の短い時間に、シェマに何かあったらしい。

 リーズはもとより、アーシェラすらも彼の身に何が起きたのかわからなかったが、話が長くなりそうだったので、立ち話はやめて食卓に着くことにした。

 シェマ自身も腹が立っているのは腹が減っているからかもしれない。みんなを笑顔にするアーシェラの手料理を口にすれば、少しは不機嫌も治まるかもしれない。


「ほおぉ~……不思議だねー。まるで北方か高地地方でよく見る激辛料理みたいに真っ赤っかなのに、優しいにおいがするねー」

「えっへへ~それじゃあさっそくっ、いただきますっ!」

『いただきまーす』


 リーズの「いただきます」を合図に、アーシェラとシェマも、スプーンを手に取って出来立てのスープを味わった。

 病み上がりのマリーシアでも飲むことができるサラサラのスープは、しっかりした味が付いた玉ねぎと紅株、それにピロゲン包みハンバーグの肉汁がしみわたっていた。まるで、いくつもの味がオーケストラのように複雑に絡み合っているにもかかわらず、各々が強く主張しすぎないことで、とてもマイルドになっている。

 そしてなんといっても、今回の料理の目玉である、生地に包まれた小さめのハンバーグ――――『ピロゲン』。

 煮込みハンバーグとは違い、肉汁をできる限り記事の中で閉じ込めて煮立てることで、塊を口に入れた瞬間、熱々の肉汁とともに濃い味のハンバーグが口の中に一気に突撃してくる。

 口の中は突然の大物の襲撃に衝撃を受け、味覚が脳にガツンと直接伝わるのだった。


「んふっ! あふふっ………っ!」

「ああそうだ、ピロゲンは中がとっても熱いから注意してね♪」

「あつつ…………それは先に言ってほしかったなー。でもこれこんなに肉汁があふれてくるー! サイコー!」


 リーズはその大きな口で丸ごと頬張ってしまったせいで、熱さでのたうち回りそうになっていた。

 だがその熱さと、凝縮された濃厚な味こそがピロゲンの醍醐味でもある。

 シェマも、先ほどまでの渋面はどこへやら。ハフハフと冷ましながら味を楽しむその顔は、すっかり笑顔になっていた。

 そして、料理を作った本人のアーシェラは、一度取り皿に移してナイフとフォークで切り分け、半分ずつにして食べている。


「で、シェマ。さっきは何がそんなに不満だったの?」

「あぁそうだ、このスープを食べてたらすっかり忘れてたんだけどさー、二人が帰った後、あの女の子……マリーシアがひどいことを言うんだ」

「ひどいこと? 中央神殿の神官さんだから、そんなこと言うように思えなかったけど…………」

「本人に悪気はないようなんだけどねー。でも、リーズ様とアーシェラを尊敬している俺には、どうしても許せなくて」


 そもそもの発端は、リーズとアーシェラが戻った直後にマリーシアが「あの方は、本当に…………本当に勇者様なのですか?」と口走ったことだった。

 その場にいたミルカとミーナは、なぜマリーシアがリーズのことを疑うのかさっぱりわからなかった。だが、話を聞いていくうちに、マリーシアが…………もっと言えば、王国の住民がリーズに対して持っているイメージが、自分たちと全く異なることを知ったのだった。


「勇者様は……真面目で、礼儀正しく、いつも堂々としたお方です。ですが、あの方はまるで私よりも年下の子供のようではありませんか! 姿かたちは同じでも、中身は私が知っている勇者様ではありません! それに…………もし本物だったとしてもっ、あなたたちの勇者様への態度は見過ごせません! あの方は世界を救った英雄なのです! 王侯貴族ですら無下に扱えない存在だというのに、あなた方は勇者様への敬意がなさすぎます! あの村長と名乗った人なんて、まるで勇者様の恋人気取りじゃないですかっ! 勇者様はそんな安っぽい恋愛に流されるようなお方ではないのですよ! ですから私は、あの方が本物ではないのではないかと――――――」


 こんなことを長々としゃべっていたらしい。

 シェマは彼女の言葉が聞くに堪えなかったが、かといってせっかく助けた相手に「黙れ」とも言えず、こうして不機嫌なまま二人の家にやってきたというわけである。


「俺だって前までリーズ様の本当の姿を知りませんでしたけど、だからってあそこまで言いたい放題言うのはどうかと思うんですよー」

「あ~……そっかぁ。そういえばリーズってだったっけ。ずっとシェラと一緒にこの村で過ごしてたから、すっかり忘れてた」

「なるほど……マリーシアが僕を見る目が、どうも怯えているように見えたのは、そのせいだったのか」


 とどのつまり、マリーシアにとっての常識と、この村の常識に大きな差があるのが根本的な原因のようだ。

 中央神殿というギッチギチの規則で固められた秩序の世界で長い間生きてきたマリーシアにとって、のほほんとしたこの村はまるで原始人の集落のように見えるのだろう。

 だからこそ、世界を救った英雄である勇者リーズが、この村の雰囲気になじんでいるのが、彼女にとって受け入れがたい事実だった。

 リーズは勇者となってから王国で過ごしている間、そのほとんどの時間を「勇者様という役」を演じる形で生活していたのだが…………アーシェラと結婚して、毎日を楽しく過ごしているうちに、そういった役作りをしていたことすら忘れてしまった。それゆえ、なぜマリーシアが自分のことを疑っているのかが、リーズにはなかなか理解できなかったのである。


「ん~……リーズがそう思われるのは別に何ともないけど、シェラのことを「恋人気取り」って言うのはさすがにどうかと思うなっ! 後できちんとシェラはリーズが世界一愛してる旦那様だって教えてあげなきゃっ!」

「そんなこと言ったらあの子気絶しちゃうかもねー。まったくー、あんなこと言うような頭の固い子だと知ってたら…………」

「助けない、なんて言わないでよシェマ。それじゃあ僕たちを見捨てた、王国の仲間たちと同じだ。気に入らないことがあったら、納得できなくてもまずはお互いの意見を交わさなきゃいけない。それをしないで一方的に心を閉ざすのは、卑怯者のすることだよ」

「うっ……それは、確かに。ごめん、俺が間違ってたよー」


 自分たち二軍メンバーを見捨てた一軍メンバーたちと同じと言われ、シェマは偏見を持ってしまった自分の心を恥じて反省した。できるかできないかではなく、自分の好き嫌いで他人を見捨てるなど、本来人としてあってはならないことだ。


「ははは、やっぱりアーシェラさんは立派だなー。俺の方が年上なのに、なんだか母さんみたいだよー」

「えへへ~、シェラは昔からみんなのお父さんとお母さんだったもんねっ! んっ……ごくごくっ! ぷはーっ! シェラっ、お替りっ!」

「早いねリーズ、今持ってくるからお皿貸してね。シェマもお替りするときは言ってね」

「あー、うん」


 まるで賢者のように示唆に富んだ言葉を授けてくれた直後に、まるで一般家庭の母親のように振る舞うアーシェラを見て、シェマは今更ながらアーシェラという人物に得体のしれない不思議さを感じた。

 ある時は勇者パーティーの雑用係、またある時は世界有数のシェフ、そして勇者リーズの夫であり、開拓村の村長であり、世界の覇権を裏から操っている張本人――――――

 シェマはそのことを考えるだけで頭がいっぱいになってしまい、先ほどまでの不満は再び記憶の片隅に追いやられてしまった。

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