カフェテラス
舞踏会があった日の3日後――――古狼の月の1日目
王都アディノポリス城下町の一角にあるカフェテラスで、アイネをはじめとする3人の女性が集まっていた。
彼女たちとアイネは古くからの顔なじみであり、なおかつ同じ一軍で戦った仲間だったこともあり、こうして庶民に混じってカフェテラスで定期的に談笑しているのだが――――――
「「「はぁ……」」」
3人はそろってため息をついた。
だが、彼女たちがため息をついた理由はそれぞれで異なっていた。
「あれは夢だったのかな……? いやもう、夢でもいいわ」
「何色気づいちゃってるんですか黒天使様。のんきなことで羨ましいですねー」
微かに頬を染めながらどこか上の空のアイネに対し、中央神殿の司教をしている女性スラチカがじとーっとした視線を投げかけてきた。
アイネは舞踏会で警備の指揮を執っていたにもかかわらず、第三王子ジョルジュに踊りのパートナーとして指名され、一躍注目を浴びた。そして、踊った後も仕事中であるにもかかわらず魔神王討伐の戦いでの活躍の話をせがまれ、終わった次の日も王族の別邸に招待されるなど、急激に親しくなってしまった。
婚約も白紙となり、浮いた話があまりなかったアイネにとって、突然降ってわいた第三王子との
「まあまあ、今まで悩みなれてなかったのですから、今くらいはゆっくり悩んでもよろしいのでは?」
「なによそれ……私が悩みがなさそうな、おめでたい女だと思ってるわけ?」
「いえ別に? ただ、スラチカさんは会うたびにため息ばかりですから、悩むことに関しては一日の長があるかと」
「…………その言い方もひどくですかね!?」
アイネとスラチカがややギスギスし始めたところで、もう一人の友人であり、以前訓練所でアイネに声をかけていた男性ジークニヒトの妹でもあるミルファーが、会話の間から毒舌を流し込み、二人のヘイトを同時に買っていた。
いまだに自分が恋煩いしているということも気づいていないアイネと違い、スラチカとミルファーのため息の理由はそれなりにつらいものがあった。
まず若くして司教になったスラチカだが、彼女はロザリンデの忠実な部下の一人であり、一軍メンバーにいることができたのも実力というより、神殿の権力が背景にあったからとも揶揄されている。
しかし、仕事に対する真剣さは本物であり、この日久しぶりに休暇を取るまではほとんど働きづめであった。が、彼女がため息をついたのは仕事に疲れたからではない。
尊敬する上司である、聖女ロザリンデが任務に赴いたきり帰ってこないのだ。
「エノー様が付いているとはいえ、聖女様が王国外に行ったきりもうかれこれ三か月……………神殿では心なしか、聖女様がいなくなったことで弛んだ空気が漂ってきていますの。いちいち指摘するのも気が滅入ります」
「うーん、ロザリンデさんがいないからさぼっていいなんて考えるなんて、神殿もどうしちゃったのかなぁ」
色々と口うるさかったロザリンデがいなくなったからか、どうも神殿内部で風紀のゆるみが表面化しつつあるらしい。これにはお堅いことが苦手なアイネも、納得いかなそうな顔をした。
いくら面倒くさい決まりや作法があるとはいえ、気に入らないからなあなあにしようと思ったことはなかった。けれども、そういった形式なことに王宮内以上に厳格であり、模範でなくてはいけない神殿内部でモラルの低下が見受けられるのは、にわかに信じがたいことであった。
「そういえば、ロザリンデさんの無事を確かめに行ってくるって言って、神殿を飛び出した子がいたんだっけ? その子もまだ戻ってこないの?」
「マリーシアのことね………あの子もどこに行ってしまったのやら」
その上、スラチカの部下で、主にロザリンデの身の回りの世話をしていた女性神官の一人も、ロザリンデのことを心配しすぎるあまり、一人で勝手に捜索に出てしまったのだという。
こちらについては、スラチカも殆どあきらめており、勝手に戻ってくるのを待つしかなかった。
「ロザリンデ様は時々無事でいることと、まだ勇者様を捜索中だというご連絡はくれるのですが、どこにいるのか皆目見当がつかない状況…………エノーさんがいるとは言いましても、リシャールさんが体調不良で帰還したというのですから、危険なことには変わりないようです」
「リシャール様…………あぁ、リシャール様! いったいどうしてあんなことに…………聖女様でも癒せないなんて、あんまりですわっ!」
「ちょっ!? ミルファー、声が大きいって!?」
三人の中でひときわ暗い顔をしているミルファーは、リシャールの名前が出た瞬間、まるでオペラの登場人物のように甲高い声で叫んだ。そのせいで、周囲の人々が驚いたように三人の方を向いてしまい、アイネが慌てて止める羽目になった。
「だ、大丈夫よミルファー! あの伊達男の勇敢さは私も知ってるし、すぐに立ち直るわよ!」
「だといいのですが…………私はリシャール様のことが心配で心配で…………っ」
そう言ってミルファーはまた大きくため息をつき、よよよと涙を流す。
ミルファーは王国貴族きっての弓の名手であり、魔術士の兄ジークニヒトが魔法の遠距離攻撃のエキスパートなら、彼女は武器の遠距離攻撃のエキスパートである。
なんといっても、彼女はリシャール公子を盲目的なまでに慕っており、第二王子セザールに並ぶ漁色家として悪名高いにもかかわらず、その想いに一点の曇りがないというある意味すさまじい人物である。
読者の皆様にとってみれば噴飯ものかもしれないが、ミルファーにとってのリシャールはまさしく理想の王子様であり、なんだったら愛人や側室でも構わないと公言するほどである。
しかし、そのリシャールは現在原因不明の病気のため、実家の領地で療養中であり、色々と噂が立った末にあれほど大勢いたリシャールを慕う女性の数も少しずつ減っていった。それでも、一途なミルファーはリシャールの体調を心から心配しており、実家の権力を使ってありとあらゆる治療法を模索している最中である。
「あーあ……せっかく平和になったのに、なんだか魔神王がいる頃に逆戻りしたような気になってくるわ。なんでだろう?」
「私はリシャール様が元気になれば、それで充分ですが…………この重苦しい空気は、流石に気分が悪いですわ」
「王宮じゃ毎日のようにお祭りみたいなことをしているのでしょう? いったい何が不満なんでしょう」
3人は再び「はぁ」と同時にため息をつき、コーヒーを啜った。
オープンテラス席から見える市場の様子は、魔神王が健在だったころに比べれば格段に活気を呈しているとはいえ、やはり以前に比べて閉塞感があることは否めない。
今この場にアーシェラがいたら真っ先に「まず戦争税を解除するところから始めようよ」と言い出すところだが、今の非常時重税をすっかり正常な状態だと認識している王国は、根本的な原因がわからないままだろう。
ましてや、そこまで政治感覚や行政知識に優れているわけではない彼女たちにとって、今の閉塞感は「正体不明」としか言いようがないのだろう。
だがそんな時、店の外から3人に声をかけてくる人物がいた。
「ごめんくださーい、私もお話に混ぜてもらっていいですか? とりあえず深煎りコーヒーください」
「え、うそ、マリヤンじゃない!」
ロジオンとともに開拓村に隊商を率いてきた女商人マリヤンだった。
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