貴族の時間

 「黒天使」ことアイネ・ジュアンクールは、名門武闘派貴族にして代々軍権の要を任されてきたジュアンクール家の次女であり、祖先の遺伝子を強く引き継いだせいか、幼いころからとんでもないじゃじゃ馬で、お洒落や勉強より武器を振るうことを何よりの楽しみにしていた。

 そんなアイネにとって、貴族社会のしがらみや礼儀作法など意味があるように思えず、最低限の知識や教養は身に着けているとはいえ、政治的な駆け引きは無力かつ無気力であった。それゆえ、初めから平和な世の中であったなら、ドロドロした貴族社会に嫌悪感を抱きながら無為な日々を過ごすか、貴族の地位を捨てて冒険者家業に身を落としただろうことは想像に難くない。


 だが、幸か不幸か……魔神王の復活と邪神教団の侵攻により、邪なる暴力を打ち払うための正義の暴力が必要とされる時代となったことで、アイネは活躍の場を得られるようになった。

 尊敬する勇者リーズの下で次々と強敵を下し、彼女の名声は日に日に増して高まるばかり。もちろん、命の危機に瀕したことも何度かあったが、血で血を洗う戦場での日々は、アイネにとっては非常に充実したものであった。



(平和な世の中を目指して戦ったのに…………いざ平和になると、こんなにもつまらないものだったなんて。私ったら、どうかしてるのかしら……………)


 訓練場で部下の騎士団を叩きのめした次の日、彼女は王宮内にある温室で開かれた茶会に出席し、気だるげな雰囲気で紅茶を啜っていた。

 月に一度開かれる女性貴族だけの定例茶会は、武骨なアイネにとって最も嫌な行事の一つだ。

 何らかのパーティーであれば、自分から警護役を申し出て面倒なことはスルー出来るし、会議の類も最悪座ったまま眠気をこらえていればいいだけの話だが、貴族同士の交流会―――――という名の教養礼儀作法マウンティングバトルロワイアルは、小細工を弄して避けられるようなイベントではない。


 カップの上げ下げ、茶の啜り方は勿論のこと、茶葉の蒸らし時間から口にする話題まで、まさに一挙手一投足が見比べられ、下手をすれば家の名声にもかかわってくるのだから、下手な隙は見せられない。この類が苦手なアイネにとっては、地獄以外の何物でもなかった。


 だが――――ただでさえ苦痛な茶会の時間だというのに、この日はそれに輪をかけて厄介なことになった。


「ふぅん…………アイネさんもひょっとして、実はわたくしと同じく平民の出身だったりするんですか?」

「お生憎様。私は生まれもはっきりした、ジャンクールの娘よ」

「あらまあ、それは失礼。以前から遠目に拝見しておりましたが、平民出身のわたくしよりもぎこちなさそうなので…………てっきりわたくしと同じく、此度の戦で栄光を掴んだお方なのかと思っておりました」

「……………(こいつはっ!!)」


 アイネは思わず、手に持った高級茶器の柄にひびを入れて砕きそうになった。


 彼女の対面に座っている、明るいクリーム色のゴージャスロールにした髪の毛に、桃色と水色というほぼ相反する色彩が絶妙にマッチしたドレスを着た、勝ち気な表情の女性が、先ほどからこうしてアイネのことをいちいち煽ってくるのである。


 対面に座っている女性の名前はラウラ…………そう、昨日訓練場で幼馴染のジギスムントが口にした渦中の女性ひとであり、アイネが今最も会いたくない人物でもある。

 ラウラは平民出身――――それも、魔神王によって滅ぼされた旧カナケル王国からの難民だったという。

 しかし、その向上心はすさまじく、勇者パーティーでの目覚ましい活躍と、その類まれなる美貌によって一軍へとのし上がり、さらに下手な貴族以上に礼儀作法を身に着け、流行の一歩も二歩も先を行くファッションセンスで大勢の男性貴族を虜にしたのだ。

 今では社交界の花として完全に貴族社会に溶け込んでいる半面、実力に裏打ちされた高飛車な態度は、特に女性貴族たちを大勢敵に回すことになる。

 名門貴族であるにもかかわらず、質実剛健で虚礼を嫌うアイネと、平民出身なのに卑しいところを一切見せないラウラ。対照的な二人は当然のように反りが合わず、こうして目線で火花を散らしている。


「それにしても、勇者様はまだ戻っていらっしゃらないのですね。勇者様がいらっしゃらないと、このお茶会もいまいち花に欠けると思いませんか?」

「それについては同感だわ。勇者様がいなくなってから、みんなため息ばかりだもの」

「あぁ、勇者様。今頃どこにいらっしゃるのでしょう。勇者様がいるだけで、周囲はまるで満開の花園のように笑顔になる…………あれぞまさしく、文武両道の王国貴族の鑑ではないでしょうか」


 ラウラ言うことがいちいちアイネの癇に障る。

 とは言え、リーズがいなくなってから、茶会の雰囲気が徐々に悪くなっているという意見については同感のようだ。

 リーズがいたころの茶会は、それこそラウラが言う通り、会場には満開の花が舞い散るように笑顔と笑い声に満ち溢れ、話題も自然と明るいものになった。リーズ自身が「今日は愚痴を言うのはやめましょう」というまでもなく、全員が無意識にポジティブな気分になる…………これもまた、リーズのカリスマがなせる業なのだろう。


「一度勇者様と対面して、お茶したことがあったけど…………あの時は、茶会って本当はこんなに楽しいんだって思ったわ。それ以来私も、色々とお茶の勉強をしたつもりなんだけどね」

「ふふふ、勇者様は優しいですからね。きっとあなたの不作法も笑って見逃してくれたのでしょう。次があれば、勇者様に気を遣わせないくらい、完璧にしていただきたいものですわ」

「…………そういうあなたこそ、その嫌味な口調は気を付けた方がいいわよ。あなたのしゃべり方は勇者様にとって印象悪いわよ。同じ武断派貴族として断言できるわ」

「ご心配なく。わたくしは尊敬できる相手には、きちんと尊敬の心を込めて相対しますもの。逆に相手がつまらない人物なら、額面通りに扱った方が精神衛生上マシです」


(それはこっちのセリフだっての!)


 この場で口汚く面罵してしまえば、それこそ相手の思うつぼ…………言われ放題のアイネは、もはや目の前の相手とまともなコミュニケーションをとることを半ば放棄し、ため息をつきながら紅茶を啜った。


(勇者様もラウラも、お茶の作法という点では同じくらい完璧なのに、なんでこうも違うのかしら?)


 それよりもアイネは、リーズがいないだけでなぜこうもお茶会の雰囲気が変わってしまうのか、ひいてはあれだけ結束の固かった勇者パーティーのメンバーが、この短期間でギスギスした関係に変わってしまったのか、疑問に思い始めた。

 そしてその疑問は、目の前にいるラウラの態度がヒントになるのではないかとも考えた。

 リーズもラウラもお茶会に限らず、貴族としての礼儀作法のあらゆる面が完ぺきにこなせており、そういった類が苦手なアイネにとっては、自然体でやってのける彼女らを羨ましく思っていた。

 だが、実際に相対すると、受ける印象が全く違うのが不思議でならない。

 礼儀作法が完ぺきであれば、貴族同士は自然に仲良くなれる――――親からはざっくりとそう聞いているのだが、いくらラウラの所作が完璧でもちっともいい気分にならないではないか。


「ま、あなたがどう思われようと、わたくしには関係ありませんから。それに、わたくしはいずれ勇者様と親類になるかもしれないのですから」

「は? それはどういうことかしら?」

「あら、ご存じありませんの? わたくし、先日よりセザール殿下よりご寵愛を賜りまして、正式にお付き合いすることになりましたの。勿論、正妻の座は勇者様のものでしょうけれど、次代の国を担う方の后として、共に手を取り合っていく所存ですわ」

「そう……それは良かったわね。羨ましいことで何よりだわ」

「……………」


 ここで、ラウラはさらっと自分がセザールと結婚を前提に付き合い始めたことを自慢し始めた……のだが、彼女の予想に反して、アイネの反応は非常に鈍く、逆にラウラの方があっけにとられた。

 普通の貴族の女性なら大いに悔しがるか、さもなくば畏怖するかのどちらかの反応を示すはずなのに、アイネはそんな感情を微塵も出さないどころか「勝手にすれば」といった、そっけない態度である。


「もしかしてあなたも、意中の男性がいらっしゃるので?」

「さあ、それはどうかしらね」


 ラウラは勝手に、アイネが心に決めた相手がいるものだと勘違いしているようだが、もちろんそんなことはない。しかし、今まで上から目線だったラウラの動揺が手に取るように感じられたので、アイネは意趣返しのような態度をとった、ただそれだけだった。


(第二王子なんて、所詮美人であればなんでもいいって人だし、あんなのに選ばれても屈辱でしかないわ)


 少し反撃ができて留飲を下げたアイネだったが、それでも心のイライラは収まらなかった。


(ひょっとしたら勇者様も、私と同じことを思ってるのかしら? まあ、あの人に限って、そんなことはないか)


 アイネは一瞬、ひょっとしたらリーズは第二王子セザールと結婚したくないゆえに、なかなか帰ってこないのかもしれないと考えたが、さすがにそれはないかとその考えを一蹴した。


 もっとも、実際その考えは中らずといえども遠からず、ではあったが…………

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