―王国情勢Ⅱ― 狂い始めた歯車

黒天使の激情

 王国の首都アディノポリスの一角にある軍事訓練場――――――

 精鋭無比を誇る王国騎士を養成するこの場所は、訓練する者たちの力のこもった叫びと、武器同士がぶつかり合う甲高い音が毎日引っ切り無しに聞こえてくるのだが…………この日はいつも以上にすさまじい音と、激痛の悲鳴が響き渡った。


 訓練場の真ん中では、男女を問わず鎧を着た屈強な騎士たちが大勢、痛みに呻きながらその身を横たえており、一人また一人と衛生兵によって担架で運ばれていく。

 そして、大勢の戦闘不能者のなかでたった一人、かすり傷一つ負わず平然と立っている女性がいた。


「ふん、まだまだ鍛錬が足りないみたいね。私が邪教集団の一員だったら、王都は陥落していたかもしれないわよ。…………勇者様さえいなければ、ね」


 彼女の名は、アイネ。

 開拓村の守人レスカよりもさらに高い身長と、踵まで伸ばされた非常に長い黒髪、そして深い赤色の瞳が特徴的で、鋭い表情をしたアイネは、息を少しも乱すことなくあきれたように言葉を口にした。


 まさに化け物じみた強さ。

 アイネの言う通り、実際に戦闘になったら、騎士団だけで守っている拠点があったらたった一人でも陥落させかねない。

 それもそのはず、彼女は一年前に勇者パーティーで一軍としてリーズとともに戦ったメンバーの一人であり、身長ほどもある長剣で、一瞬の間合いをもって敵に切り込んでいくその雄姿と、死をも恐れない激烈な戦いぶりから「黒天使」「壊刃」「火竜」の異名を持つ猛将なのである。


 そんなアイネは、実戦訓練だと言って配下の騎士団を叩きのめしたことからわかる通り、非常にイライラしている。原因はいろいろあるものの、一番はやはりリーズ勇者様がいつまでたっても帰ってこないことだろう。


「勇者様がいなければ……か。あーあ、本当に勇者様戻ってくるのかなぁ? あの責任感が強い勇者様が、約束を破って遊び歩いてるとも思えないし、どこかで事故にあって命を落としたとも考えにくいし……」


 魔神王を倒して世の中が平和になり、人々は安心して暮らせるようになっている……はずなのだが、目に見えない閉塞感は日を追うごとに高まり、王宮内でもかつての仲間同士がちょっとしたことでいがみ合う日々が続いている。

 それもこれも、すべてはリーズがいなくなってからだ。

 そして、そんな現状を変えることができない自分と、仲間たちの関係を憂いて、また大きくため息をついた。


(いずれにせよ…………勇者様が戻ってこないし、エノーもロザリンデも王都を離れている今、私が頑張らないとっ!)


 自分はやはり戦うことでしか存在を示せない。ならば、今の平和を保つためにもさらに力をつけねば…………

 そう思い立ったアイネは、休む間もなく自主練習に入ろうとした――――――そんな時、訓練場にふらっと入ってきた魔術士風の男性が、重苦しい空気の中場違いなくらい明るい声で彼女に声をかけてきた。


「これはこれは、アイネさん。まーた部下たちに八つ当たりしていらっしゃるので? 少しはお淑やかにしてないと、いくら旧知の私といえども嫁にもらってあげられないのですが」

「…………誰かと思えばジギスムント。こんなところまでわざわざ何の用よ」


 やや茶色が入った赤い髪に、ブロスに似た狐のように細い目をした男性魔術師ジギスムントは、アイネと同じく勇者パーティーの一軍に所属したメンバーの一人であり、射程の非常に長い魔術を得意とする人間攻城兵器のような存在であった。

 また、アイネとは貴族の家同士で親交もあり、同年代ということもあってかつては(親同士が勝手に決めたとはいえ)婚約者でもあった。


「なに、用事というほどのものではありませんよ。ちょうどこのあたりを通りかかったら、君が武器をもって奇声を上げているのを聴いたものですから、ストレスが溜まっているのかと思いましてね。私と一緒にお茶でもと誘うとしたのですよ」

「あんたねぇ……」

「はいはいはいはい、そんな怖い顔しないで。少しはラウラさんとかを見習ってみたらどうです? 君も悪くないのですから」


 何やらかなりギスギスした間柄だが、以前の二人はむしろ仲がいい方であった。

 ジギスムントは穏やかで知的な少年だったし、アイネも彼の許嫁になっていることに特に疑問を抱いてはいなかった…………が、しかし、勇者パーティーの一員として頭角を現すうちに、彼は次第にと距離を置くようになっていった。

 なぜなら、彼は見た目も麗しく教養もあり、しかも魔術の才もあるということで、仲間の女性やより上位の貴族の令嬢から好意を寄せられるようになってしまい、しまいには半年ほど前にアイネとの婚約を正式に解消してしまったのであった。


「あっそ。悪いけど、私は私のなすべきことがあるの、付き合えないわ。それに、わざわざ私を誘ったのも、あのラウラちゃんをほかの人に取られたからじゃないの?」

「…………なるほど、そこまで言うのなら仕方ありませんねぇ。ま、あなたは武器の扱いよりも、まずはフォークとナイフの使い方から練習した方がいい気がしますけれどね」


 アイネに図星を付かれたジギスムントは、一瞬表情をゆがめるも、すぐにいつも通りの胡散臭い笑顔に戻した。

 会話で名前が挙がったラウラというメンバーは、エノーと同じく平民出身ながら一軍に残った実力を持つ女性騎士で、しかもそこらの貴族と比べてもそん色のない美貌と洗練された所作を兼ね備えている。

 一軍メンバーの男性にも非常に人気があり、ジギスムントは彼女と交際するためにアイネとの婚約を破棄してしまったくらいだ。

 だが、どうやらラウラは結局ジギスムントのところにとどまらず、別の男性のところに走ってしまったようだ。


「あーやれやれ、それにしてもこのところ皆さんピリピリしていますね。平民出身のものたちが分をわきまえず大きな顔をするのも、セザール殿下が強引になったのも、すべては勇者様が戻ってこないせいでしょう。まったく、今頃どこで油を売っていらっしゃるのやら」

「ちょっと……あなたまで勇者様のことを悪く言うの? 自分のことは棚に上げて……」

「そうは言いますがね、勇者様がさっさとセザール殿下と結婚して、あの人の心をきちんと繋いでおかないせいで、ラウラは………っ! いえ、もうよしましょう。これ以上君と話していると、イライラして気分が滅入ってしまいそうです」

「うるさいっ! イライラするのはこっちの方っ!! これ以上グダグダいうなら、一生鏡が見れないくらいボコボコに殴るわよっ!」

「はいはいはいはい、これだから乱暴な女性は…………言われなくても退散させていただきますよ」


 自分から話しかけてきたくせに、好き放題気に障る話をした挙句「イライラする」と言い放つジギスムントに、アイネの堪忍袋はついに限界に達した。


 逃げるように去っていくジギスムントを見ながらこぶしを震わせるアイネ。

 そのままではイライラが収まらず、思わず近くにあった訓練用の案山子を、震える拳で思い切り殴りつけた。案山子は鉄の杭で地面に固定されて、板金鎧がかぶさっているにもかかわらず、アイネの拳でグシャリとねじ曲がり、根元から地面に倒れてしまった。


「まったくもうっ! これも勇者様が帰ってこないからかしらねっ!」


 ジギスムントと同じことを口走った彼女は、その後もイライラを発散させるように、備品の武器を振り回してはへし折っていく。

 最終的にその日の訓練で壊した備品の数は20本以上に上ったが、彼女の心は晴れなかった。


 寒さが深まり、雪が降る日もある王都アディノポリス――――――

 リーズという心の火種を失った王国の人々は、寒さが深まるにつれて、心もまた凍てつき始めているかのようだった。

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