古狼

 『古狼』テルミナートルとは、『古狼の月』の由来にもなった、太古の昔から語られる巨大な狼の魔獣である。

 伝承によれば体長は5メートル近く、大勢の狼の魔獣を従え、吹雪を操る力を持っていたとされている。

 そして、冬の森の支配者たる狼たちの王ともされており、狼の魔獣サルトカニスは、テルミナートルの子孫だと考えられていた。


 ところが、後年になって、その考えはむしろ逆であり、狼の魔獣が何らかの理由で巨大化した変異体こそが、伝説に語られるテルミナートルの正体だったのではないかと考えられ始めた。

 そのきっかけとなったのが――――――今まさに、リーズたちの目の前に堂々と現れた、白い毛並みの巨大なサルトカニスだった。


「テルミナートル!? まさか、伝説の魔獣の……!?」

「落ち着いてミーナちゃん。きっとあれは、巨大ストレコルヴォと同じ、あの魔神王の爪の影響で変異した違いないわ!」

「あの白い毛並み……赤い瞳……アルビノ? いや、しかし……」


 通常個体のサルトカニスは、焦げ茶色の毛皮に黒い瞳を持つ。一方で、このボスオオカミは白い毛並みに赤い瞳…………一見すると「アルビノ」のようだが、瘴気を取り込んで進化するほどの先天的に強靭な体からすると、単純な「白変種(全て白髪になる変異体)」である可能性が高い。


「あらあら、何もこんな時にこんなに珍しい生き物が出なくてもいいのに。きっと標本にすれば、大富豪が全財産吐き出しますわ」

「ほんと……こんなときじゃなければ」


 いずれにせよ、希少個体がさらに強大化したというのは、天文学的確率になるほど極めて珍しいことだ。

 ミルカが言うように、丸ごと標本にすれば、学術的にも歴史的遺物としてもその価値は計り知れないだろうが、残念ながら今は勇者リーズですら少々命の危険を感じるほどの状況であり、生け捕りだのなんだのと考えている余裕は全くなかった。


 そうしているうちにサルトカニスたちの群れは、親玉の指示のもと、じりじりと包囲網を縮めてくる。

 リーズ単体でもなんとかならないこともないが、一歩間違えばアーシェラやミーナなど比較的非力なメンバーを守ることができなくなるかもしれない。


(みんなはリーズが守るっ! もちろんシェラもリーズが守るっ! けがの一つだってさせないんだから!)


 リーズが剣を構え、それに続いて各々が得意とする武器を手に握った。

 陣形はアーシェラと荷車を中心にやや前方に向かって円陣を組み、あらゆる方向からの攻撃に対応できるようにすると、まずはアーシェラが全員に次々と強化術を掛けた。


防御上昇ディフェンス速度上昇ヘイスト技術上昇デクスト…………みんな、とりあえず荷物の心配はしなくていい。自分たちの命を優先してほしい」

「ありがとう、シェラっ! さぁ、かかってきなさいっ! 勇者リーズが相手よっ!」


 幸い魔獣たちが慎重になっているおかげで、強化術を掛ける時間は十分にあった。

 あとは、彼らが何らかの動きを見せた瞬間を狙って攻撃するつもりだ。


 一方で、万全の状態になったリーズたちに対し、なおもじりじりと慎重に近づいてくるだけのサルトカニスたち。

 どうやら彼らも、人間たちを単なる餌ではなく、かなりの強敵と認識しているらしく、隙を見せないように慎重にチャンスをうかがっているようだった。

 これこそまさに狼の魔獣ならではの連携戦術であり、蛮勇だけではない知恵のある魔獣の厄介なところだ。


「リーズ様……敵も我慢強いですねっ。幸い、轟音弾一つ持ってますので、これでひるませてみましょうか?」

「ううん、まだ大丈夫。狼たちも、お腹を空かせて我慢の限界のはず…………先に仕掛けてくるのは、きっとむこうだから」

「とはいえ、強化術が効果切れになる瞬間を狙われるのは避けたいな。慎重に決断しなきゃ……………ん? 何の音だろう?」


 お互いに攻めあぐねている状況で、ふとアーシェラは、地響きのような音が丘の向こうから聞こえてくるのに気が付いた。

 それと同じく、リーズたちから見て左翼側にいるオオカミの群れも、何か妙なものが迫っているのを感じていた。

 一糸乱れぬ姿勢でリーズたちを狙っていた狼たちが、突如困惑するようにそわそわし始め、何かを警戒するように、しきりにワンワン吠え出したのだ。


「あれ? なんかサルトカニスたちの様子が……?」

「何かがこちらに向かって突っ込んできますわ…………皆さん、まだうかつに動かないように」


 サルトカニスたちが警戒を乱した今が絶好の攻撃チャンス…………と、思うのはまだ早い。

 これがもし、新手の強力な魔獣の増援だったら、逆にこちらが危険にさらされかねない。


 そうしているうちに地響きはさらに大きくなり、丘の向こうから土煙が上がるのも見える。

 警戒するリーズたちの前で―――――――丘の上から彼らを狙っていた狼の集団の一角が、巨大なもこもこの何かによって蹴散らされた。


「な……なんだあれは!?」

「大きな羊の魔獣っ!?」


 現れたのはなんと、サルトカニスのボスよりもさらに一回り大きい、全身がもっさりした茶色の毛におおわれた羊だった。

 サルトカニスの群れを蹴散らした「何か」の正体が羊というのがあまりにも想定外だったリーズとアーシェラは、驚きのあまり目を点にしてしまう。


 だが…………ミーナだけは、その羊を見た瞬間に「何者か」を理解した。


「テルルっ!!」


 突如現れた、魔獣と思われた巨大羊は、脱走して行方不明になったはずのテルルだったのだ。

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