愛着

「為すべきことは大体終わった。そろそろ村に帰ろう」

「ほぼ半月も村を空けちゃった。きっとみんな心配してるよね」


 探索開始から12日目――――村を出発してから実に13日目のこの日、リーズたちは夜営のために滞在したアーシェラの生家跡地を後にして、ベースキャンプへの道を戻っていく。

 昨日、この地を瘴気に沈めた元凶の『魔神王の爪』を破壊したからか、湿地の空気は以前に比べ澄んでいるように感じ、自分たちが一定の成果を上げたと実感できた。


「村長だったら、むしろ村のことが心配になるんじゃないですか? また急なお客さんが来ていないかとか、村の人が風邪をひいていないかとか」

「ははは、ミーナにもお見通しか。人手が足りないから、勇者パーティーの頃みたいに、連絡専門役を使うわけにいかないからね」

「うーん、確かにっ。今度シェマに手伝ってもらう?」

「あの郵便屋さんもそこまで暇ではないでしょうし、伝書鳩なんてどうですか?」

「伝書鳩か……なるほど、その手があったか!」

「おお、いいですね伝書鳩っ! 手紙を届ける役ができるだけじゃなくて、いざという時の非常食にもなりますねっ!」

「いやフィリルちゃん……ふつうは伝書鳩を食べちゃったりはしないんだけど」


 得たものも多いが、もちろん課題もいくつかあった。

 なにしろ、開拓村ができて以来、ここまで本格的に別行動の人員を出したのは初めてであり、実際にやってみないとわからなかったことも多い。

 特に村との連絡手段が、貴重な「精霊の手紙」しかないのは問題であり、連絡のための人員が割けない以上、伝書鳩などの導入も検討する必要がありそうだ。


「あ、シェラっ! この道の先は橋が壊れてる!」

「むむむ、そうだった……僕としたことがうっかりしていた。みんな、手を貸してほしい。いったん荷物を下ろそう!」

「最後の最後で面倒ですわね」


 順調に見える帰り道も、ところどころ容易にはいかなかった。

 行きの時も泥濘を越えるのに苦労した台車ミネット号は、帰り道になった今、巨大なストレコルヴォの遺骸や、そのあたりで出来るだけ採取した瀝青を積んでとても重くなっている。

 こんな状態では、いくらリーズが力任せに牽いても、車輪が泥に沈み込んで動かなくなり、逆にお世辞にも頑丈とは言えない持ち手を壊してしまう恐れがある。

 そこで彼らは、まず荷物をいったん下ろして、泥の中を歩いて対岸へ運び、最後に軽くなった台車を運ぶことにした。橋を修理する手段がない以上、こうする以外に方法はなかった。


「うへぇ、また泥だらけになっちゃった」

「せっかくシェラに作ってもらったコートが、もうこんなに汚れちゃった……ごめんねシェラ」

「まあまあ、コートは汚れるためにあるものだし、ベースキャンプに着いたら一度汚れを落とそうか」


 同じような手段でぬかるみを越えること三度…………リーズたちの服、とくにコートやズボンはすっかり泥だらけになってしまった。

 清め術で汚れを落とせるとはいえ、替えの作業着があまりないのも問題かもしれない。


「とりあえず、ここまでくれば沼地を渡る必要はありませんわ」

「戦利品が多いのも、いいことばかりではないですね…………略奪のし過ぎで、荷物が多すぎて逃げるのが遅れて全滅した間抜けな山賊の話を思い出します」

「あはは、確かにそれは間抜けだね~! 私たちは近くにベースキャンプがあってよかった。こんなに重い荷物は、いっぺんに村まで運べないね」

「ベースキャンプに到着したら一回お昼休憩にしよう。そこで残りの物資を積んでから村に戻ろうか」

「そういえばベースキャンプには、保存したままの食材が残ってたっけ。あれも結構な量だし、全部乗らなかったらリーズが担いでいこうかな」

「できれば一度解体して、コンパクトに運べるようにしようか…………」


 何はともあれ、ベースキャンプまではもう少し。

 約10日程過ごした仮設基地は、数少ない安全地帯として心のよりどころになりつつあり、村に帰ってきたわけでもないのに、近くまで帰ってくるとホッとするようだ。


 ベースキャンプは今回の探索が終わっても、次回の探索に使えるように残しておく。

 初めの目的はある程度達したとはいえ、湿地帯の調査や探索はまだまだ始まったばかりであり、村の将来の発展のためにも今後長い間お世話になることだろう。

 そして、村に人が増えて探索の人数も増加すれば、ベースキャンプはそのまま居住地になることも考えられる。

 そう考えると、第二の村として名前を付けたくなるくらいの愛着もわいてくる―――――――はずだったが




「……………シェラ、それにみんな」

「ん? どうしたのリーズ?」

?」

「え……それはどういう意味――――――っ! まさか!」


 突然、リーズの表情が一気に険しくなり、アーシェラは何事かと驚いた。

 しかしその直後に、大地の隅々にまで響き渡るような音量の遠吠えが、彼らの鼓膜を劈いた。


「ウオォーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!」


 冬に最も聞きたくない効果音第一位にして、野生からの宣戦布告…………オオカミの咆哮だ。

 特に羊飼いのイングリット姉妹は、この咆哮を聴くだけで全身の毛が逆立つような感覚を覚え、反射的に手に持っている杖を構えた。


「お姉ちゃんっ!! これって!!」

「…………ふぅ、久々に刺激的な声を聴きましたわ」

「全員戦闘態勢っっ!!」


 ひときわ大きな咆哮の後に、無数の咆哮が輪唱のように続く。

 前から、右方向から、左方向から。後ろから聞こえないのは不幸中の幸いだろう。


「オオォオォーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!」


 大気を震わせる咆哮が再度響き渡ると、平野のあちらこちらからサルトカニスの群れが顔を出し、そして魔獣除けの対策をしたはずのベースキャンプからもサルトカニスの大群が現れた。

 そして――――――ベースキャンプを囲む土壁の一角を、まるで腐った木のドアを突き破るように飛び出す巨大な黒い影が一体。

 

 体長はおそらく5メートル以上。

 逆立つ純白の体毛に、血のように赤く染まった鋭い双眸、四本の脚から生えた禍々しい黒い爪。

 耳の下あたりまで裂けた巨大な口の周りは、つい今まで何かを食らっていたのか、白い体毛が赤黒く染まっている。


「テルミナートル…………」


 フィリルは無意識につぶやいた言葉は、伝説の狼の魔獣の名前だった。

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