外套
リーズとアーシェラは、発酵させた生地を捏ねて、パン窯で焼いていく一連の工程を少しの間見学していたが、しばらくするとディーターは作業をいったんやめて休憩すると言った。
「おし、だいぶいい具合に焼けたな、お疲れさん」
「いえ……俺はまだまだ大丈夫です」
ティムはまだまだ続けられると主張するが、彼の身体は汗だくで、頬だけでなく顔全体が赤くなっている。パン屋の仕事は子供にとっては相当ハードなのだろう。
それでもまだ一生懸命仕事を続けようとしているのは、よっぽどパンを焼く仕事が好きなのか、それとも…………
「ティム、少し休んだらいつものように子供たちと遊んでやってくれ」
「…………わかりました」
若干不服そうではあったが、ティムは素直にディーターのいう事に従い、エプロンと三角巾を外し始めた。これからティムは、長女のキルナを連れてブロス夫妻の家に行き、彼らの子供たちもまとめて遊ばせるつもりだ。今の時期は大人たちも忙しいので、各家庭の子供の面倒はティムやフリッツ、ミーナなどが見る必要がある。
すると、ここでリーズが自分の手に持っているものを見て、あることを思い出した。
「あ、待ってティム君! これっ、シェラがティム君のために作った防寒コートっ! 外は寒いからこれを着ていきなよ!」
「え……コート? 俺に、ですか?」
リーズからコートを差し出されたティムは、わかりやすいほど困惑していた。
「いいんですか……? 俺なんかに?」
「ティム、君が過去にどんな扱いを受けていたかは知らないけど、この村で過ごす以上、差別なんかしたりしないよ」
「ですが、僕なんかの為に…………村長がこんな立派なコートを……」
「村長だからだよ。村人たちが快適に生活できるようにするのが、僕の仕事だからね。それに、君に風邪でも引かれたほうがよっぽど大変だから、外に出る時は惜しまずに使ってほしい」
そう言ってアーシェラは、ティムの顔を下から覗くように片膝をつき、ゆっくりと頭を撫でてあげた。
ティムはリーズから受け取ったコートを、何かをこらえるように強く抱きしめていたが、照れ臭くなったのか「ありがとうございます」とぽつりとつぶやいて、コートを羽織って駆け出して行ってしまった。
キルナの手を引いて外を歩いていくティムが羽織っているコートは、彼の身体にぴったりな大きさであった。
「おっほっほ! あの子もまだまだ素直になれないね! でも、そんなとこも可愛いわよね!」
「リーズもなんだかその気持ちわかるような気がしますっ!」
今までキルナが面倒を見ていた赤ちゃんを背負ってきたヴァーラが、逃げるように外に行ってしまったティムを見てほほえましく笑っていた。リーズも、なんとなく彼女の気持ちがわかるようで、同時に少し前まではリーズもあっち側だったのだとしみじみと感じていた。
「それにしてもヴァーラさん、ティム君に子供たちと遊んできてほしいって言ったのって…………」
「…………そうさね、あたしも過去に何度かああいった子を見たことあるけど、親から叱られてばっかりいると、大人の顔色ばっかり窺って、必死で働かないと捨てられちゃうって思ってしまうものなのさ」
「だからあえて、一緒に遊んできてと頼んでいるわけなんですね」
「あいつの年頃の子供はな、まだまだ遊んでいたいはずだし、遊んでいなきゃならねぇ。パンを作るのは勉強だが、勉強ばっかじゃいい大人にはなれねぇよ」
ヴァーラとディーターの言葉に、リーズは思わずギクリと反応してしまった。
リーズ自身、親からの愛情をあまり受けずに育ったせいで、ティムの境遇が痛いほどよくわかる。もちろん、彼ほどひどくはなかったかもしれないが…………リーズがティムと同じくらいの年には、何とかして自分はダメな子じゃないという事をアピールしようとしていた。
(そういえばリーズが冒険者になろうとしたのも…………)
母親は上の兄姉にしか関心を持たず、父親は戦場に赴いてほとんど家にいなかった。
リーズが冒険者になろうとしたのは…………彼女の承認欲求を満たすためだったのかもしれない。
「それにな、もっと言えば俺的にはあいつはパン屋の仕事だけにこだわってほしいと思っちゃいない。もちろん、パン屋になってくれりゃあ嬉しいが、ティムはもっと大きなこともできるはずだし、何をやりたいかはあいつ自身に決めさせてやりてぇ」
「そうねぇ、今は何か仕事していないと落ち着かないみたいだけど、こののんびりした村にあと何年もいれば、そのうち落ち着いてくるはずさ」
「あはは、確かに! あれだけ毎日毎日働きっぱなしだったシェラが、こうしてリーズとのんびり過ごしてるんだからね♪」
「ああ、まあね……もうあんなに働き詰めになるのは、僕も当分勘弁願いたいね」
リーズがアーシェラと出会って初めて楽しい日々を過ごせたのと同じように、ティムもディーターの家に来てようやく大切な理解者を得られたのかもしれない。
ほとんど心が死にかけていた彼が、いつか傷を癒して、自分の意志で前に進めるように――――リーズとアーシェラはそう願わずにはいられなかった。
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