麵麭

 村の中心に一番近い場所にあるディーター一家のパン屋は、今日もパン焼き窯から立ち上る灰色の煙を、煙突から燻らせていた。

 辺りには小麦が焼ける香ばしい匂いが漂い、この家の近くにいるだけで空腹が加速してしまいそうだ。


「ディーターさんの家は今日もパンのいい匂いがする~」

「ロジオンたちが上等な小麦粉を持ってきてくれたからかな。ディーターさんも毎日窯の前で張り切っているみたい」


 リーズとアーシェラはこの日、毎日の食事で食べるパンを分けて貰うついでに、いくつか届け物をしにパン屋を訪れた。

 馬車が1台丸ごと入ることができるほどの大きな扉を前に、リーズは傍の壁にかかっているベルの紐を引っ張ってカランカランとならせば、すぐに中からエプロンを付けた恰幅の良い女性――ヴァーラが扉を開けて出てきた。


「おやおや、リーズちゃんに村長! 今日も仲がよさそうで何よりですわ!」

「こんにちはヴァーラさん! 今日もおいしいパンをもらいに来たよっ!」

「最近リーズのおかげで、ディーターさんやヴァーラさんと顔を合わせることも多くなりましたね」

「おっほっほ、嬉しいことじゃないの~! ところでリーズちゃん、今着てるコートは村長に作ってもらったのかい?」

「えっへへ~、そうなのっ! あまり重くないのに、風をほとんど通さなくてあったかいんのっ!」


 コートを着たリーズは、ヴァーラの目の前で軽くくるっと回ってみる。

 表面が細かい白い毛でおおわれた黒いコートは、リーズの動きに合わせてふわっと浮き上がり、頑丈そうな見た目の割にはとても軽そうだった。まだ装飾はほとんどされていないが、どんどん刺繍をしていけばいくらでもきれいになりそうだ。

 このコートの素材は、先日リーズたちが森で狩ってきた魔獣のものだった。

 サルトカニスの毛皮にディアトリマの羽毛を挟むと、強靭かつ保温性抜群のコートが出来上がる。表面がやや硬いので針を入れるのもなかなか大変なのだが、アーシェラは強化術が使えるので、ある程度硬いなめし革も楽々縫うことができる。


「ティムのコートも作ってきましたので、よかったら使ってもらってください」

「あらまぁ! あの子のコートまで作ってくれたのねぇ、助かるわ! そうだ、もしよかったらティムがパンを作ってるところ見ていくかい? あの子なかなか筋がいいから、うちの亭主も教えるのを張り切っちゃって!」


 ヴァーラに招かれて、二人は焼かれたパンのにおいが充満するパン工房の中へと立ち入った。

 村で一番大きな窯のおかげで冬でもそこそこ暑いパン工房。そこでは、長そでの服を肩までまくっているディーターとティムが、汗を流しながらパン生地を捏ねていた。


「おーし、おしおし! そうだ、そのリズムだ! あまり一か所に力を入れすぎるなよ! 全体が均一になるようにするんだ!」

「はい………っ! んっ……! んっ!」


「お~、頑張ってるね。村に来た時と違って生き生きしているよ」

「フィリルちゃんも楽しそうだったけど、ティム君も元気そうっ!」

「初めはちょっと元気なさそうだったけど、なかなかどうしてよく働く子じゃないか! うちの子たちもティムみたいな働き者になってほしいわ!」


 隊商にほぼ無理やり連れてこられたような雰囲気だったティムは、初めのうちは誰もが「この子本当に大丈夫か?」と思わずにはいられないほど無気力そうに見えた。だが、今のティムはそんなことが杞憂であるかのように、一生懸命パン屋の仕事を学んでいた。


「ディーターさん、今日もお仕事お疲れ様」

「おぅ村長、パンが入用か! ちょうどいい時に来た、今日はティムが初めてパンを焼くからな。よかったらパンを持ってくついでに、焼き立てを食って行ってくれ」

「こんにちはティム君! どう、パン屋さんのお仕事は?」

「リーズ様…………その、こんにちは。僕は見ての通りです」


 これから先、開拓村の人口が増えてくるとなると、ディーターだけでは村人のパンの生産が追い付かなくなるかもしれない。なので、今後はティムもパン作りに加わることができれば、村の食糧事情はより安定することだろう。


(ただ……何となくもったいない気もするけど…………)


 しかしアーシェラは、なんとなくティムにパン屋をやらせるだけではもったいないとも感じていた。

 食糧生産は村にとって重要な仕事ではあるが、ロジオンが厳選してわざわざ連れてきた人材ゆえに、もっと可能性があるかもしれないと考えてしまう。

 もっとも、もしほかの誰かがアーシェラの心を読めたなら「お前がここに居る方がもったないだろ」とつっこむかもしれないが…………


「シェラ、どうかしたの?」

「ん? ああ、本当に様になってるなって思ってね」


 少しぼーっとしていたアーシェラだったが、リーズの声で意識を戻す。

 そんな二人の目の前で、ディーターが大きな木のヘラを使って、竈の中で焼かれていたパンを取り出していき、すべて取り出し終わるとすぐにティムが同じへらを使って、捏ねて成型したばかりのパンを竈に入れていく。


「いいか、さっきも言った通り、竈の中に置く位置で焼き加減がだいぶ変わってくる。そう、それはそこ……これはもう少し奥の方がよさそうだな」

「このへん、ですね」

「へぇ……ただ竈に入れてるだけじゃないんだ」


 リーズも何度か工房に足を運んだことはあったが、パンが竈で焼かれるのを間近で見るのは初めてだった。

 ディーターの言う通り、竈は現代のトースターなどと違い、炎が均一に当たらないため、生地を入れる場所によって出来栄えに大きな違いが出てくる。

 それゆえ、ここまで大きな竈でも一度に焼けるのは4つ程度が限界で、しかも時々中の様子を見なければならない。また、生地を捏ねる作業も同時に行わなければならないので、パン屋は思っている以上に忙しいのだ。


 だが、苦労して焼きあがったパンはやはり美味しいものだ。

 ディーターは、パン窯から取り出したばかりの焼き立てを一つ手に取ると、それを半分に割ってリーズとアーシェラに手渡した。


「村長、リーズさん、これがティムが焼いたパンだ。食べてみてくれ」

「いいの? ありがとうディーターさん」

「えっへへ~、焼きたてだ♪ ふわふわしてる~」


 普段は長期保存をするために固くなってしまう黒パンだが、焼きたてで食べるとパサパサしてはいるが柔らかくてとてもおいしい。

 ティムはまだパン屋の修業を始めたばかりのはずだが、すでにこれだけおいしいパンを作ることができるとはなかなか驚きだった。


「うん! おいしいっ! おかずがなくてもこれだけで食べられるっ!」

「素晴らしいじゃないか。これなら村のみんなも喜んでくれるよ」

「はっはっは! よかったなティム、リーズさんと村長に褒められたぞ!」

「い、いえ……それほどでも」


 リーズとアーシェラに褒められたティムは、気恥ずかしいのか、顔をやや赤くして俯いてしまった。

 どうも彼は今まであまり褒められた経験がないのかもしれない。

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