―射手の月20日― 冬支度
晩秋
ロジオンやマリヤンたちの隊商が村から出発して数日――――
射手の月もいよいよ残り少なく、比較的温暖と言われているこの地方も気温が一気に低下した。北方地域ではすでに雪が舞っているらしいが、幸いこの辺りは冬でもめったに雪が積もることはない。
だが、次の月――――『古狼の月』の初めには旧街道は雪に閉ざされ、山の隙間を抜けてきた冷たい空気は、強烈な北風となって村に降り注ぐだろう。
「ふうぅ…………足元が寒い。どうしてあったかい空気は足元に行かないんだろう?」
この日の朝、いつも通り朝食の用意をするため台所に立つアーシェラは、足元にたまる冷たい空気から厳しい冬の寒さの洗礼を味わっていた。
急造の家を建てた去年よりはましとはいえ、暖炉に火をくべてもなお床板の表層は氷のように冷たく、鍋の熱気で上半身を温めてもなお寒さを覚えるほどだった。
いずれは靴下を二枚はかないといけないかなと思いながらシチューの仕上げをしていると、玄関の扉がバタンと勢いよく開かれる音がした。
「シェラーーーーっ!! たっだいまーっ!」
「おかえりなさいリーズ。シチューがもうすぐできるからちょっとま…………おっとっと」
「えっへへ~、今日のシチューもいい匂いがするねっ! ん~、すりすり~っ」
「もう、リーズってば……火を使っている時に抱き着くと危ないよ」
寒い中朝の訓練を終えてきたリーズが、鍋に向かっているアーシェラに後ろからぴったりと抱き着き、その大きな背中に頬ずりをした。
「あれ? シェラの体、あまりあったかくないね?」
「うん、まあ……そうだね。僕は朝からあまり動いてないし……」
ところが、暖房が効いた部屋にいたはずのアーシェラの体は、抱き着いてもさほど暖かくなかった。というよりも、リーズは元々体温が高いうえに激しい運動をしてきたので、体は十分に暖まっているはずだ。
「むしろリーズに抱き着かれるとすごく温かい」
「そっかぁ……じゃあね、リーズがシェラを温めてあげるっ」
「ふふっ、ありがとうリーズ」
リーズはアーシェラを温めるために、より強く彼の体に密着した。
アーシェラの体は男性にしてはやや細い方だが、冒険者家業や普段の家事で鍛えられるからか、密着すると意外とがっしりしていることがわかる。
結婚する前も散々抱き着いてきたリーズだったが、今でもアーシェラの体に体重を預けると、安心すると同時に心臓がドキドキして、頬が熱くなるような感覚を覚える。
(リーズはシェラと結婚したのに…………シェラの背中、まだドキドキする♪)
こうして、運動で温まっていたリーズの身体はアーシェラが好きという気持ちを燃料に、さらに熱くなっていった。背中にぴったり密着したリーズの身体から、アーシェラにも熱が流れ込み、先程まで感じていた寒さは完全になくなってしまった。
そんないい雰囲気の中、リーズがアーシェラの背中に顔を寄せてうっとりしていると…………リーズのお腹が雷が落ちたかのようにギューっと悲鳴を上げた。彼女のもう一つの燃料が底をつき始めたのだ。
「あ……あうぅ、ごめんねシェラ……」
「いいのいいの。正直なリーズのお腹も、僕は好きだよ。さ、朝ごはんにしようか」
ちょうどシチューも程よく煮えたようなので、二人は手分けして朝ごはんの用意を始めた。
今朝のメニューは先程のシチューのほかに、ベーコンが巻かれた俵型のハンバーグが10個と、リンゴのお酢を使ったサラダ、それに焼いてまだあまり日が立っていない黒パンが並ぶ。
特にシチューは大きめで肉厚のキノコが入っており、先日仕留めた鳥の魔獣の肉(骨付き)と一緒に食べると、だれも文句のつけようがない味になる。
「骨付きのお肉、久しぶり! あむっ、あむむむっ!」
「秋の味覚はそろそろおしまいだから、今のうちにたくさん味わってほしいな」
実りの秋の最盛期はとうに過ぎ、森の木々にはほとんど実が付いていない。ついつい食が進む秋の味覚がが楽しめるのは、食糧倉庫に貯蔵されている分だけだろう。
しかし、冬の森に食べられないものがないわけでもない。むしろ、冬だからこそ食べられる独特の食材もたくさんある。
「秋ももうおしまいかぁ…………なんだかあっという間だったね。でも今日は、ブロスさんやゆりしー、それにフィリルちゃんと森で山菜取りだもんね! 今から何が取れるか楽しみっ!」
「今年は何か新しいものが見つかるといいね。リーズの食べ物の嗅覚に期待してるよ」
「もうっ、リーズは犬じゃないよっ!」
リーズとアーシェラは、食事を終えて準備を済ませた後、久々に森の奥まで赴く予定だ。
新入りのレンジャーであるフィリルにこのあたりの地理と森の掟を教えるため…………そしてなにより、冬を目前とした新しい山菜探すため。
リーズのお腹にアーシェラの料理が補充されていくにつれ、彼女の冒険心が徐々に燃え上がっていった。
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