―王国情勢― 或る王子の暗躍
驚愕の婚礼
リーズをはじめとする開拓村の人々が、村長の壮大な夢の実現に向けて、少しずつ変わろうとし始めている頃――――――遠く離れた王国でも、少しづつ変化が起き始めていた。
この日、王国北部貴族領の一つであるシャストレ伯爵領では、雪が舞いそうなほどの寒さにもかかわらず、各地から集まった大勢の人々の熱気で満ち溢れていた。
その大勢の人々の中に、リーズとともに勇者パーティーの最前線を担った人物の一人であるグラントの姿があった。
いつもは貴族にしてはやや地味な軍服を着ているグラントだが、この日は漆黒の布地に星のように輝く金の装飾がなされた礼服を着用し、さながら王室の晩餐会に出席するかのような気合が入ったものだった。
同行する彼の妻も、薄い水色のドレスを纏い、目立たないながらも一部の隙も無い所作で夫の横を固めた。
このような装いをしているのはグラントだけではない。集まった人々を見渡せば、誰もが自分にできる最高の装いに身を包み、今回の集まりに招かれたことに興奮を隠せないでいる。
この日――――シャストレ伯爵家では、当主の婚礼の儀が行われる。
しかもかなり珍しい形の婚礼だということで、王国北部だけでなく、各地から大小問わず様々な家が今日の婚礼を一目見ようと詰め掛けたのだった。
「ごきげんようシャストレ伯……いや、マトゥシュ殿。今日の婚礼を楽しみにしていていましたよ」
「おぉ、久しいなグラント! 最近は何かと忙しいようだが、わざわざ奥方とともに足を運んでくれるとは…………貴公が来てくれるとなると、この婚礼にも一層の箔が付くというものだな!」
「いえいえ、当家とシャストレ伯は、王国の歴史始まって以来の古馴染ですから、何を置いても駆けつける所存」
グラントと親しげに話すシャストレ伯爵家当主マトゥシュは、グラントと昔から付き合いがある友人であり、彼よりも3歳年上の兄貴分である。それゆえか、魔神王討伐に多大な貢献があり、一躍時の人となったグラントも、やや腰を低くしながら比較的フランクに会話していた。
マトゥシュは歳すでに40代の折り返しを過ぎている。深い緑の髪の毛や立派な顎鬚にチラホラと白い毛が混ざり、実直そうな角ばった顔には皴がいくつか刻まれ始めていた。
「マトゥシュ殿は、以前まで再婚はしないとおっしゃっておりましたが、思い切った決断をされましたな」
「ははは、この歳になってくると、流石に一人で老いていくのが寂しくてな!」
そんな彼は、そこそこの名門貴族にかかわらず、20代前半ごろに事故で妻を失ってからずっと独身を貫いてきた。子供もおらず、シャストレ伯爵家はマトゥシュの代で断絶か――――と、思われていたのだが、本人もこの歳になってさすがにそれはまずいと思ったのか、ようやく再婚を決意したようだ。
その再婚相手というのがまた驚きで………………
「しかも聞くところによれば、お相手の女性は16の貴族令嬢だとか……知ったときは腰が抜けるかと思いましたぞ」
「そうだろうそうだろう! 秘かに懇意にはしていたのだが、こうして結ばれるとは夢にも思わなんだ! 貴公も、年甲斐もなく浅ましいと思うか?」
「まさか! これがどこからか攫ってきたなら別ですが、お互いに思いあっての婚礼ならば誰に憚られることもありますまい。こうして大勢の方々が訪れたのも、マトゥシュ殿を祝福したいがためと見受けられます」
相手は何と、まだ16歳の貴族令嬢だという。
地方で没落しかけている小領主の娘だったが、それなりに美しく、教養も身についていた。
相手方の家とシャストレ伯爵家は比較的長い付き合いがあり、両家で交流していくうちにお互いに惹かれあったのだという。
もちろんマトゥシュも、親と子供ほども離れた歳の女性と恋仲になることに大いに悩んでいたようで、非常に親しかったグラントにすら交際を秘匿していた。だが、婚約相手もマトゥシュのことを愛していたし、相手の家も(裏で様々な打算があったにせよ)今回の婚礼に合意してくれた。
こうして、比較的珍しい、政略結婚ではない形の歳の差婚礼が成立したわけである。
長年の独身生活から脱出できたうえに、とても若くて美しい女性をめとることができたマトゥシュは、まだ酒も飲んでいないのにホオズキのように顔を赤くし、この日を迎えられた喜びで、ずっと満面の笑みを浮かべている。
そしてグラントも、古くからの年上の友人がこの上なく幸せそうな様子を見て、自分まで喜びをおすそ分けされたかのような晴れやかな気分になった。
「そういえば……」
ここでグラントは、ふと気が付いたことがあった。
「お相手の女性はどちらに? 私と妻も顔を見たことがない故、ご挨拶の一つをしたいと思いましてな」
「それなんだが、実はまだ会場に到着していないのだ」
「到着していない?」
「ああ、なにやら準備に少し時間がかかっているようでな。今馬車でこちらに向かっているという連絡は受けたのだが」
「さようでございますか。では、婚礼の儀が落ち着きましたら改めてご挨拶に伺いましょう。私だけがマトゥシュ殿の口を独占するわけにはまいりませんからな」
「気遣いすまんな。また宴の席でいろいろと語り合おうではないか」
新婦がまだ会場入りしていない…………それを聞いたグラントは急に嫌な予感を覚えたが、新郎といつまでもしゃべっているとほかの招待客にも悪いと考え、いったん話を打ち切ってその場から離れた。
(今日はせっかく仕事のことを忘れて、心から楽しめると思ったのだが…………ううむ、杞憂だと信じたいところだ)
日々の激務に追われるうえに、勇者不在で雰囲気が日々悪化していく王宮内の折衝に、勇者リーズを守るため……そして何より王国の膿を出し切って新たに生まれ変わらせるための裏工作、これらをすべて同時並行して行っているグラントの精神的な疲労は相当なものだった。
それゆえ、こうした純粋な祝い事は彼の数少ない心の癒しになる…………はずだった。
だが、貴族社会の暗部をうんざりするほど見てきた彼は、少しのイレギュラーでも裏で何かがあったのかと勘ぐってしまう癖がある。
(私ですら、花嫁がうら若き乙女だと知ったのはつい数日前……交際の噂も全く聞かなかった。突発的に花嫁の略奪を企てるものもいるだろうが、武人のマトゥシュ殿相手にそのようなことをする輩がいるかどうか)
グラントがそんなことを考えていると、正門の方から「花嫁が乗った馬車が到着した」という声が聞こえてきた。婚礼会場は人々の期待でさらに盛り上がり、グラントも思わず胸をなでおろした。
「よかった、私の心配は無駄に終わったようだ。どれ、わが盟友の妻となる女性とはどんなものか」
花嫁が会場に到着したのならもう何の心配もいらない。
グラントは花嫁の姿を一目見ようと、同じことを考えている周囲の招待客たちに交じって、正門の方へと歩みを進めた。
しかし、その軽快な歩みは――――目的のものを見た瞬間、止まった。
小領主には分不相応な四頭立てな馬車が会場の正面に停車し…………中から着飾った花嫁の手を引いて、第二王子セザールが姿を現したのだった。
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