拠所

 村に物資を運び、これから先の開拓村の発展に力を貸すと約束したロジオンとマリヤンは、滞在3日目の午前中に隊商をまとめて村から出発していった。

 お目当てのものを手に入れることができた村人たちは誰もがほくほく顔で、土ぼこりを上げながら走りゆく馬車たちを、村の入り口から手を振りながら見送る。


「ロジオーーーーーン! マリヤーーーーン! また春に会おうねーーーーーーっ!!」

「ありがとう、二人とも。僕たちも期待に沿えるように頑張るよ」


 そして、久しぶりにかつての仲間とたくさん話すことができたリーズは、再会を望む気持ちを地平線まで届かんばかりにめいっぱい叫んだ。すぐ隣にいるアーシェラの声はリーズの声でかき消されてしまったが、その言葉にはしっかりと温かい思いがこもっていた。耳に届かなくとも、きっと彼らには伝わっていることだろう。


 そんなリーズの叫びを最後に、久しぶりの大人数を迎えてお祭りのような賑やかさがあった村は、いつもの穏やかさを取り戻していった。だが、彼らがもたらしてくれた暖かさは、完全に冷めることはなかった。越冬の用意はほぼ万全になったし、なにより新しい村人も加わった。

 新しく加わった村人の一人――フィリルは、ブロス夫妻とともに途中まで隊商を誘導するためについていき、帰り道に防衛用の罠のことを学びながらゆっくり戻ってくるだろう。

 もう一人の新しいメンバー――ティムも、今日の朝から早速パン屋になるための修業が始まり、新品の小麦を練り始めている。

 ゆっくりとではあるが、開拓村は一丸となってアーシェラの夢…………カナケル地方の復興に向けて動き出したのだった。



「えっへへ~、今日は焼き立てのパンがあるっ♪」

「この村では滅多にない御馳走だからね。メインディッシュも、パンがおいしく食べられるようにビーフシチューハンバーグにしてみたよ」

「すっごーいっ! リーズなんだか急に偉くなったみたいっ!」

「ふふっ、君は元々世界一偉い人と変わらない立場だった気がするけどね」

「そうだっけ? えへへっ♪ まあいっか、いただきまーすっ!!」


 隊商が帰った後、リーズとアーシェラはいつも通り家事を分担して、いつも通り村の仕事をして、いつも通り二人で向かい合って夕食を摂る。

 パン屋に新鮮で上等な小麦が供給されたおかげか、村ではめったに食卓に上がらない焼き立ての白パンが、テーブルの真ん中にある籠の中に堂々と鎮座していた。

 歯ごたえのある黒パンも悪くはないが、もちもちの白パンはやはり別格である。なのでアーシェラも、めったにない御馳走をよりおいしく食べられるように、メインディッシュもいつも以上に気合を入れて作ったようだ。

 白パンは黒パンと違って日持ちもしないので、こういったときにか食べられない。毎日食べられるのは王侯貴族くらいだろう。とはいえ、王国にいた頃のリーズなら毎日のように白パンを食すことができただろうが、不思議なことにリーズにとってはなぜか生まれて初めて食べたような気分だった。


「あ~……おいしっ! しあわせぇ♪」

「うんうん、我ながら今日は会心の出来だね」


 筋の肉や自家製コンソメ、それにいくつかの野菜を煮込んで作った濃厚でまろやかなルーは、白パンにしみこんでもハンバーグにしみこんでも非常にマッチしていた。パンにハンバーグを一欠けらそのまま乗っけて頬張れば、舞踏会で男女が密着して踊るように複雑に絡み合い、幸せの形を演出する。


「ん~っ、おいしすぎる……っ! ずっと食べていたいなぁ……」

「…………大丈夫だよリーズ。たとえどんなに忙しくなっても、君が食べるものは僕が作ってあげる。いや、僕に作らせてほしい」

「っ! シェラ……!」

「リーズが幸せそうな笑顔で、お腹いっぱいに食べてくれる…………その幸せは、夫である僕が一生独り占めしたいんだ」


 もう結婚して1か月近くになるというのに、リーズは改めて告白を受けたように顔を真っ赤に染めた。そしてアーシェラも、頬を赤く染めて照れくさそうにはにかむ。


「どれくらい先になるかはわからないけど、国の復興の指揮を執るからには、息もつけないほど忙しくなる日がきっと来るはず。もしかしたら、家事や育児をほかの人に手伝ってもらわなきゃいけない日も来るかもしれない。けれども……いや、だからこそ、大好きな料理だけは譲れないんだ。ふふっ、なんだか僕も少しわがままになってきたかな?」

「実はね、リーズもちょっとだけ心配だったの。リーズが勇者になって、シェラとなかなか一緒の時間が取れなかった、あの頃と同じになっちゃわないかって…………だから、シェラがリーズのことを独り占めしたいって言ってくれるのが、すごくうれしいのっ!」


 カナケル復興を目指すかどうかをアーシェラが決断したのは、リーズが積極的に後押ししてくれたことが大きかった。が、だからと言ってリーズには心配が全くないわけではなかった。

 将来、開拓が急ピッチで進めば、アーシェラとリーズも仕事に追われる日々が必ず来る。そうなると、夫婦で過ごす時間は限られてくるだろう。そして何より、アーシェラが手料理を作る時間さえ失われるかもしれない。

 リーズが「ずっと食べていたい」とつぶやいたのは、そうした思いが無意識に心の中をよぎったからだろう。そして、アーシェラはその言葉からすぐにリーズの心配事を悟ったのだ。

 リーズにとってはまるで心が見透かされたかのようにも感じるが、今の彼女にとってはそれすらもとてもうれしく感じた。


「じゃあね、リーズもわがまま言ってもいいかな?」

「うん、もちろんだとも」

「リーズはね……一度は勇者になって、みんなのため、世界のためって思って戦ってたけど…………今度はシェラのためだけに頑張りたいのっ! もちろん、仲間が大勢いる方がリーズは好きだし、みんなと仲良くしたいけど、リーズにとっての一番大事な人は…………シェラだけなのっ! リーズの隣にいていいのはシェラだけだし、シェラの隣にはずっとずっとリーズが居たいっ! ね、リーズの方がわがままでしょっ♪」

「リーズってば…………本当に甘えるのが上手いね」


 勇者となって魔神王討伐を成し遂げたリーズ。

 誰もがこの偉業を彼女の一番の栄光だと考えるだろうが、リーズ自身はむしろアーシェラと長い間離れ離れになってしまっていた黒歴史のように感じ始めてきている。

 だからこそリーズは、次こそは愛するアーシェラただ一人の為に命を懸けると固く誓っていた。

 そして、魔神王討伐以上の偉業をアーシェラとともに成し遂げるのだ。


「もしシェラが忙しくて手が離せなくなっても、代わりにリーズがご飯作ってあげるっ! そのためにも……たまに練習したいな」

「それじゃあ僕も、もしリーズが危険な目にあった時に備えて、戦えるようにならないとね」


 二人の話が弾む間にも、フワフワの白パンも濃厚なシチューハンバーグも、どんどんリーズのお腹の中に消えていく。アーシェラがゆっくりと自分の分を食べ終える頃には、リーズは5回もお替りをして、すっかり満腹になっていた。

 食べ終えた後は、いつもならアーシェラが食器の片づけをして、リーズがお風呂を沸かすのだが――――リーズはまだ甘えたりないのか、食後のお茶を飲みながらアーシェラの膝の上に腰掛けて、胸元に顔をうずめるようにその身を預けていた。


「えっへへ~……シェラ大好きっ♪」

「僕もリーズのこと、大好きだよ」


 早く片づけをしないとお風呂の時間も遅くなり、食器の汚れも落ちにくくなるのだが、二人はそんなことを気にも留めずにのんびりとじゃれ合った。

 アーシェラの手がリーズの紅色の髪を撫でるたびに、リーズは気持ちよさそうにうっとりと目を細める。食後の満腹感も合わさってより一層幸福感が増し、このまま一つに溶け合ってしまうのではないかと思えるほどだ。


「ねぇシェラ」

「ん、どうしたのリーズ」

「いつ忙しくなるかはわからないけど、今はまだ時間はたっぷりあるから…………今のうちたくさん愛し合おうねっ♪」

「ふふっ、リーズの言う通りだ。ゆっくりしていられるうちに、ゆっくり休むのも大切だからね」


 じっと見つめ合った二人は、そのままどちらかともなく唇を近づけて、重ね合わせた。

 この様子なら、彼らが再び離れ離れになることはまずないだろう。

 そう――――たとえどんな困難が待ち受けようとも…………

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