馬車
アーシェラの魚料理を堪能し、ブロス一家の家に泊まっていったシェマが、仕事に戻るために村から飛び立ってから3日後――――――ほとんど誰も通らない平原の一本道を、幌付きの馬車が3台、開拓村の方に向かっていた。
手紙にも書いてあった、ロジオンの率いる隊商がやってきたのだ。
「ヤッハッハ~! こりゃ素晴らしい乗り心地デスナぁ! こんなにぐちゃぐちゃな地面でも、これだけの揺れで済むなんて!」
「おうよ、このザンテン商会最新の馬車『ステッセル号』はだいぶ金をつぎ込んだが、王国の貴族や豪商が持ってる馬車よりも乗り心地は上だろうよ!」
御者台で馬を操るロジオンの隣には、防衛用罠を避ける道案内の為にブロスが同乗している。クッションの付いた座席に座るブロスは、悪路を走っているにもかかわらず馬車があまり揺れないことに気が付いた。
二頭ずつの馬が牽く馬車『ステッセル号』は、悪路を踏破できるよう車輪が鋼鉄製で、荷台を覆う幌も風をほとんど通さず、弱い矢なら弾いてしまうほど丈夫なもの。それ以外にも、車体や座席などにも様々な工夫が凝らされており、見た目の華やかさこそないものの、性能に関してはほぼ最新鋭と言ってよい。
もちろんそれだけ建造にはお金がかかったし、何より普通の馬車と比べてメンテナンスがとても大変だ。それを可能にするだけの人と財産を持っていることが、かつて勇者パーティーを自ら退いたロジオンの成長ぶりを表している。
「この辺はまだましだが、旧街道の山道なんて走ると車体がガツンガツン跳ねて、普通の馬車だと1時間も運転しちゃいられんからなぁ。初めてあの路を通った日にはケツが割れるかと思ったぜ」
「うん? お尻は元から割れてるんじゃないかな? まあでも、その気持ちはわからないでもないよ! ヤーッハッハッハッハ!」
「あなた、そろそろ罠地帯に入るから、よそ見しないでね」
「うわっと! ビックリした!」
ロジオンとブロスが御者台で談笑していると、二人の視界に突然天地さかさまのユリシーヌが入ってきて、ロジオンは危うく手綱の操作を誤りかけた。
ユリシーヌは魔獣の接近を見張るために幌屋根の上にいた。ロジオンもそのことは知っていたのだが、音もなく上から姿を見せると驚いてしまうのも無理はない。
「ヤァごめんよゆりしー。でも、ゆりしーも危ないから、御者を驚かせちゃだめだよ」
「驚かせてしまったの? それはごめんなさい」
「あ、ああ……本当に二度とやらないでくれよ? エノーから話を聞いたが、この辺の防衛用罠に引っかかって馬ごとコケた間抜けがいたんだって? 俺はそいつと同じ轍は踏みたくないからな」
ロジオンを驚かせてしまったことを謝りつつ、ユリシーヌは再び幌の上に立って、近づく魔獣がいないかを見張り始めた。
木があまり生えていない平原はとても見通しがよく、魔獣の気配は全くない。それに、馬車の前方を見渡せば、遠くの丘の上に開拓村の入り口がわずかに見えていた。
「う~んっ、いい景色~! どっちを向いても緑がいっぱい! 滅びた大地だなんて噂があったから、どんなところに連れていかれるのかって心配だったけど、ここなら楽しく過ごせそうっ!」
「…………」
なんとなく景色を見渡すユリシーヌの後ろから、どこか陽気かつ気楽な女性の声が聞こえた。
彼女が振り返ってみると、ユリシーヌの乗る馬車の一台後ろに、同じく馬車の幌の上に立つ女の子がいた。
青紫のポニーテールの髪の毛に、まだ新品の皮防具と小型の弓矢を装備したその女の子は、周りの景色が甚く気に入ったようで、目を輝かせながら四方を忙しなく見渡している。それを見たユリシーヌは、いったい何のつもりだろうと呆れたような目線を送った。
「あなた、むやみに私の真似をしてはいけないわ。馬車が石を踏んで跳ねると危ないから」
「大丈夫ですって! あたし、高い所好きなんです!」
「いや……答えになってないわ」
どうやら女の子は多少天然のようなところがあるらしく、ユリシーヌはさらに困惑した。この隊商の護衛か何かで同行しているのかは知らないが、仕事と遊びを混同しないでほしいものだとユリシーヌは心の中でため息をつく。
そんなユリシーヌの声が聞こえたのか、馬車のシートに座っているブロスが声を掛けてきた。
「ヤぁゆりしー、何か言った?」
「なんでもないわ」
「そう、ならいいんだけど、この先少し曲がるから気を付けてね」
「少し曲がる?」
「ああロジオン君、あの先の轍の真ん中のあのあたりに罠があるから左に迂回するようによけてよ」
「マジか!? また罠の位置が変わったのか! おう、流石に結構揺れるぞ、気をつけろ!」
ブロスの指示で、ロジオンの馬車が罠をよけるために左に進路を変え、轍のない草地に車輪を乗り上げる。その際馬車が大きく跳ねたが、ユリシーヌはまるで足が幌に接着しているかのように、バランスを崩すことはなかった。
御者台の二人も尻が少し宙に浮いたが、座席のクッションと馬車に組み込まれたもろもろの機構のおかげで、痛みを感じることはなかった。
が、先頭を走るロジオンの馬車が左に曲がったことで、後続の馬車も追随するように道を外れる。
そして同じように車体が大きく跳ねあがり――――――
「うわぁっとととと!?」
余裕そうに立っていた女の子は、幌の上でバランスを崩してしまう。
そして危うく落下する…………かと思われたその時、彼女の体が何かに支えられた。
支えてくれたのは何と、つい一瞬前まで前の馬車の屋根にいたはずのユリシーヌだった。
「だから危ないといったでしょう」
「へ!? あ、あたし……? あ……ありがとうございましたっ!」
「勇気と無謀は違うもの。わかったらさっさと馬車の中に戻りなさい」
「は、はいぃっ!」
ユリシーヌに怒られた女の子は、危うく転落するところだったこともあり、謝りながら慌てて馬車の荷台へと降りて行った。
「まったく……困った子もいるものね」
元居た馬車の幌の上に戻ったユリシーヌは、やや煮え切らない表情でぽつりとそうつぶやいた。
自分もついさっきロジオンの運転を妨害しそうだったので、一方的に怒ってしまったことに少し罪悪感を持ったようだ。
それと同時に、あの女の子の面倒を見る人はさぞかし大変だろうなとも思ったようだった。
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