Ed

 さっきまで幸せだった、部屋の中。

 今は、ひとりきり、寂しい箱の中。

 どうしよう。また、ひとりになっちゃった。

 お願い、誰か……助けてください。

 いや、だめ。自分で、やらなきゃ。

 でも……どうしたらいいの? わからない。

 すると急に音がした。扉の方。何? 怖い……。

 少し開けてみると、そこには知らない、男の人。

 知らないはずなのに、彼に覚えたのは安心感。

 にこやかな雰囲気は、あの人とよく似ていた。

「あなたは、だれ……?」

「初めまして、俺は――」


 ✽ ✽ ✽


 牢獄に着くやいなや、各地で未解決とされていた数多の罪状が俺のものであるということが明らかになった。

 その結果、俺は三日後の死刑を宣告された。

 死刑は大々的に行われるらしく、町の大イベントとなるのだろう。

 三日間とは、そのための準備期間らしい。

 彼女については『被害者であり罪を犯したわけではない』という扱いになっており、これといったお咎めもないようで安心した。

 取り調べを受けるということもなく、俺は乱暴に部屋へぶちこまれた。

 そこは俺の為にしか使われないのが勿体ないくらい、こぎれいだった。

 この待遇に感謝すべきなのかいまいち分かりかねるが、俺はただ静かに、その日が来るのを待つのみだった。



 ついに、俺の人生の幕を下ろす時がやってきた。

 どうせ最後なのだから、と見える範囲の外見を気にしてみる。といっても剃刀があるわけではないので、肩まで伸びた髪も、ざらつく髭も、整えることは叶わなかったが。暫くすると、天使……ではなく守衛が俺を迎えに来た。

「出ろ、時間だ」

「ああ」

 逃げも隠れもせず、俺は素直に従う。

 誰かに命令されるのは、いつぶりだろうか。

 長い廊下に、コツコツ、ぺたぺた、と守衛と俺の足音だけが響く。

 人間との対面に会話を試みようとしたが、叱られては堪らないので黙ってついていくのみだ。

 ふと、今朝のことを思い出す。俺にしては珍しく、夢を見たのだ。

 少女と二人、花畑を望む夢。永遠に叶うことのない、甘美な夢――。

 ……彼女は観に来てくれるだろうか、俺の晴れ舞台を。

 あんな別れ方をしておいて、俺は何と女々しいことを考えているんだ。

 自嘲気味に笑みを零すと、小気味よい音が止んだ。

 守衛が立ち止まったようだった。

「ここだ」

 久々の外の景色、怒りや歓びに湧く民衆――皆が、俺を、待ち望んでいる。

 これほどないスリルだ。想像しただけで、少しゾクッとした。

 目隠しで閉ざされていた視界が開ける。そこにあったのは一面の、


 暗く、冷たい、部屋だった。


「どう、なってるんだ……?」

 震える声を抑えられなかった。看守はそんな俺とは対照に落ち着きを払って答えた。

「……私には分かりかねるが、お前は――終身刑に減刑された」

 終身刑。その言葉は、俺には死刑宣告よりも苦痛に感じられた。

 こんな所で半永久的に無聊な日々を過ごすくらいなら、一瞬で華々しくその生を終えたかった。

 ……彼女のことを、忘れてしまいたかった。

 反抗する術も意欲もなく、俺は一人、独房に取り残されたのだった。


 寂しい独房生活を再開させられて、数日が経った。

 今更になって、俺は減刑された理由を考えていた。

 善行を積んだ覚えはないし、救ってくれるような味方も俺にはいない。

 一人首をひねっていると、扉からガチャガチャと音がした。

 昼飯の時間にはまだ程遠い。一体何の用だろうか。

「――お前に荷物だ、受け取れ」

 音の正体は、俺の担当になったらしいあの守衛のものだった。

「ご苦労さん。それにしても贈り物とは……一体どういう風の吹き回しだ?」

 俺は扉に近づき、荷物を受け取る。

 それは表面を葉で包んだ、粗末な物だった。

 見た目もさることながら、大したものは入っていなさそうだ。ひどく軽かった。

「私には分かりかねる。本来こういったものは認められてはいないが、上官の確認の上、じきじきに許可が下ったので、渡しに来たまでだ」

「上官殿が? そりゃまた何で……」

 話しながら俺は包みを開けていく。

 丁寧に折りたたまれた紙と、これまた葉で包まれた何かがあった。

 隙間から、きらりと瞬きが覗く。その中には――

 虹色に光る、拳ほどの大きさの石が、入っていた。


 息を呑むような美しさに、俺は惹き込まれる。

 いつの間にか力が抜けて、座り込んでしまった。


 ようやく我を取り戻した頃、どこかからカサ、と小さな音がした。

 石から離した指先に、同封されていた紙が触れたのだ。

 俺はそれを拾い上げ、中身を見ることにした。

《予告状 今宵、怪盗を盗みに行きます。宝とひきかえに…… D》

 見慣れない文字。石はともかく、上官殿もよく確認した後でこれを俺に渡そうとしたもんだ……おふざけにしても、一体誰が? ますます頭を悩ませていると、いなくなっていた筈の守衛が再び姿を見せた。

「これも渡してほしい、と。お前宛らしい」

 その手には、純白の封筒があった。

 俺宛という言い方が少し引っかかるが、断る理由はないので受け取る。

 すでに封は開けられていた。恐らく中身を確認したのだろう。

 便箋を広げ最初の言葉を見た瞬間、俺の頭は真っ白になった。

 何故、石を見た時に気付かなかったのだろうか。


 これは――彼女のものだ。


《おじさんへ

この手紙を見ているということは、成功したのね。よかった。おじさんのお友達だもの、ぜったい上手くいくって思ってたわ。あ、何を言ってるか、よくわからないでしょ。おじさんがいなくなった後、ラシエ、って人がやって来て、いっしょに助けよう、って言ってくれたの。彼にも、ありがとうって言わないと。


……おじさん、わたしをだましたって言ったけど、実はわたしも、おじさんをだましていたの。わたし、自分がどんな人間で、どんな過去を持っていたか――旅の途中で思いだしていたの。おじさんの正体にも気づいていたわ……けど、ずっと、隠してた。少しでも長く、この旅がつづくように。


わたし、楽しかった。おじさんはわたしの人生に、いっぱい輝きをくれたんだよ。ごめんなさい、約束、やぶっちゃって。でも、わたしにできることは、これくらいしかないから……どうか、受けとってください。

最後に……おじさん、わたしを旅に連れていってくれて、ありがとう。

心をこめて ディア》



 遠くから、守衛の声が聞こえた。

「ああ、言い忘れていたが……お前の減刑を申し立てたのは、上官だ」

 誰かに頼まれでもしたのだろうか、という呟きと共に、ガチャン、と扉の閉まる音。

 俺はまた、暗闇に閉ざされた。


 ✽ ✽ ✽


 足元に転がった石を見つめる。とある村の一族の、成れの果て。

 遂に俺は、石を手に入れたのだ。そのために、旅を続けてきた。

 どうして、心が高揚しないんだろう。

 想像してたよりも、石が小さかったから?

 自らの力で、手に入れられなかったから?

 問いかけるように、石に触れてみる。

 冷たく無機質な佇まいの中に、不思議と仄かな温もりを感じた。

 光を遮られた部屋の中でも、その表面は七色にきらめいている。


 ……ああ、そうか。

 俺が、本当に欲しかったのは――

 彼女の、『心』だ。

 世界が崩れるような感覚がした。

 目の前にあるのは、万華鏡の如き色とりどりの輝きを持つ、小さな宝石。

 ゆらめき変化する光彩に、彼女との様々な記憶が折り重なっては消える。

 俺は導かれるように手を伸ばす。

 これは過ちから始まった、無垢で哀しい愛の物語。


『至宝の輝き』を胸に抱き、俺は涙の雨を流した。

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