倉庫から逃げ出した俺達は、近くの森にある隠れ家に身を寄せていた。

 あのまま遠くまで逃げるべきだったが、怪我と寒さで弱っていた俺は、ここで一旦の休息を求めたのである。

 誰かと怪盗業以外のことで過ごす――世間でいうところの『平穏な日常』を送るのは初めてだった。

「ご飯、つくった。起きれる?」

「ああ……今日は何かな?」

「ふふ、それはお楽しみ」

 苦労をかけてしまったが、俺には非常に有難く、穏やかな日々だった。


 彼女が付きっきりで治療をしてくれたおかげで、すっかり元気になった。

 旅支度を終えると、俺は伸びをしながら声を掛ける。

 振り向くと、彼女が笑顔で頷くのが見えた。

「そうだ、お嬢さん。頼むから、俺の為に……」

「命をむだにするな、でしょ? もう、何回め?」

「またそうやって……あのな、俺は本気で心配して――」

「はーい。……わかってる。やくそく、したから」

 本当に分かってるんだか、とため息をつきながら、木でできた重い扉を、いつもより気軽に開ける。

 差し込んだ陽光に、思わず目を瞑った。

 ようやく目が慣れた頃、うっすらと開けた視界に映ったのは――。

 真っ白な衣服を身に纏った、正義の使者……自警団だ。

 一瞬のような、永遠のような時間、俺は立ちつくしてしまう。

「……おじさん? どうかしたの?」

 外の様子に気付いていない彼女が、俺の顔色を窺おうとする。俺は我に返った。

「……お嬢さん、少しここで待っていて。いいと言うまで、開けてはいけないよ」

 瞬時にそう告げると、俺は彼女を扉の向こうに閉じ込めた。彼女の存在を知られるわけにはいかない。最後まで、隠し通さなければ。


「……これはこれは、随分たいそうな歓迎だねえ」

 俺は芝居じみた声を上げ、肩をすくめる。

「とぼけるな、盗人が!」

 俺の態度がお気に召さなかったのか、若い団員が噛みついてきた。

「おお、怖い。俺が盗人だという証拠でもあるのか?」

 なおもひょうひょうとした俺の受け答えに、先程の団員が食ってかかろうとする。それをいかにも上官らしき男が制して答えた。

「被害者の家から血痕がここに繋がっている、という情報があってね」

 まさか、と言おうとしたが、頭の隅に嫌な顔が思い浮かんでしまった――パン屋の主人だ。たかがパン一個でしつこいやつだ、なんておどける余裕さえない。

 血痕が残っていたなんて、全く気付かなかった。

 浮かれていた自分に呆れて、物も言えない。

「お前、なんでも各地で盗みを働いていたらしいじゃないか。今までばれずに逃げてきたというのに、いとも簡単に見つかるとはねえ……一体どうした? 仲間でもできたか? 例えば――女、とか」

 上官がにやりと笑った。一瞬彼女の存在に気付かれているのかと動揺する。

「……! それは、っ――」

「まあ、そんなことはどうでもいい……命令だ、そいつを逮捕しろ」

 部下たちが俺を捕えようと歩み寄ってくる。

 そんな手間は不要だと、俺は自ら自警団の元へ歩み出た。

 これが俺の運命なんだな。

 美学に反し、情に囚われた出来損ないには、こんな筋書きがお似合いなのさ……。


 馬車に載せられて、牢獄へ向かう。

 窮屈な車内は上官と二人きりで、あまりの居心地の悪さに外を眺めるしかなかった。

 揺れに身を任せていると、隠れ家からだいぶ離れた所で、後ろから馬車ではない風を切る音と、聴き慣れた声がした。

「待って!」

 彼女が追いかけてきたのだ。どうして、こうも上手くいかないだろう。

「おじさ、ん……どう、なってるの? どこに、行く……の?」

 息も絶え絶えに彼女が尋ねてくる。馬車に後れを取られないよう、必死だった。

 俺は――何も答えなかった。いや、答えられなかった。

「何だ知り合いか? ここまで追いかけてくるとは、はっ、いじらしいもんだ」

 上官はさっき予想した通りだと言わんばかりに嘲笑を浮かべた。

 こちらの様子に気付いたのか、馬車はゆるゆると速度を落としていく。

「あなたは、誰? どうしておじさんを連れていくの」

 怒気に満ちた彼女の声が、外から聞こえてきた。

「ああ、これは失敬……私は自警団の者だ。我々はその『おじさん』を牢屋に連れて行くところなんだ」

「ろうや、って何? ねえ答えてよ、何のためにそこに行くの」

 やめろ、止めてくれ。そう言いたいのに、声が掠れてしまう。

「おや――君は、何も知らないのか? 彼がどんな人間か」

 息が止まる。ついに馬車も停まってしまった。恐らく、彼女も。

「……じゃあ、おじさんは何者なの?」

 俺は、今まで彼女に一度も打ち明けなかったことがある。

 それは、罪という概念、そして、俺自身が罪を犯す人間であることだ。

 愚かだとは判っているが、これだけは……どうしても知られたくない。

 上官が口角を上げ、迷える子羊の問いに答えようとした瞬間――

「……おい、いつまでそんな子供に構っているつもりだ? 早く出してくれ」

 俺は向かいの椅子を蹴り、低く呟いた。

 彼女との縁を断ち切ることしか、彼女も俺も救われる方法はないのだ。

 俺の演技が効いたのか、馬車は再び動き始め、彼女を置いて残酷に走り去る。

 なおも追いかけてくる彼女の気配をかき消すように、俺は馬車の中で叫んだ。

「俺は世間を賑わす怪盗様だ! 哀れな小娘、お前は騙されたのさ!」

 これが、彼女が最後に聞いた、俺の言葉だった。

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