④
倉庫から逃げ出した俺達は、近くの森にある隠れ家に身を寄せていた。
あのまま遠くまで逃げるべきだったが、怪我と寒さで弱っていた俺は、ここで一旦の休息を求めたのである。
誰かと怪盗業以外のことで過ごす――世間でいうところの『平穏な日常』を送るのは初めてだった。
「ご飯、つくった。起きれる?」
「ああ……今日は何かな?」
「ふふ、それはお楽しみ」
苦労をかけてしまったが、俺には非常に有難く、穏やかな日々だった。
彼女が付きっきりで治療をしてくれたおかげで、すっかり元気になった。
旅支度を終えると、俺は伸びをしながら声を掛ける。
振り向くと、彼女が笑顔で頷くのが見えた。
「そうだ、お嬢さん。頼むから、俺の為に……」
「命をむだにするな、でしょ? もう、何回め?」
「またそうやって……あのな、俺は本気で心配して――」
「はーい。……わかってる。やくそく、したから」
本当に分かってるんだか、とため息をつきながら、木でできた重い扉を、いつもより気軽に開ける。
差し込んだ陽光に、思わず目を瞑った。
ようやく目が慣れた頃、うっすらと開けた視界に映ったのは――。
真っ白な衣服を身に纏った、正義の使者……自警団だ。
一瞬のような、永遠のような時間、俺は立ちつくしてしまう。
「……おじさん? どうかしたの?」
外の様子に気付いていない彼女が、俺の顔色を窺おうとする。俺は我に返った。
「……お嬢さん、少しここで待っていて。いいと言うまで、開けてはいけないよ」
瞬時にそう告げると、俺は彼女を扉の向こうに閉じ込めた。彼女の存在を知られるわけにはいかない。最後まで、隠し通さなければ。
「……これはこれは、随分たいそうな歓迎だねえ」
俺は芝居じみた声を上げ、肩をすくめる。
「とぼけるな、盗人が!」
俺の態度がお気に召さなかったのか、若い団員が噛みついてきた。
「おお、怖い。俺が盗人だという証拠でもあるのか?」
なおもひょうひょうとした俺の受け答えに、先程の団員が食ってかかろうとする。それをいかにも上官らしき男が制して答えた。
「被害者の家から血痕がここに繋がっている、という情報があってね」
まさか、と言おうとしたが、頭の隅に嫌な顔が思い浮かんでしまった――パン屋の主人だ。たかがパン一個でしつこいやつだ、なんておどける余裕さえない。
血痕が残っていたなんて、全く気付かなかった。
浮かれていた自分に呆れて、物も言えない。
「お前、なんでも各地で盗みを働いていたらしいじゃないか。今までばれずに逃げてきたというのに、いとも簡単に見つかるとはねえ……一体どうした? 仲間でもできたか? 例えば――女、とか」
上官がにやりと笑った。一瞬彼女の存在に気付かれているのかと動揺する。
「……! それは、っ――」
「まあ、そんなことはどうでもいい……命令だ、そいつを逮捕しろ」
部下たちが俺を捕えようと歩み寄ってくる。
そんな手間は不要だと、俺は自ら自警団の元へ歩み出た。
これが俺の運命なんだな。
美学に反し、情に囚われた出来損ないには、こんな筋書きがお似合いなのさ……。
馬車に載せられて、牢獄へ向かう。
窮屈な車内は上官と二人きりで、あまりの居心地の悪さに外を眺めるしかなかった。
揺れに身を任せていると、隠れ家からだいぶ離れた所で、後ろから馬車ではない風を切る音と、聴き慣れた声がした。
「待って!」
彼女が追いかけてきたのだ。どうして、こうも上手くいかないだろう。
「おじさ、ん……どう、なってるの? どこに、行く……の?」
息も絶え絶えに彼女が尋ねてくる。馬車に後れを取られないよう、必死だった。
俺は――何も答えなかった。いや、答えられなかった。
「何だ知り合いか? ここまで追いかけてくるとは、はっ、いじらしいもんだ」
上官はさっき予想した通りだと言わんばかりに嘲笑を浮かべた。
こちらの様子に気付いたのか、馬車はゆるゆると速度を落としていく。
「あなたは、誰? どうしておじさんを連れていくの」
怒気に満ちた彼女の声が、外から聞こえてきた。
「ああ、これは失敬……私は自警団の者だ。我々はその『おじさん』を牢屋に連れて行くところなんだ」
「ろうや、って何? ねえ答えてよ、何のためにそこに行くの」
やめろ、止めてくれ。そう言いたいのに、声が掠れてしまう。
「おや――君は、何も知らないのか? 彼がどんな人間か」
息が止まる。ついに馬車も停まってしまった。恐らく、彼女も。
「……じゃあ、おじさんは何者なの?」
俺は、今まで彼女に一度も打ち明けなかったことがある。
それは、罪という概念、そして、俺自身が罪を犯す人間であることだ。
愚かだとは判っているが、これだけは……どうしても知られたくない。
上官が口角を上げ、迷える子羊の問いに答えようとした瞬間――
「……おい、いつまでそんな子供に構っているつもりだ? 早く出してくれ」
俺は向かいの椅子を蹴り、低く呟いた。
彼女との縁を断ち切ることしか、彼女も俺も救われる方法はないのだ。
俺の演技が効いたのか、馬車は再び動き始め、彼女を置いて残酷に走り去る。
なおも追いかけてくる彼女の気配をかき消すように、俺は馬車の中で叫んだ。
「俺は世間を賑わす怪盗様だ! 哀れな小娘、お前は騙されたのさ!」
これが、彼女が最後に聞いた、俺の言葉だった。
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