ヒイラギが赤い実をつけ始めた頃、俺はこぢんまりとしたパブを訪れていた。

 俺達怪盗は毎年この時期になると、親睦会もとい飲み会を行うのが定番となっていた。

 普段はあまり顔を出さないのだが、今回は参加してみることにした。

 ……単に酒が飲みたかったのだ。

 彼女には友達と会うので一人で行かせて欲しい、と見苦しい言い訳をしたわけだが、二つ返事で了承してくれて助かった。

 見覚えのない顔にウェイターは訝しげな表情を浮かべるが、合言葉を伝えると、すんなり入れてくれた。

 奥の部屋が俺たちのたまり場だ。部屋に入るなり手厚い歓迎を受ける。

 愛想笑いでそれらに応対していると――カウンターに懐かしい顔が見えた。

「会いたかったぜ、オ・レ・の、アマン」

「その呼び方止めろって……暫くだな、ラシエ」

 そいつは、俺に石化人間の噂を持ち込んだ張本人だった。


 俺達はブランデーを片手に、昔話に花を咲かせた。

 景気づけにと奮発した酒が、凍てついた俺の身体を熱くする。

 ヤツの溌剌とした性格と小気味よい口ぶりは、少ししか経っていない筈なのにやけに懐かしく感じられた。

 ラシエはあまり人と関わりを持たない俺にとって、唯一気心知れたヤツだった。

 さっきの『アマン』というふざけた呼び名を付けたのもラシエだ。

「……で、どうなんだよ? あの噂、マジだったのか?」

 石化族の話は俺達しか知らない。ラシエはあえて声を潜めた。

「まあ、な」

 これからの展開が読めて、曖昧な返事しか出来なかった。

「うわすっげえ……なあなあ、どんな感じなんだ? 見せてくれよ」

 ……やっぱりだ。期待を込めた眼差しが痛いほど突き刺さってくる。しかし嘘を吐くわけにもいかない、というかコイツに嘘は通用しないので、

「いや、それがな……持って、ないんだ」

 俺は正直に答えるしかなかった。グラスの中の氷がカラン、と音を立てる。

 僅かな沈黙の後、ラシエは顔をぐしゃっと歪め、

「……何だよー。オレ、楽しみにしてたのに」

 いかにもつまんないと言うように、唇を尖らせて突っ伏す。

 酒に弱いラシエは、そのまま眠ってしまったようだった。

 そんなところも相変わらずか、と会計を済ませ、席を立つと、

「――何か、訳があるんだろ?」

 眠っていた筈のラシエが呟く。ずるずると動かした手は、俺の胸元を指していた。

 俺に似つかわしくない、不格好な木の実の首飾り。

 いつか見せた『宝』のお礼に、と彼女が俺に作ってくれたものだ。

 そういう察しの良い所も、変わっていないな。

「お前たまに優しすぎるとこあるからさあ……せいぜい、後悔しないように!」

「……はいよ」

 ラシエはひらひらと手を振る。俺は振りむかずに手を軽く上げ、店を後にした。

 これからの人生を狂わせるきっかけになるなんて、この時の俺は全く予想していなかった。



「いやあ……参ったな、こりゃあ」

 うっかりしていた。

 酒が回って上機嫌だった俺は、天幕で一人俺の帰りを待つ彼女への土産にとパン屋に寄ったのだが、まさかの資金不足。

 すごすごと立ち去ろうとした最中、よろけてあちこちに隠し持っていたパンをぶちまけ、今じゃお隣の原料倉庫にぐるぐる巻きで詰め込まれている。

 脱走を図るも、屈強そうな店主に手荒にされたもんだから縛られた手足からは血が滲んで、動こうにも動けない。

 酒と殴られた衝撃でズキズキと頭が痛む中でも、彼女はどうしているだろう――それだけが俺の気がかりだった。


 どれくらい経っただろうか。倉庫の中はすっかり暗くなっていた。

 パン屋の連中は俺のことなどすっかり忘れたのか、耳障りないびきをかいてぐっすり眠っているようだった。

 しんとした冷たい空気が、傷口に染みる。

 縛るのに邪魔だと外套を剥がされてしまっていたから、寒くて仕方ない。

 ここに来て初めて、限界を感じた。

 石は欲しかったが、こうなってしまってはどうしようもない。

 視界が少しずつぼやけていく中、周囲でバンと大きな音がした。

 俺は失いかけた意識を取り戻し、音のした方へ頭を動かす。

 視線の先には淡い銀色の光と――


「おじさん!」


 彼女が、いた。

「お嬢さん、どうして……」

 彼女がこちらに駆け寄って来る。

 現実のように思えなくて、頭の整理が追い付かない。

「いつまでたっても、おじさん、帰ってこないから」

「……だからって、こんな夜中に……変な輩に襲われでもしたらどうするつもりだ――もっと自分の命を大事にしろ!」

 思わず語気を荒げていた。静かな闇夜に、俺の声がこだまする。

 途端に、さあっと顔から血の気が引いた。

 ――俺は今、何て言った? いつか殺す筈の人間に……命を大事にしろ、と言ったのか? 彼女が気がかりだったのは――石を、他の奴に奪われるのが嫌だったからじゃないのか?

「――い」

 か細い声に顔を上げると、彼女は縮こまっていた。

 こんなことは初めてだったから、怯えさせてしまったのだろうな。

「ごめんなさい……次からは、気を付けます。縄、とりますから」

 彼女はためらいがちに手を伸ばし、縄を解き始めた。

 次、という言葉が俺の頭にやけに響く。

 縄を解き終わって立ち上がった彼女と視線がぶつかる。

 彼女はいまだ心配そうな顔をして、俺に手を差し出してきた。

 だが、俺は視線を逸らし、

「お嬢さん、旅は、終わりだ――次は、ない」

 と静かに言った。

 出会った時の彼女は、何もかも失って、孤独で――自分の幼い頃の姿にそっくりだった。

 だから、旅という経験を積ませることで石がもっと美しく磨かれるのではないか、と彼女を連れ出した。

 だが、それが間違いだった。

 猶予を与えることなく、すぐ殺してしまえば良かったんだ。

 欲しいモノを見失った俺に、怪盗をやる資格はない。

 石を手に入れるための嘘を、旅を続けるための口実にして、俺は知らず知らずのうちに、その「いつか」を遠ざけていたようだ。

 彼女はもう一人で平気だ。俺の気が変わる前に、解放してやらないと。

 俺の我儘を、どうか、許してくれ――そう願ったが。

「――嫌」

 彼女はきっぱりと、そう答えた。

「どうして、いきなりそんなこと言うの」

「これ以上旅をしても、意味がないからだ」

「いみ……意味があって、旅をしていたの? それは、何のため? じゃあ、何でわたしを連れて行ったの?」

 彼女は、怒っているようだった。

 先程までこちらに伸ばしていた手をぐっと握りしめて、内側が真っ赤になっていた。

「それは――っ、とにかく、もうたくさんだ。お嬢さんは……どこへでも、好きな所へ行くといいさ」

「わたしが行くのは、おじさんが行きたいところ。おじさんがいなきゃ、どこに行けばいいか分かんないよ」

 何故今までみたいに、素直に従ってくれないんだ。

 俺の淡々と答える姿勢が、どんどん崩れ去る。

 返す言葉も、見つからなくなってしまった。

「何で……俺にそこまでこだわるんだ」

 彼女は一瞬きょとんとした顔をすると、間もなく答えた。

「そんなの――おじさんは、わたしの恩人。……だから、役に立ちたい、それだけ」

 あっけらかんと答える様に、思わず笑みがこぼれてしまう。

 俺の顔を見て安心したのか、彼女はぱっと笑顔になった。

 この表情を、いつまでも見ていたい。

「今度は、わたしがおじさんを助ける番――おじさん、一緒に、いこう」

 再び彼女が手を伸ばす。その瞳には、俺がちゃんと映っている。


 最初の邂逅を思い出しながら、俺は、彼女の手を取った。

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