①
先程の発言でお分かりいただけただろうが、俺は怪盗だ。
怪盗――といっても金目当てではなくて、盗み仲間に便乗してお宝を頂戴してる程度のものだ。
だいたいの奴らはコレクションなんかにして大事に取っておくらしい。
けれども俺が好きなのは宝を盗むというスリリングな「行為」であり、モノ自体にはあまり興味がない。
ただ今回は違う。初めて俺の興味を引いた代物だった。
一度欲しいと決めたモノは必ず手に入れる、それが俺のポリシーだ。
――たとえ、いかなるモノを犠牲にしようとも。
俺と少女は村からすっかり離れ、野原を歩いていた。
頭上から際限なく照りつける陽射は、三十代半ばのおっさんにはこたえるものがあった。
少女の様子を窺ってみると、汗はかいているものの涼しい顔をしている。
城で手を掴んだ時のことを思い出して、寒気がした。
触れられるわけだから人間であることは間違いないが、それにしてもここまで一言も喋らないのは困ったもんだ。
いや、全く喋らないわけではないのだが――
「お嬢さん、暑くないかい?」
「……うん」
「お嬢さん、休まないで平気?」
「……うん」
……といった具合で、会話が続かないのだ。
こんなにも退屈な経験は初めてだった。
やれやれと首を回すと――ぐう、と音がした。同時に俺達は立ち止まる。
……今のは俺から出たものではない。つまり、この音の正体は――。
「お嬢さん、お腹が空いたのかな?」
ということなのだが、少女は自分の腹部に視線を落とすと、
「……いまの、なに」
戸惑ったようにそう呟いた。
自分の腹から音が出たことに驚いたような、そもそも腹が減ったという現象を初めて体験したかのような、そんな感じだった。
記憶喪失とは何とも恐ろしいものだ。
俺は少女の正面に回って、目線と同じ高さになるようしゃがむ。
面倒だが、この当たり前すぎる原理を説明してやることにした。
「お嬢さん、今のはね……、君の身体が、食べ物が欲しいって訴えているサインなんだよ」
出来るだけ分かりやすく、丁寧な物言いを心掛けたつもりだ。
「たべものがほしい、さいん……」
これがそういうものなのか、と確かめるように少女は腹をさすった。
怪盗という生業をしていると、遠出になることもあり食料がなくなることがある。
だから空腹には多少慣れっこではあるのだが、こうなっては仕方ない。
飢え死にされては堪らないからな。
「俺もちょうど空腹なんでね……お嬢さん、何か食べようか?」
何度か瞬きをすると、少女はこくんと頷いた。
手持ちに村に来る途中で買ったパンが数切れあったので、ひとまずはこれで、と俺達は近くの木陰に移動した。
早速手渡すものの貰いっぱなしで動かなかったので、俺は食べ方の手本を見せる。
少女は見よう見まねでパンをちぎると、啄むように噛んだ。すると、
「……!」
少女の瞳が大きく見開かれた。
よほど美味しいのか、勢いよくかぶりつく。
飢えているときの食料のありがたみは、誰よりも分かるつもりだ。
その様子を見て、俺もパンを口にした。
途中まで食べたところで、少女はふと顔を上げた。
「これは、なんていうの」
「……パン、だよ。そしてお嬢さんは――これを『美味しい』と感じたはずだ」
少女は視線を落とすと、一口ごとにパン、おいしい、と呪文のように繰り返しながらパンを食べ続けた。
ことあるごとに質問をされたらたまったもんじゃない――そう思いながらも、何故だかパンがいつもより美味しく感じられた。
食事を終えると、俺と少女は再び旅を始めた。
目立たないよう森林地帯の中を進む。
その中で俺は少女に様々な技術を叩きこんだ。
共に行動する以上、足手まといになられると困るからだ。
基礎のトレーニングから始め、道具の作り方、俊敏かつ静かに移動するコツ――これからの生活に必要不可欠なことを、厳しくも紳士然とした態度で指導を行った。
「あと十秒だ、耐えられるね?」
「こうやって枝を組み合わせれば、ぐらつきがなくなるんだ」
「駄目だ! もっと素早く動けるようにしないと、気付かれてしまうよ」
少女は嫌な顔一つせず、俺の修行についてきた。
まるで軍事訓練ではないか、と思う方もいるかもしれないが、これは怪盗業をする上で必要なことだ。
この子に盗みをさせるのかというと、まだ判らない。
必要があれば、といったところだ。
どんな形であっても、俺が少女を殺すのに変わりはないのだから。
それまでせいぜい、俺の役に立ってくれ。
少しずつ技を身に着け始めた頃、少女に変化が起こり始めた。
ある昼下がり、俺は罠にかかった兎にとどめを刺していた。
容赦なく剣を突き立て、捌いていく。
基本放浪生活を余儀なくされる俺達は、生活に必要な物――特に食料については、自然の中で手に入れるしかない。
その一部始終を、少女はただじっと見つめていた。
こういう点では、少女の無感情が非常に有難い。
次はこいつにやらせよう、きっと上手くいく――その時だった。
「……っ」
急に、少女が走り去った。ここまで来て逃げる気か、とすぐさまその後を追うと、
「けほ……けほ、っ」
少女は膝をつき、顔を真っ青にして咳き込んでいた。
「どうした?」
俺の声に少女は弾かれたように身体をびくつかせ、青白い手を胸に引き寄せると、
「わからない……けど、このへんが、ぎゅってして……へん。これは、何?」
縋るような眼差しでこう訴えてきた。
それは少女が初めて見せた、本能的に動き、否定する姿だった。
一度消えてしまった感情は、もう戻らないと思っていた。
だが、この子は感情の出し方を忘れてしまっていただけで、本当はずっと我慢していたのかもしれない。
「教えてあげるよ……お嬢さん、それは『つらい』という感情だ」
「……つら、い。わたしは、つらい?」
「そう……君は今、つらいんだ。もう見たくない、ここにいたくない、って思ったんだ。これからもし同じようにここがぎゅっとして、痛むことがあったら、その時はつらい、嫌だと言えばいい」
辛い記憶は、石の性質を悪くするという。
だからせめてもの慰めに、それを吐き出す術を与える必要があった。
これは俺自身のためでもあるが、まさかこれほど早くその機会に恵まれるとは、微塵も考えてはいなかった。
少女は俺の言葉に安堵したのか、胸から手を下ろした。
しかし俺は、さらに酷で、避けては通れない事実も、教えてあげないといけない。
特異な性質を宿していても、この子は人間なのだから。
「だけどね、お嬢さん――生きていくには、犠牲も必要なんだ。命を奪う以上、その相手には責任をもって接しないといけない。それは、相手にとっても幸せなことだ。あの兎も……今の状態でいるよりは、誰かの血肉となった方が、満足するんじゃないかな?」
少女が兎の方を見つめる。その顔は、未だ青みがかったままだ。
少女はこく、と小さく喉を鳴らすと、そのままゆらりと立ち上がる。
そして心なしか表情を引き締め、
「……わかった」
力を込めてそう言ったのだった。
その日の収穫は、たった一つの小さな命。
変わり果てた姿のそれは、良く焼かれ芳しい匂いを放っていた。
このままの状態では食べづらいだろう、と気を遣って肉を切り分けたが、少女はまだ骨が付いた肉をぶんどっていった。
そして間髪入れずに、野生の動物さながらの激しさで齧りついた。
仕方なく切った方の肉をちまちまと食べていると、少女のくぐもった声が聞こえてくる。
少女は涙を溢しながら、兎を食べていた。
一口一口、命の有難みを噛みしめるように、肉を噛んでは裂き、また噛んでは肉を引き裂く。
美味しい、と言いながらもその表情はこわばったままだ。
異様ともとれるその光景に一旦は制止を試みようとしたが、考えを改めた。
少女の瞳には、今までにない強い意志の光が灯っていた――。
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