Un éclat irremplaçable

字書きHEAVEN

Op


 どこまでも昏く、限りなく空虚な室。

 現実とは隔絶されたこの場所に、人間が、独り。

 頭の中を駆け巡るのは、彼女との、優しく、儚い記憶だった。


 ✽ ✽ ✽


「やっと、着いたか……」

 夏真っ盛りのある日、俺はとある村の近くに来ていた。

 綺麗な石が多く採れる村、というだけあって日差しに負けないほどの光があちこちから溢れ出ている。

 少し離れた所では行商人がカゴいっぱいの煌めきを抱えていた。

 これから他の国にでも売りに行くのだろう。

 嬉々としたその姿に、俺はため息交じりに呟いた。

「……あれが人だと知ったら、どんな顔をするだろうねえ」


 石化人間――俺がその噂を聞いたのはつい数か月前のことだった。

 同業者の話によると、この村で生まれ育った人間は、その生を終える時全身が「宝石」に変化するらしい。

 村以外の人間はこのことを知らないようだ。

 なんでも外の人間が石を得ようと村民を殺すという事件があったらしく、それ以降ビジネス以外の交流は禁止されてしまったんだとか。

 そんな希少性のある石に、一度お目にかかりたい――俺がこの村に来たのは、そんな理由だった。

 さて、あっさりと念願叶って石を見ることは出来たわけだが、俺はただ見ただけで満足いくようなタチじゃない。

 村を観察していると、暗い森の中に建物が見えた。

 人気がないのを確認して、俺はその建物の方へゆっくりと歩を進める。

 何事も慎重に、だ。


 建物の正体は古城だった。

 城は灰色で壁にはヒビが入り、幽霊でも住み着いていそうな雰囲気に満ち溢れている。

 中に入ると、埃はかぶっているものの置いてある家具類は一級品ばかりで、持ち出されていないのが疑問なくらいだった。

 屋根裏部屋に潜入すると、布が掛けられた物体に目が留まる。

 よほど大事なのだろうか、今までそんな扱いの物は見た覚えがない。

 せっかくだ、これも品定めしてやろう、と布を引きはがすと――朱い革張りの、手触りの良さそうなソファが姿を現した。

 見ただけで分かる高級感のあるしつらえに、できることなら今すぐにでもその座り心地を確かめたいところだったが、そういうわけにもいかない。


 ソファには、美しい少女が横たわっていた。


 まさかこんな所に人間がいるとは思わず、勢いよく布を外したのを後悔する。

 そういえばこの部屋だけは隅々まで掃除が行き渡っていた。

 しかし幸か不幸か、その瞼は固く閉ざされたままだった。

 恐る恐る触れてみると、その表面は石像彫刻の如く硬く冷たい。

「……死んでる、のか?」

 いや、落ち着け。傷を負っているようには見えないし、石になっていないということは、この人間はまだ生きているはずだ……良かった。

 俺はほっと胸をなでおろせ――るわけない。

 侵入した手前バレてしまってはまずい。

 一旦外に出ようと、俺は警戒しつつゆっくりと後ずさった。

 すると急に物音がして、面食らった俺はその出処に注意を向ける。

 窓の外から聞こえたのは、鳥の羽音だったようだ。

 焦ることでもなかった、と視線を戻すと――


 寝ていた筈の少女が目を覚まし、立っていた。


「あなた、だれ」


 恐怖と喉の渇きで声が出ない。若干膝も笑っている。

「ねえ、だれなの」

 淡々とした口調で、再び少女が尋ねてきた。

 俺もどうにか平静を装おうとする。

「俺は、その……旅の者さ。ちょっとここで休ませてもらってね」

「たび……?」

 少女はじっと俺を見ていたが、すぐに俯いてしまった。今度は俺の番だろうな。

「ええと、お嬢さんは……ここに住んでいるのかい?」

 今更ながら少女を観察してみる。

 月光の如く透き通るような髪に、つややかな純白のワンピース。

 十歳くらいの体躯と何もかもが真っ白なその姿は、さながら雪の妖精といった感じだ。

 少し不気味で幽霊のような雰囲気もあるが。

 石化する民族とはみんなこういう感じなんだろうか……そんなことに思いを巡らせていると、いつの間にか二つの眼がこちらを見上げていた。少女は口を開くと――

「……わからない」

 思いもよらない答えを返してきた。

 綺麗な身なりをしていたから、てっきりこの城の持ち主の娘なんだと思っていたのだが……まあ、この村の子供ではあるんだろう。

「じゃあ――どうしてここに? お父さんとか、お母さんはどうしたの?」

「おとう、さん……おか、あさん……?」

「……もしかして、何も憶えてないのかな?」

「……うん」

 これが世にいう記憶喪失というものか。

 しかしこの子供、記憶だけでなく感情すら失っているように見えた。

 いくら自分のことすら覚えていないにしろ、知らない人間と対面しているわりに平然としているし、何より――この子の瞳には、光がなかった。

 今も俺の方を向いている目はどこか虚ろで、俺の姿を捉えているとはいえない。

 この子は今まで、どのように生きてきたのだろうか。


 長いこと黙っていたので用が済んだと思われたのか、少女はくるりと向きを変え、再び眠りに就こうとする。

 俺は咄嗟に、少女の腕を掴んだ。

 振り返ったその顔は人形の様で、触れた肌の冷たさに一瞬背筋がぞくりとする。

「お嬢さん――外の世界に、行ってみないか? ここが君のお家かは分からないけど……お城の中にずっといたって、つまらないだろう?」

 少女は黙っていた。その顔には、やはり表情は浮かばない。

 どこまで俺の言葉の意味を理解しているかは分からないが、俺は続けて語りかける。

「それに……俺もちょうど、人手が足りないって思ってたんだよ――来て、くれるかな?」

 流石に無理があっただろうか。固唾を飲んで、少女の返答を待つ。

 今になって、ずっと腕を握り続けていたことに気付く。慌てて手を放そうとすると、

「……うん」

 少女は、静かに頷いた。


 ✽ ✽ ✽


 こうして俺は、少女を連れ出した。

 助手として、俺の旅を手伝ってもらうため。

 そして、奇跡のような瞬間を目撃するため。

「さて――今度も、確実に盗まなくては」

 俺は、この手で石を手に入れる――少女を、殺して。

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