わが生涯に

 わざわざはじき飛ばさなくても、投げられたナイフが筋肉の表層で動きを止める。そのナイフの端の部分に、さらに投げられたナイフの先端がぶつかる。さらにそのナイフの端にそのあとに投げられたナイフがぶつかり、最初のナイフをさらにさらに押し込めるがそれでも筋肉に阻まれて同じようにアスファルトの上を転がる。


「これもダメか。ならば」


 ナイフを一本つかみ取り、手首のスナップを加えて投げつける。


「何度同じ事を繰り返せば飽きるんだ?」


 扶桑の見ている前で、嶄から扶桑までの距離が一気に縮まる。左足を軸に体が強く回転し、右足のかかとが先行していたナイフの柄をとらえる。投げる速度+回転して繰り出された蹴撃の威力がナイフに加わり、その到達点の鉄壁の筋肉に突き刺さる。今まで数ミリたりとも刃が埋まることがなかった筋肉に、確かにナイフの刀身が埋め込まれ、胸に下された衝撃に口から血を垂らして仰向けに倒れる扶桑。


「……オレの力は単にナイフを生み出すだけじゃない。生み出したナイフはオレ自身であり、そのナイフが投げられた速度を一時的に得ることも出来る。たかがナイフ、そうくくってしまったのがお前の敗因だな」


 彼の意志の元で、それまで投げたナイフ数十本が消えてなくなる。倒れている扶桑から視線を崩れたビルに移し、


「羽山さん……いますか?」


 この辺りの闘いが終わったからだろうか、静寂すぎる空間が広がっている。崩れたビルに近づき、なんとか隙間から中をのぞき込もうとするが、なにしろ3階あった建物が圧縮されたガレキの山だ。隙間なくびっしりと圧縮されていて、例えこの中にだれかいたとしても、原型を留められているかどうか。


「羽山さん? 羽山さん!」


 彼を知る者がいればめずらしく思えるほどに、普段感情を表に出さない青年が不安そうに顔を歪めて、声を張り上げている。


「この中に……いるんですよね。今ガレキをどけますから……待っていてください」


 手に持てる破片をどけていく嶄。その後ろでゆっくりと起き上がりつつある扶桑遠戸。確かにナイフは筋肉を貫いていた。しかし貫いただけであってその先の心臓にはかろうじて届いていなかった。目の前のガレキをどけることに集中している嶄が起き上がった彼に気付く前に、立ち上がり握った拳を背中から……と。耳に入る風を切り裂く音にとっさに振り向くと、そこには自分に向かってとんでくる少女が2人いた。


 1人は持ち前の獣の身体能力でビルの壁を蹴り、扶桑に向けて蹴りの体勢のまま飛んでいく。1人は手のひらから出したムチでターザンのように重力にしたがって半円形の経路をたどって同じように蹴りの姿勢のまま飛んでくる。扶桑が気付いたときにはすでに避ける間など存在していなかった。嶄風凛華ふうりんかざんの凛華は的確に扶桑の顔を蹴りつけていて、風はあえて妹と軌道をずらしたのかそれとも失敗してずれたのか。妹とほぼ同時に右肩に直撃させる。あわれ双つ影、右上の向きに錐もみに回転して崩れたビルの隣りのビルの外壁に激突して、外壁を破ってビルの中に突っ込んでいった。ムチを手のひらの中に回収して着地。


「詰めが甘いね我が弟は。トドメ刺すんだったら徹底的に刺さないと、今みたいに大逆転を許しちゃうことだってあるんだよ?」


 人差し指一本立てて、片手は腰に当てている。


「今のなんて、1人だったら完全にやられていたんじゃないの? こりゃあますます姉さんに頭が上がらなくなるんじゃない?」


 風としては説教をしているつもりであったが、当の本人が聞いているのかいないのか、ビルのガレキをどかすことで精一杯で無反応なのがつまらない。


「まったくどいつもこいつも……」


 反らす視線の先には、この闘いの騒ぎを聞きつけてきた笹良と、連れられてこなければその場さえ動こうとしなかった放心状態の秋月の姿。


「まったく、あたしのいないところでことが起こりすぎでしょう。状況を把握しなくちゃいけないこっちに身にもなって欲しいわよ!」


 両手の手のひらから出されたムチが一番大きなガレキに巻き付き、


「はぁっ!」


 気合いと共に離れた場所まで放り出される。


「まったく! こういう仕事は羽山の役でしょ! なんでこういうときに埋まっちゃっているのよあの筋肉バカは! 早く出てきなさい」


 その羽山が埋まってしまっているので、どうしようもない。大小様々なガレキを1つ1つどかし続け、しかしまだ先は長い。人っ子1人として見えてこない上に。見えたところでそれは人の形をしているかどうかも判らない。いやでもわき上がってくる不安をぬぐい去り、目の前のガレキをどけ続ける嶄。ちまちまとどかし続ける作業がいやになったのか、1つ1つムチで撤去作業をしていた風は両手を挙げて奇声を上げ、


「あ~! もういやだ!どこに埋めたかも判らない宝箱探しているんじゃないんだから!」


 ぴしゃんとムチで地面を叩きつけ


「羽山! 生きているんだったら今自分がどこにいるかぐらい声を出して知らせなさいよねほら! 今どこにいるわけ!?」


 叫んだ風の言葉の返答を待つように、全員が作業の手を止めて微かな声も聞き逃さないように息を飲む。10秒……20秒。無音の空間が続く。それが1分過ぎてそろそろ風の我慢が限界に達しようとしたとき


「今からこの辺りのガレキを殴りつけます! それで居場所を知らせますから、崩れるガレキを受け止めてもらえるようお願いします!」


 音量を絞りだしたようなか細い女性の声は、風たちも誰も聞いたことのない声だった。しかし確かに崩れたビルのガレキの下から聞こえてきた声。


「よし了解! さぁさぁどんと来なさい! すべて受け止めてあげるんだから」


 声のした方角に体を向けて、手のひらからムチを出してその時を待つ。


「3……2……1……」


 零のかけ声はなくその代わりに足元を激しく襲う振動。複雑に積み上げられていたガレキが内からの衝撃に盛り上がるように上に広がり散らばる。


「今だ!」


 その一撃は明らかに羽山の力のもの、しかしそのままでは打ち上げられたガレキは重力に従って落下を始める。そうなれば再度の衝撃にガレキはさらに圧縮され、中に誰か下としたら今度こそ助かりはしないだろう。打ち上げられたガレキがムチにはじかれあるいは絡め取られ、場外へ飛ばされる。1つも元の場所に落としてはいけない。嶄の飛ばすナイフがガレキを押しだし、ある程度大きいものを凛華が蹴り飛ばす。神経をすり減らす作業だったが姉弟の共同作業が幸となり、上げられたガレキの内再び落下したのは手のひら以下の大きさのガレキばかり。積み上げられたガレキの中にぽっかりと穴が開き、そこにはコブシを突き上げた姿勢のままの羽山。その姿は悲惨なものだった。


「羽山さん!」


 最初に覗いた風が言葉を失い、嶄が声をかけて穴の中に降りる。長女の横で次女は涙を浮かべていた。崩れるビルの中で少女を守るべく体を呈したのだろう。片腕で少女を抱きかかえて防いだ背中は見るも無惨な惨状。打撲というよりも溝が出来てしまっている。ガレキを打ち上げた拳は血にまみれ、それが誰のものでもない自分の血液だということは未だ吹き出る傷口から察せられる。


「羽山さん! 大丈夫ですか!」


 顔をのぞき込んで判ったことがある。右手を天高く挙げた姿勢のまま、すでに羽山は気を失っていた。

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