深化と鎮火

 誰もいなくなり、先ほどまでの喧噪がウソのように静まりかえった歌舞伎町の通り。双つ影同士の闘いが起こると判れば、双つ影以外の新宿の住民さえもその中心にはけっして近寄ろうとはせず、双つ影の闘いが終わってからもそう簡単に近づこうとはしない。


 しかし彼は、違った。すぐに近づいたのではなく、元からそこにいたのだ。誰にも気付かれることなく、故に闘いに巻き込まれて危うくガレキに埋もれてしまうところだったが、自分とその命よりも大切にしたカメラを抱え、ガレキの隙間から身を救い出す。そのおかげで体はあちこちに痛みを感じるが、カメラには傷1つもついていなかった。


 これにもしものことがあったら死んでも死にきれない。今までしてきたことすべてが水泡と帰す。辺りを慎重にうかがい、誰もいないことを確認して、隠れるように彼はその場をあとにする。


 向かう場所は新宿にはない。


 1つのスクープを胸に抱えた男が、入り組んだ建物の間に消えていった。


 その男が不審な死を遂げて新宿の外れで発見されたのは3日後のこと。途絶えたはずの連続殺人事件の再来だとマスコミはこぞって報じていた。男が持っていたはずのカメラはどこにも落ちていなかった。


 秋月が自身の体に違和感を感じたのはさらに2日後のこと。幸いにして毒の効果は一時的なものだったらしく、一晩寝たところまったく身体に異常は見られなくなっていた。それから閻魔につく双つ影との抗争はそれまでにないほどの激しいものになり、時と場所を構わず双方がぶつかり合っていった。そのせいか巻き込まれたくないと思う住人たちは姿を隠し、ある者は新宿から出ていった。


 それがさらに、なにをしても誰も巻き込まないと言うことになり、1つの闘いの場で建築物がいくつも横倒しになることなど最早日常茶飯事。そんな中で感じた秋月の違和感。筋肉隆々な男と羽山が互いの力を競い合うように手を取り合い押し合い、手にした棒状のものに剣の鋭さを加える双つ影と笹良がにらみ合っている。もう1人は闘いが始まって早々に秋月の刀に叩き伏せられて気を失っている。秋月と対している男との力はほぼ互角で、どちらとも引こうとせずに地面が軽く陥没するほどに力を込めてその場にとどまっている。


 笹良は手間取っていた。直接攻撃してくるのであれば、例えそれが剣の鋭さを持っていたとしても彼に当たる前にその威力は削がれる。しかし削がれたところでもとの鉄パイプとしてに力はそのままで、ダメージは止まることなく笹良に襲いかかる。


「もっと無敵かと思っていたんだけどなぁ。理解してみればするほど弱点だらけじゃないか」


 おもいっきり叩かれて痛む右腕に目をやる。


「確かにな! 理解すればするほど無敵にはほど遠いよなあんたのはさ!」


 背丈ほどの長さがある鉄パイプを器用に体を使って回し、脇に挟んで構えを取る。数歩前に出て背中に回した鉄パイプを大きく円を描いて笹良に振り下ろし、しかしそれはフェイントで素早くて元に戻したと思ったら、フェイントで避けた笹良に体に突き伸ばす。


「ぐはっ!」


 体をくの字形に曲げて、肺の空気を吐き出されて表情が苦痛に歪む。


「くそっ!」


 相手から吸い取った斬撃の力を腕に足して鉄パイプを切り落とそうとするが、それが振り下ろされる頃には鉄パイプは引き戻されていて、再度繰り出された鉄パイプからなんとか身をかわすのが精一杯。


「江岸さんの言ったとおりだな。この間の衝突で、あんたはそれまでストックしていたのを総て使い切ったんだ。神楽坂の炎が残っていたら俺も危ないからな!」


「残っていなくたって、お前を倒すくらいオレだって出来る」


 口の中に広がった鉄分の混じったツバを吐き出して手で挑発して


「かかって来いよ。もうそれは喰らい飽きたぜ?」


「言われなくても!」


 一歩踏み込んで振り下ろす。振り下ろされてくるそれを避けることなく見つめ、目の前に迫ったところで鉄パイプに対し腕をクロスさせた。衝突地点を中心に響き渡る金属同士がぶつかった音。斬撃をプラスされて振り下ろされた鉄パイプと斬撃をプラスされた腕が衝突し、威力を削ぎあって停止した鉄パイプを素早くつかみ取る。


「どうだ! 炎がなくたってオレにはお前が――」


 しっかりと掴まれた鉄パイプをまるで滑走路のように、体全体を宙に浮かせてのドロップキック。さすがにそれには対応することが出来なかった笹良は胸元辺りにもろに直撃を喰らい、つかんでいた鉄パイプを放りだして後ろに蹴り飛ばされる。視界がぐるんぐるん周り、正面に定まり即座に振り下ろされた鉄パイプを腕でガードする。


「へぇ、まだやるつもりなのか?」


 止められてもなお押してくる男。


「最初はあんたのこと、江岸さんは買っていたんだぜ? だが欠陥だらけの力には興味がない。弱点さえ突けばこうして劣勢に追い込めるって、いま俺が実戦しているもんな!」


「くそっ!」


 ヒザを男に仕掛けるが、先ほどのドロップキックといい身軽なのか、ガードしている腕を鉄パイプで押し続けたまま自分の身体は宙を舞い、背面に回って鉄パイプを持ち替えて首を絞めにかかるが間一髪腕が入り込む。


「はいはいがんばっているねー。でもその体力、いつまで持つカナ双つ影の新人さん?」


 一本で耐えている腕にさらに圧力がかかり、さらに笹良の表情が苦痛に歪む。


「大変だねぇ。自分の力がふがいないとさ。相手によっては有利にも不利にもな――」

 言葉を句切って、それまで有利な立場で押し続けていた鉄パイプを笹良の首元から引き戻し、体を振り返らせるよりも早く背後で横に構える。体が完全に振り返るよりも先に、後ろに回した鉄パイプとなにかぁぶつかり合い、先ほど以上の金属同士の衝突音。


「知っているか? 不利なところを補うことが出来るのが仲間というものなんだぞ」


 振り下ろされた刀と鉄パイプが互いに力を競い合う。


「笹良! キミは下がっているんだ! こいつは私が倒す」


 ようやく首に襲いかかっていた呪縛が解かれて満足に深呼吸して、咳き込みながら振り返って違和感に気付く。


 なにかがおかしい。秋月の双つ影としての力である刀が、なにかおかしい。


 刀身の先端があるいは中程が、不定期に歪んで見える。何度も起こるのであればそれは見間違いではないだろう。そしてそれが秋月にも相手の男にも見えているのであれば、笹良の目がおかしくなったわけでもない。歪みから刀身の先端が消えてなくなり、戻ったと思ったら刀の鍔が消失する。今度は戻ることなく次には刀身が半分ほど完全に消えてなくなる。


「な……なにをしようとしている!」


 不気味な現象に刀を振りきって下がる男。


「わ……私はなにも……」


 それを不気味と思うのは秋月も同じ。自分の力で生み出した刀の異変に、しかしなにも把握できない。消えては戻る刀身だが、次第に消えたまま2度と出てこなくなり、ついに秋月の手元には刀の柄だけとなって、それに消えてしまう。


「な……なにが起きたんだ……」


 いつもであれば彼女の意志のままに刀が生まれていた。なのに今はどれだけ強く願おうとも刀の一部分も出てこない。


「私は……私は……」


 両手を見つめ、唐突に把握した。


「私は……双つ影ではなくなってしまったのか?」

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