閻魔

「閻魔。

 あの男は自分の事をそう呼んでいたの。

 普通の人がその名前を聞いてまず頭に浮かぶのが、死んだあとに死人を裁く閻魔大王ね。そう、アイツはその閻魔だと言ってるようね。ただしあの男は死人を裁く事をしない。するのは死人を救う事。あの男はね、こことは違う世界で死んだ魂を引き出す事が出来て、その魂をよりにもよってこの世界で生きている人間に混入させてしまうの。1つの体にふたつの魂。殆どの人は強制的にそんな事をされて精神がおかしくなって、さらにはふたつの魂がある事によって力が強化されて、ただ単に人を殺すバケモノになる」


 そいつらを含めて私たちは双つ影ふたつかげと呼んでいるわ。


 灯りの下に立ってみると判るんだけど、双つ影の人は魂がふたつある事から出来る影もふたつになるのよね。


 そう言われて笹良はふと風の足元を見た。

 影が、ふたつはっきりと出来ているではないか。

 表情がこわばるのを見て取れたからこそ彼女は一瞬だけ笑い声をあげて


「そう、あたしも羽山も秋月も他のみんなも双つ影には変わりはないの。いつどこでかは判らないけどいつの間にかあの男に別の世界で亡くなった人の魂を入れられて、でも精神はおかしくはならなかった。絶えられなかった人はおかしくなるけど、絶えられた人は性格もそれまでの記憶も外見もなにも変わらないけど、でもやっぱり普通の人ではなくなってしまう。もう一つの魂の色が特殊な力として現れるのかな?

 あたしの場合はこんな感じ」


 スクリーンの前で、どこでもなく手のひらからムチを出し、笹良のいる場所のすぐ近くの客席にムチを絡めた。


「面白いでしょ? 

 どうもあたしのもう一つの魂はロープを扱う事に長けていたみたいね。魂に深く刻まれていた事が今のあたしの力となる。みんなそう。双つ影になって精神を保っている人は、その力を使ってあの男のために動く双つ影と闘っているの」


「……その閻魔という男のせいでその力を得て、それでどうしてその男に敵対するんだ? だってその男がいなければその力は無いわけだろ?」


 あまりにも浮世絵離れた話を目にしていて、しかし予想すら斜め上を超えた話にメモをとるのを忘れていた。今ようやくメモを取り始める。

 

 閻魔と漢字で書けずにカタカナで書き示す笹良に風はスクリーンのある段差を降りて


「直接会った事はないからあの男のしたい事がなんなのかは判らない。けれど、でもだよ? いろんな人に魂を混入させても大体は精神がおかしくなっちゃって、今日秋月が倒した人みたいに連続殺人とか犯しちゃうわけ。ほっとけばそれは止まらないよ? だって普通の人間じゃ敵いっこないもの」


 簡単な手首のスナップでイスを絡め取っていたムチを手のひらの中に戻して


「今は実験しているのかなんなのかこの新宿から外で行動を起こしていないみたいだけど、これが新宿から出て東京で、日本中で暴れ出したらどうなると思う? どう考えても大混乱でしょ?

 勝手にこんな力を与えられて、勝手に暴れられて、それに素直に従えると思う?

 ここにいるのはそう言う人たち」


 両手を広げて一回転する。客席の外で聞いていた羽山はそれを鼻で笑い、肩を落としてイスに座っていた秋月は顔を上げ、他の面々も同じように見回していた笹良に視線を送る。


「あたしと弟と妹は3人だけで元々外に住んでいたんだけど、住む場所をなくしちゃってここに来て、今はこうなっちゃったからここに住み続けている。気に入ったって言うのもどうかと思うけど、これ以上新宿が荒らされたくないって気持ちがあってさ。羽山も他のみんなも事情は大体同じ。

 あぁ、秋月はなんにも語ってくれないから判らないけどね」


「多くを語る必要がないからでしょ?」


 それまで肩を落としていた秋月がイスから立ち上がり、笹良に聞こえる程度の声で


「ありがとう。かばってくれた事、ありがとう」とだけ告げて


「私もみんなと同じ双つ影。あの男の行動を阻止しようとする双つ影。それだけ判っていれば、問題ないから」


「確かに問題ないかもね、それさえ同じなら。でも飛鳥さんとこの人みたいに裏切ったら容赦はしないよ?」


 笑顔を浮かべたはずなのに、それが向かれているのはこの少女のはずなのに、近くに立っていた笹良は前方から向かってくる気迫にイスに手をつかなければ立っていられなくなっていた。


「判っている。私も……ここは好きだから」


 言ってきびすをかえして彼女も客席をあとにする。ふぅとため息ついて


「まったく全部話してくれない子なのよね、彼女って」


 腰に置いていた手を離して


「これがいま新宿で起こっている事の総てかな? 真実を知って満足した? これを記事にしてみる?」


 メモをとりだして耳にした事を書き記すつもりだったのに、大して書き続ける事もなくペンは止まっている。問われて笹良はペンとメモ帳をしまい


「いや、無理だろうな。真実とは小説よりも奇なもの。こんな事を記事にして新宿の外に住んでいる人間はどれだけ信じるだろうな? いや、まず信じないだろうな。こんな事を書いたが最後、記者としては終わりだろう」


「本当の真実ってのはそう言うものなの。実際に目にしないと意外と信用されないのよね」


「だけど」


 席から手を離して


「それが真実というならば、いつか人々の目に晒される事になるだろう。そんなときに混乱とした情報を与えないように、まとめられた真実が必要だろうな。それを作るのをオレの役目としよう。

 つかさ、ここまで知っておいてやる事がないからって元の生活に戻れるわけがないんだよね。新宿でこんなとんでもない事が起きていると知っていて、どうしてこのまま新宿を出られますかって事。

 オレは記者、そしてキミたちはこの新宿を、ひいてはこの日本を守ろうと闘っている人だ。キミたちは今まで通りに新宿を守ってくれ。オレはそれについていって書き残そうじゃないか。どうだこれ?」


 その提案に、風は驚いたようにだらしなく口を開けていて、数秒後にそれに気がついて慌て手てで口を覆いかくして


「驚いたなぁ。まさかそんな事を言ってくるとは。でもそれって笹良自身が危ない目に遭うよ? って、その答えはすでに聞いていたっけ?」


「応よ。真実を書き記すのも記者の仕事だからな。ってなわけでこれから取材させてもらう事になるぜ。ヨロシクな」


 手を差し出されて5秒ほどしてから思い出したようにその手を握る風。


「よろしくね~。じゃあこっちとしても出来る限り笹良の事は守るつもりだけど、もしも、もしもの時はなにかあってもあたしを恨まないでね」


 さらりと怖い事を言われて固まる笹良。


「ハハ……善処してみるよ」


 その言葉と乾いた笑いしか出てこなかった。


「じゃあ話がまとまったところで、あたしの愛すべき兄弟を紹介するね。2人とも、ちょっと来て」


 笹良と握手を交わした手で手招きすると、客席から突然回転しつつ跳躍して、ぶつかるか否やの危ういところで危なげに通路に着地した少女。


「姉様呼んだかな?」


 風の事を姉とそう呼んだ少女は、確かに見たところ風によく似ていた。惜しげもなく足を露出させたパンツルックで、回転しすぎたせいか髪はぐしゃぐしゃになっている所を、近寄った風に直されてこそばゆそうに表情を歪めている。


「これで良し。意味もなく派手に登場しないの」


 姉に直された髪を自分で微調整して


「だってだって、姉様が呼んだからすぐに行かなきゃなって思ったの」


「だったら普通に来なさいよ。普通に歩いてさ」


「それはネコのボクには無理な話さー」


 猫。笹良は聞き間違えでなければ今、妙な単語を耳にした。猫。風の妹であるこの少女は自分の事を猫と、そう言った。しかし外見がどう見ても人間。耳も人間のものでシッポも生えていない。見つめられている事に気がついたのか、少女は下から見上げるような視線で笹良を見つめ返して首を傾げて


「うん? なになに? ボクみたいな女の子がそんなにめずらしいのかな?」


「あっ、いや、別に、そ……んなわけじゃない」


 しどろもどろで言い訳を口にする。そんな様子に隠す事もなく風は笑い声をあげて


「この子はあたしの妹の凛華りんかね。で、呼んだのにこっちに来ようともしていないあそこの長身の男が弟のざん


 名前を呼ばれて奥にいた物静かそうな男性が頭を下げる。薄暗い室内にいる以前に、全身黒づくめの服装で体の輪郭がぼやけて見える。


 笹良慎二の体当たりな取材生活が始まる。

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