第2章 命を懸ける取材

キセキ

 閻魔。


 正体不明の青年。ここではない世界で亡くなった人の魂を、この世界の人に強制的に入れてしまう。


 双つ影。


 閻魔によって別の世界の魂を入れられた人間の総称。この双つ影になった人間は、その重圧に耐えられずに人離れした力を手に入れるが精神が崩壊し、ただモノを壊すバケモノになってしまう。あるいは、耐えられた人間は元の人格のまま、もう一つの魂に深く刻まれている事柄が力となる。


 自分で書いたメモ書きに目を通しながら、笹良は視界の中で起こっている闘いに視線を戻した。歌舞伎町の中の映画館のあった広場の上で手のひらからムチを伸ばした風が、地を蹴って飛びかかってきた双つ影を捉えて自分の真上でグルグルと回転させて地面に叩きつける。アスファルトを打ち破って直後に双つ影の体が弾けるように消えて無くなる。


「これで終わりかな?」


 手首のスナップで伸ばしていたムチを手のひらに戻して振り返る。すると回りの建物からわらわらと人が出てきて、ある者は風に拍手を送り、ある者はようやく終わったと安堵の溜息を吐いていた。

 

 新宿の中に住む人間は彼ら彼女たち双つ影の存在を知っているようで、住む者たちからしてみれば新宿内を荒らす双つ影を退治してくれる事から、ほとんどの住人から悪い目では見られていない。


 拍手などに答えながら風が笹良の元にやってくる。双つ影と闘っている最中常時笹良の隣には凛華と嶄がいて、なにかあった際は彼を守るようにと長女に言いつけられている。


「……なぁ、1つ質問いいか?」


 笑顔を振りまいて近づいてきた風に片手をあげて


「風たちはこうやって暴れる双つ影を倒して回っているんだよな?」


「うん? うん。そうだよ。でも暴れる双つ影と退治する双つ影、数で表すとあたしたちの方が少ないからどうしてもカバーできない場合があるけど、それでもそんなに無法地帯にはさせていないつもりだけど?」


「なのに、なんでオレが最初に出会った双つ影は3週間も人を殺して暴れていたんだ? のさばらせすぎなんじゃないのか?」


 その問いかけに風の表情が変わる。それを見て、マズイ質問をしてしまったのではないかと思い口を押さえたが、一度出た質問がなかった事になるわけではない。しかし彼女は先ほどまでではないが笑顔を浮かべて


「あの双つ影は今までのとちょっと変わっていたんだよね。ウチらの中じゃ、あの双つ影はあの男が実験的に作ったんじゃないかって噂されてる」


「……実験?」


「うん。実験。あの双つ影は他の双つ影が近づくとそれが敏感に判るみたいで、すぐに逃げちゃうんだよ。その例外が獲物を見つけて襲っているとき。丁度笹良が襲われていたときだね。獲物を前にした時じゃないとこっちが接近する事すらできないわけ。でもこっちはそんなタイミングなんて計れないから、笹良は実際かなり運が良かったんだよ?」


 そう言われて改めて己の幸運さを実感できて、震えた手からメモが落下しそうになる。


「さてと、今日はもう終わりかな?」


 辺りを見回して、眉をひそめる。騒ぎが無くなって集まってきた人の内の1人、その人物を指さして


「そこ!」


 広場に響く声を上げて、誰もがその指の先にいた人物を、そしてその足元に目をやった。影が、2つくっきりと出ていた。


「あ~、また出てきたんだね~」


 頭の後ろで手を組んで言う凛華。住人は素手にて慣れたもので、悲鳴が上がるがそれほどパニックには陥らずに、それでも我先にと避難を開始する。指さされた男は下を向いたまま黙ったまま大人しくしていたが、急激に肩が盛り上がり服をぶち破る。


「おわっ!変形でもするのか?」


 その言葉を口にした直後に襟首を掴まれて後ろに強く引っ張られる。


「ちょ! なにをっ!」


 けっして小柄ではない笹良の体が地を引きずられるのではなく、宙に浮いて引かれている。元いた位置から十数メートル離れたところでつかんでいた手が放れ、閉じかけていた呼吸の軌道がしっかりと元に戻ってしゃがんで咳き込む。


「せ、せめてなにかするんだったらオレに一言断ってくれ。い、いきなりは心の準備ってものがあってだな……」


 しかし結果的に彼の首を絞めて背後に連れ出した少女は小首を傾げて


「う~ん、でもあの時はいちいち断っていたらもっと危険な目に遭っていたかもしれないよ? 風姉さんから言われているのは笹良を守れってことだし、結果的に守れているでしょ?」


「だけど今のはかなりギリギリだったんだが」


 最後の辺りでは意識も飛びかけていた。


「男の子だったらもっと丈夫でいなくちゃ~」


 無邪気に笑いかける。


「……すまなかった。しかし今の妹の判断は正しいものだ。移動方法に多少問題はあったが」


 いきなり真横から話しかけられて、先ほどと同じように息を詰まらせる。上半身を反らしてそちらに振り向けば、全身を黒い服で身を包んだ風の弟の嶄がいて、前髪で隠れている表情が先ほどの男に向けられている。


「それまで普通の人間だった者がいきなり双つ影になる。そんな事も有り得るからな。因子さえ含んでいればいつ発症するかは判らない。水面下で精神が耐えられるかどうかの闘いが繰り広げられ、負ければ即暴れるだけの双つ影となる」


「そうそう。それでどんな双つ影になるかはなってみないと判らないんだよね~。だから安全なここまでつれてきたんだよ?」


「……どんな双つ影になるか判らない?」


 3人の視線の先で


「そうだよ~。もう一つの魂がどんな事を刻んでいるかで特殊な力だけじゃなくて、外見だってどんなものにも変わっちゃうんだからね」


 そう告げる凛華はやけに自慢げな笑顔で、視線の先で盛り上がる全身の筋肉できていた服を破った男性の体が巨大化する。それはもう、見ていた笹良の視線が15度上に傾くほどに。


「はぁ? ちょっと待て。こんなに……変わるものなのか双つ影ってのは?」


 まさしく開けた口が閉じられない笹良の横で、凛華が引きつった笑顔を浮かべていた。


「あ~、これは初めてかな~?」


 4メートルまで達しただろうか。それ以上伸縮が不可能だった衣服は破け、代わりに全身を包み込むように濃く生えている体毛。ゴリラをさらに大胆に野性味を付け足したような濃い類人猿が仁王立ちしている。


「ふ、双つ影ってのはなんでもありなのか?」


「ここ以外の世界にあのような人類がいるんだろうな。そこで死んだ魂を閻魔があの男に入れた。それだけだ。世界というのは誰が思っているよりも多種に広がっている」


 ただ1人冷静にしている嶄。


「しかしこれだけ巨大な双つ影となると、早いところ片をつけないとマズいな」


「ん? それはどういう事だ?」


 前に出た嶄に問いかける。さすがにこんな双つ影を見た事がない住人たちはパニックに陥って、先ほどまでより我先にとさらに遠くに逃げ出している。その双つ影は今のところは暴れる様子もなく、静かに、ただ笹良たちのいる方角を見つめてきている。彼らよりは接近している風も、どう攻めていいのかつかめずに思考を巡らせている。


「アナタがここに入ってくるまで私たち双つ影の存在を知らなかったように、新宿の外にいる人間でこの双つ影の存在を知る者はごく一部だ。政府の高官だけと聞いた事がある。

 新宿内で起こった事は同じ双つ影が治めるという暗黙の条約ができている。だからここでなにが起きても警察が介入する事はまず無いのだが、どうしても情報というのはとどめておく事ができない。ならばできる事はそれを解決する事。

 早期解決できなければいずれ双つ影の事が漏れるだろうな」


 さらに前に出る嶄。服の内側に手を入れて、出したときに右手に握られていたのは手ほどの刃の長さのあるナイフ。


「なので早々に片づけてくる。凛華、お前は彼を守れ。ここは私と風姉が行く」


「え~!嶄兄さんだけずる~い~!」


 文句言う凛華だったが、それを聞いていたのか聞いてもいなかったのか嶄の足が地面を蹴り上げて跳躍と同時にナイフを双つ影に投げていた。まだ双つ影との距離は数メートルもあったが、投げられたナイフは失速する事もなく、まっすぐに双つ影に向かってとんでいく。それと同時に風が両手の手のひらからムチを出して双つ影の体を巻きにかかる。ナイフは厚い体毛によって皮膚に到達することなく完全に止まり、しかしその間に全身をムチがからみついて動きが奪われる。だがさすがにこの大男を持ち上げる事は風でもできないようで、振り回そうとして逆に自分が振り回されている。どこにしまっているのか判らないが嶄がいくつもふところから取り出して投げたナイフも厚い体毛の前では歯が立たず、笹良について見ていた凛華は腕を組んで、だんだんとイライラしてきたのか指が腕を叩きだして、それでも進展しない状況に一度強く地面を踏みつけて


「あ~もう!兄さんも姉さんもなにやってるのよ!まったくボクがいないとなんにもできないんだからしょうがないな~」


 そう言って笹良に笑顔を振りまいて


「ってなわけだからちょっと言ってくるね」


「はい? いや、だってさっき守れって言われていなかったか?」


「う~ん。それってさ、アイツを倒しちゃえば結果的に笹良を守ったってことになるよね? だったら手っ取り早くアイツを倒しちゃった方がいいんじゃないかな? さっき嶄が言っていたとおり、長引かせちゃっても得はないもんね~。ってなわけで、ちょっと行ってくる~」


 文字通り飛び上がる凛華の姿が変わる。頭頂部から動物の、猫の耳が生えてお尻からは三毛模様のシッポが生えている。


「……ん? 猫?」


 自然とそんな単語が口から出ていて、視界とは違う方角で物音がしたような気がしてそちらを向いてみれば、そこにはいつからいたのか人が立っていた。それだけならいい。その人の足元に目をやれば、影が2つ。それでその人の意識がしっかりとしていればまだいいだろう。まるで重度の酔っぱらいのように足元をふらつかせ、目の焦点がまったく合っていないではないか。


「……ちょっと待て」


 そちらに体の正面を向けて、慌てて取り出したのは使っているメモ帳。


「って、こんなの役に立つか?」


 じりじりと下がりつつ服のあちこちを探すが、到底武器になりそうなものなど無い。見える範囲の足元にもそんなようなものはない。守ってくれるはずの人たちはまだあの巨人を相手に闘っていて、今から声を出して気付いてくれるかどうか。


「おいおいマジか?」


 顔を引きつらせながら下がる背中が、建物の壁に当たる。これ以上は下がれない。それなのに双つ影はゆっくりと近づいてくる。


「やっぱりか? やっぱり深く関わりすぎた結果はこれか? これなのか? 2度もこうなる運命なのか?」


 1度目の出来事がまるで走馬燈のように頭に浮かんでくる。あの時は偶然少女に助けられて、


「それが2度も起きたら奇跡だろうな」


 自嘲する。


「知っている? 奇跡ってのは起きる事もあるから奇跡って呼ばれるの」


 真上から聞こえた声に顔を上げ、視界を横断する人の影。追いかけるように視線を移せば腕を切り落とされた双つ影の姿。その背後に立つ少女の姿。鍔のない刀を肩で構え、振り返るのと同時に背中から双つ影を切り伏せた。濁った声を一度だけ上げて双つ影の体が消滅し、鞘にしまうようにして刀が消えて無くなる。振り返る少女の姿はまるであの時のデジャブのようで、なかなか事態の把握が笹良にはできないでいる。まるで過去に戻ったかのように、自分がいま立っている状況が理解できない。


「まったく、あの3兄弟はずいぶんと勝手だな。守ると告げておきながら3人とも双つ影の討伐に集中するのか?」


 伸ばす視線の先ではまだ先ほどの巨大な双つ影に翻弄されている3人がいた。


「こっちの様子はどうかとのぞきに来たんだが、正解だったね。大丈夫?」


 ようやく、少しずつ状況を把握できていた笹良は、力無く頷いて


「ぁ、ありがとう」


 すると少女は、秋月は薄く笑顔を覗かせて


「これで2度目だな。どうも私はお前のピンチの時に駆けつける運命にあるらしい」


 すると笹良、苦笑して


「って事はなにか? これから先もオレには命に関わるようなピンチが訪れて、その度にキミが助けに来てくれるのか?」


「その都度私が来るのが間に合えば、いいんだけどね?」


 薄く笑ったままで告げられた言葉には、さすがに笹良も笑っては返せなかった。

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