劇場で風が吹く
それほどは歩かされなかった。
大通りを東に進み、元々は映画館として利用されていた地下一階まで案内された。
地上に建っている建物さえいつ壊れてもおかしく無いというのに、一度崩れだしたら逃げ場がないような地下に案内された。まずそこに恐れをなしたが、劇場の中に入ってその中にいた数人に一斉に睨まれてさらに背筋を冷たくした。劇場特有の微かに傾斜のある客席にぽつんぽつんと腰かけている人影は、怯えながらも数えたところ4人か5人。本来の電灯ではく持ち運びできる簡易電灯で照らされた館内は薄暗く、客席入り口に立っている笹良は中にいる人物の顔すら満足に伺えない。しかし自分に突き刺さるような視線は変わらず降り注いでいる。
「おい秋月!なんだそいつは」
座っていた中で2人に近かった男が席を立ち、足元に転がっていた空き缶を蹴飛ばして乱雑に近づいてくる。ある程度近づかれれば客席外の電灯の明かりが当たり、男の顔にも光が当たる。笹良よりは年下のようだが隣りの少女よりは年上であろう顔立ち。
元からなのかここに笹良が来たからなのか、目元はつり上がり睨みつけるように笹良を一瞥して少女の前に立つ。
「これはどういう事だ?」
ぶしつけに笹良を指さし
「お前は双つ影の奴を倒しに出ていったんだよな? それで戻ってきてどうしてわけの判らん奴をここに連れてきている? こいつはどうしていい? 追い出すか? 気を失わせるか? それとも殺すのか?」
「ちょ! おい待て! 話が違うじゃないか! お前たちは人は殺さないんじゃなかったのか!?」
睨まれて後ずさりする。運悪く下がったその方向では外に出る扉は遠ざかってしまい、出ようとするには睨んでくる男のすぐ横を通らなくてはならない。
男は指の骨をぼきぼき鳴らして恐怖を演出し
「確かに俺たちは人は殺さない。しかし、俺たちの行動を邪魔しようとする奴がいるんだったら、それが人であろうが双つ影であろうが関係なくひねり潰すのみだ」
組み合わせていた両手をほどき垂らして
「この考えは全員一緒かと思ってたんだが、なんだ
首だけを振り返らせる。
体ごと、ではないのは服を突いて体に突き刺さろうと密着している刀があるからであり、そんな彼は少女の表情を伺えない。
「勘違いをするな。そんな危ない思想を持っているのは羽山、お前だけだ。私たちの敵は双つ影とあの男だけであり、邪魔をして双つ影に殺されてしまうのなら仕方がないが、こちらの邪魔をしたからといって殺していいわけがないだろうが」
切っ先を男の背中から離し、どこかにしまう。すると男は足首と上半身の力で素早く体を180度回転させて、少女の襟元につかみかかる。コンマ数秒遅れて少女の手元の刀の切っ先が男の首元に伸びて――
「そこまでだよ。知ってた? あたしの大好きなのは意味のない言い争いなのよね?」
劇場客席から飛んできたムチが男のコブシを絡め取り、少女の刀に絡まる。
「こんなところで言い争いするんだったら、たまらなくなってあたしも参戦しちゃうけど、それでいいかな?」
伸ばしたこぶしが肩ごとからめられてほとんど動かせない。刀も同様に、斬る事も引く事も出来ないままムチが伸びてきた方角を睨みつける。その気になれば刀に絡まっているムチなど斬り捨てる事が出来る。それと同様にその気になればムチを飛ばしてきた女性は少女の全身を絡め取る事も出来る。それ以前に2人ともその気になればこの建物など崩れるだろう。だから双方同時に刀とムチを収め、男も力を抜く。
手首のスナップで手元に戻ってきたムチを手のひらに収めて、腰まで届く黒髪をわざとらしくかき上げて
「で、そっちの彼は一体何者? こんな所までつれてきたって事は、訳ありなのよね? そうでないんだったらあの男のスパイじゃないでしょうね」
「ん? なにを言っている? どう見ても普通の人間だろうが。そして私たちに見覚えがないんだったら一般人に決まっているでしょう」
刀を収めた少女の言葉に、女性は溜め息ついて
「それがね、そうでもないのよ。いえ、そうじゃなくなったの。アナタが出ている時の報告だったから知らなくてもしょうがないけど、飛鳥さんとこが襲われたってさっき報告があったわけ」
「飛鳥さんが! 襲われた!?」
数歩詰め寄って
「それで、飛鳥さんたちは!」
「それは大丈夫。襲われながらも散り散りになって逃げのびたんだって。でも、問題はそこを襲ったのがあの男の指揮であり、その場所を教えたのも突入の合図をしたのも飛鳥さんとこの人間だったって事」
「つまりお仲間だった奴が裏切ってあの男についたって事だ! つまりよ、わけの判らん奴は当たり前で、顔見知りであっても油断は出来ないってわけだな」
ゴツンと映画館の壁を殴りつける。映画館全体が揺れて、天井からぱらぱらと落ちてくる天井の破片。
「だからそいつはどこの誰なんだ? お前1人が被害を受けるなら一向に構わんが、それで俺たちに被害が及び事になったら殴るぞ」
「か、彼は……」
自分が浅はかな事をしてしまったと、言葉に力が無くなった少女。よろめくように下がり、段差に躓いて身近なイスに腰かけて頭を抱える。
「ちっ、違う! オレは……」
劇場内に響く声で笹良はふところに手を入れる。その行動に男が臨戦態勢をとったが、実際に攻めかかる前にふところから手が抜かれて、その手の先に掴まれていたものに眉をひそめる。
「名刺……だと?」
「ああ! オレはこう言うものだ!」
多少ビビりながらも男に名刺を手渡す。
「あぁん? 記者だと?」
「そうだ! 記者だ!」
そう答える笹良の目の前で、渡された名刺を握り潰して地面に落とす。
「そんな記者さんがこんなとこになんのようだ? つぅか、こんな所まできてなにを書きたいんだよ?」
睨まれてすごんで、それでもなんとか状態を反らして
「オレは! 今ここ新宿で起きていた連続殺人事件の謎を追っていたんだ! 記者が事件を追い求めてなにが悪いっ!?」
腹から出した怒号に空気がびりびりと震え、自分よりも遙かにガタイのいい目の前の男が後ずさりする。
「……くっ!」
男はしっかりと地面に立って頭を振り
「事件に深くは入り込みすぎて、それで死んでもいいのか」
「そんなの! もう体験済みだ! ついさっき一連の殺人事件の犯人に殺されそうになって、そこを彼女に助けてもらったんだ」
そこで視線を客席に腰かけている少女に向ける。視線の先の少女は声を荒げた笹良の行動に目を向けていて、視線が合って笹良はただ笑顔を浮かべた。
「それでだ、さらに奥にある真実を知りたくてオレは彼女にここまで連れてきてもらった。だから悪いのは彼女じゃなく、オレってわけだな」
「なるほど、そう言う事ね」
ムチのように腕を笹良の体にからみつける女性。そうされるまで笹良は彼女の接近に気がつかなかった。のぞき込まれるように肩に顔を置かれて
「でも残念、話す事はあるかもしれないけど、それを話しても普通の人には信じられるはずがない話ばかりなのよねこれって」
「……それを信じるか信じないかは、読み手が感じ取る事じゃないのか?」
そう返すと女性は驚いたような表情を浮かべて笹良から離れて
「面白い事を言うのね。確かにそうね。信じるか信じないかは人それぞれか。じゃあキミが信じるかどうかはこれからのお話で判るね」
「おい
「いいんじゃないかな? 少なくとも敵じゃないっぽいし」
「なぜそんな事が判るんだよ!」
「だって、気づかせないように背後に回り込んでも、気づいてからでもあたしに対して驚きしか見せてこなかったからね。あれが敵だったらそうは行かないと思うけど? それに、どうせ話しても普通の人には信じられない話じゃない?」
段差を降りてイスの腕かけに腰を下ろして
「確か記者なんだよね、えっと……」
指先をぐるぐる回して
「名前なんだっけ?」
苦笑しつつ首を傾げる。
「笹良だ。笹良慎二」
そう告げると彼女は頷いて
「そうか。あたしは
「もちろんだ。警察が入り込まない無法地帯。今にも崩れそうな建物の下にさえ、誰かが住み着く無法地帯。普通なら好き好んで足を踏み込んだりはしないな」
「でも笹良は来たわけだ。それが記者の性って言うの? 命をかけても真実が知りたいわけ?」
「一応は命を落とす前に逃げるって事を心がけているけど、ついさっきそれを逃がして死にかけたからなぁ」
天井を見上げて思い出して、苦笑する。見上げたその視線に入ってくるように、風は人差し指を真上にあげてゆっくりと笹良に向かって下ろして
「言っておくけど、これから話す事を聞いたら戻れなくなるかもよ? 強制ってわけではないけれど、笹良は記者なわけだし、戻りたくても好奇心にそれが負けるかもしれないね。それでもいいわけ?」
目線を下ろした笹良の口元は微かにつり上がっていて、腰に手を当ててため息をつく
「ここまで来て中途半端に聞かされて、それで帰れるほどオレは記者として落ちぶれていない。あの時オレを襲ったどう見ても人じゃない奴に、それを退治してくれた彼女の力、それに先ほどのキミのムチ、今ココで聞き逃したら二度と明かされない謎を持ち帰っても意味がないだろう?」
「ここで話を聞かずに帰る事が、このさき命を落とさない境界かもしれねぇぞ。バカか?」
客席入り口からの羽山の言葉に、わざとらしく指を鳴らして
「バカで結構。さっきはああ言ったけど、真実を追い求めて死ぬってのも記者として悪くないだろう?」
「ふん!」
鼻で笑って背中を向けて客席から出ていく。その姿が見えなくなってから風に視線を移して
「それで、聞かせてくれるんだろ?」
しかしそこに風の姿はなくなっていて、劇場内を探してみれば映画を映すスクリーンの前に立っていて
「ちょっと長くなるからまずは適当に座ってよ。あっ、他の人はつまらないかもしれないから出てってもいいよ」
そう言いつつ手は、人を追い払うように振っているではないか。
「う~ん、どこから話した方がいいのかな?やっぱりあの男の事かな?」
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