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キャッシュカードを得た第三者ではなく、江田自身がお金を引き出したことが銀行の調べで分かった。



セーラは、ベランダの花を処分して住まいを変えた。そうして、鼈甲フレームのメガネをかけ、長い髪を切って、職を探す。

「セーラ」という名前より、「坂巻」という名字を重んじる生活に切り替え、人材紹介会社の仲介で西新宿のゲームソフト会社にたどり着いた。総務での事務仕事だ。

社員登用の試験を受ける頃には、街中ですれ違う人の「映像」を見ることもなくなり、穏やかな日常を手にした。

自分には向かないと思っていた九時五時のOL生活でも、何人かのランチ仲間ができて、アフター5と週末をひとりで過ごすことにも慣れた。

[特別な力]を記憶の引き出しの奧深くにしまい、新しい人生のスタートラインに立ったのだ。


新緑が眩しい五月晴れの日──ポロシャツにチノパンというラフな格好で、セーラは百貨店地下の人気洋菓子店でモンブランとミルフィーユをひとつずつ買った。

東京の外れにある西浦加奈子のマンションを訪ねるからだ。

西浦は同じ職場のOLで、誰とでもフランクに付き合い、新人で三歳年下のセーラにはことさらやさしく接した。

「夫が出張中だから、うちに遊びに来ない?」──週末にセーラが会社の者と会うことはいままで一度もなかったものの、加奈子が産休に入ることで迷うことなくイエスの返事をした。


もらった地図のとおり、駅から歩いて15分ほどの場所にレンガ色の建物があった。十階建ての新築マンションで、大通りに面した一階でセブンイレブンとクリーニング屋が軒を並べている。

インターホン越しに、加奈子が弾んだ声でセーラを迎え、玄関に姿を現した。礼儀程度のメイクとパステルカラーのマタニティ服がオフィスでのイメージを遠ざけている。

「宅配モノで申し訳ないけど……ちょうどピザが届いたところよ。だれもいないから、今日はゆっくりしてね」

三人がけのソファの真ん中に座らされたセーラは、キッチンで紅茶を煎れる加奈子の後ろ姿を眺めた。

ポニーテールにした髪の栗毛色が、ガラスを透過した陽光に淡く融けている。テレビ台に目線を移すと、ハガキサイズのフォトフレームの中で、ウェディングドレスの加奈子が新郎にキスをしていた。

幸せな夫婦生活の匂いが居住空間にあふれている。

「ハワイで式を挙げたの。もう八年も前だけど……」

ガラステーブルにティーポットとカップを置いて、加奈子が切り出した。

「西浦さん、どうぞお構いなく。あんまり動くとお腹の赤ちゃんに悪いから」

「ううん、動いた方がいいのよ。助産婦さんにそう言われてるの。体重がオーバー気味だから運動しなきゃダメだって」

「仕方ないですよね。赤ちゃん分の栄養も取らなきゃいけないんですから」

「お腹に子どもがいても、増えていい体重の上限があるの……気をつけなきゃ」

セーラがティーカップに指をかける前に、加奈子は笑みを絶やさずに宅配ピザの蓋を開けた。

「女の子か男の子か、分かってるんですか?」

「男の子みたいだけど、わたしはどっちでもいいの。やっとできた子だから……」

うつむき、少しはにかんだ表情で加奈子は答え、ふたつの真白い皿にピザを乗せていく。

それから──仕事と上司のこと、マタニティスイミングのこと、趣味のフラダンスのこと。会話する相手がしばらくいなかった調子で、加奈子は話し続け、ことあるごとに声を出して笑った。

いまこの瞬間こそが幸せで、まるで、その幸せな瞬間が永遠に続いていくかのような表情で、お腹の子をさする。同僚の臆面のなさとテンションの高さにとまどいながらも、セーラはおしゃべりを楽しんだ。

マンションの外界を防音ガラスが遮断して、世の中から二人だけが切り取られた感じだ。

やがて、ひと切れのピザが取り残され、不自然な沈黙が流れる。

「ねぇ……坂巻さんは、もう一度家庭を持つつもりはないの?」

加奈子が真顔になって口を開いた。

もう一度──たった五音の単語が鋭利に響き、セーラは息を呑む。[特別な力]のことはもちろん、離婚していることも誰にも話していない。


(7/8へ続く)

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