番外編(7)

答えを返さなかった。

彼女がそうかどうかはわからない。

しかし、自分は彼女のそばにいたかった。

彼女の笑顔が見られる場所にいたかった。

それを口にすることはなんだかはばかられた。

言葉にしてしまうと現実にならないような気がした。

「何か問題があるのか?」

「………」

黙り込んでしまった。

「ホントかわいくねぇな!」

肩をすくめながら、半分冗談めいて言った。

「………」

「そんなつまんねぇことで意地はってると、本当に伝えたいことも伝えられなくなっちまうぜ」

バーンはビクッと一瞬体を震わせ、眼を見開いた。

一番考えたくない想いが彼を支配した。

『死』という影。

常に自分とともあるもの。

「兄さんには……わからないよ」

消え入りそうな声でつぶやいた。

心が動揺していた。

兄の言ったことに腹を立てている自分がいた。

バーンの様子に気づいたのか、アレックスは口の端だけで笑うと続けた。

「ま、どうしてそこまで一歩を踏み出すのを躊躇っているんだか。確かにお前じゃないからわからんけどな」

「………」

そっぽを向いたままで、口は堅く結ばれていた。

アレックスは口元に右手をあてると厳しい口調になった。

「彼女は真剣にお前に向かってきてるんじゃないのか?」

昨日、ラシスの流した涙を思い出していた。

無意識に流れ落ちた涙。

幾重にも、幾重にも。

まるでバーンの気持ちに同調したように泣いてしまった彼女。

泣くことができないバーンに代わって泣くように。

「………」

「バーン、逃げんじゃねえぞ」

真っ直ぐに弟を見たままで言った。

「本気で向かってきているヤツには絶対に逃げるんじゃねぇ。それが男でも女でもだ」

覚悟を決めろと言うように。

殻に閉じこもるなとでも言うように。

「ぶつかってみなきゃわからねぇことだって、この世の中にはたくさんある。喧嘩だって、恋愛だって同じさ」

アレックスとは違って、バーンは他人を押し退けてまで、自分を通そうとしたことは一度もなかった。

小さい頃から、何かあるとそれを意識的に回避してきたような節があった。

自分から身を引くことで、すべてが丸く収まってしまうと思っている節があった。

「………」

そうではないと信じたかったが、釘を刺したかった。

今回のことももしかしてという思いがあった。

「彼女のことをもっと知りたいとそう思ったんじゃないのか?」

アレックスは自分の思っていることをズケズケと言い放った。

何の遠慮もなく。

両親がいない彼にとって、アレックスは半分親代わりのような存在だった。

彼にこうも直接的にものが言えるのは、今やアレックスだけなのだ。

いいことも、悪いことも。

すべてを含めて彼に意見できるのは、アレックスだけなのだ。

幼い頃からの事件や出来事をすべて承知し、それでも関わり続けられたのは、もはや彼だけなのだ。

「………」

バーンは言葉に詰まった。

「彼女にもっとそばにいてほしいとそう思ったんじゃないのか?」

「………」

何も言えなかった。

「ごくごく自然なことだぜ。別におかしなことじゃない。当たり前のことさ」

幼い頃から家にこもりがちだったバーン。

普通の子どもに比べると極端に人付き合いがなかったバーン。

他人と関係をつくるのが苦手なバーン。

友達をつくることも、外へ遊びに行くこともしなかった。

できなかった。

そんな彼が初めて自分から他人の存在を求めた。

これまで拒否し続けてきた彼が初めて。

自分以外の存在に興味を持ったのだ。

ようやく…。

ようやく『人』としての一歩を踏みだそうとしているのかもしれないと思った。

アレックスはまた煙草に手を伸ばした。

ひょいと一本取り出すと口にくわえ、片手でジッポの蓋を開けると火をつけた。

ふうっと一息ついた。

「俺なんかいつものことだけど。人肌が恋しいのは」

そう言うとアレックスは椅子から立ち上がった。

「素直になれよ、バーン。本当に彼女のことを想うなら、それを伝えてやれよ。お前自身の『言葉』で…さ」

背もたれに片手を置いたまま、バーンの方を見て言った。

「…………」

驚いた顔で兄の見ていた。

アレックスもこんなに表情が顔に出ているバーンを見るのは何年ぶりだろう。

と、そんなことを思っていた。

「白状しちまえ。彼女のことが好きなんだろ?」

前置きの話をやめにして、核心を切り出した。

普段の何気ない会話のように、全く気取らない口調で話していた。

バーンも観念したように黙り込んだ。

自分の気持ちを整理した。

正直に。

素直に。

ありのままに考えた。

きっとこの事は、今、眼の前にいる兄にしか話せないことのような気がした。

この機を逃すともう話せなくなるようなそんな気がした。

バーンはちょっと息を吸い込んだ。

「……好き…だよ…」

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