番外編(4)

しばらく黙り込んでから、再びバーンが話し始めた。

「火加減の仕方が…昔より上手くなったね、兄さん」

あらかた食事を終えたアレックスは、2杯目のコーヒーをカップに注いだ。

「ま、一応NYあっちで自炊生活が長いからな」

デキャンターをテーブルに置くと、濃いブラックコーヒーを飲み始めた。

「…今、付き合ってる彼女に…教えてもらったんじゃないの?」

「ふふん、ハズレじゃないが、アタリでもないね」

口の端だけで笑った。

彼女から作り方の手ほどきされたのではなく、自分が苦労して腕を磨いたんだと言いたかった。

「当然、レシピはきいてるけどな」

「……ベッドで?」

「………」

思わずあっけにとられてしまった。

予想しなかったバーンの言葉の押収に黙り込んでしまった。

「………」

ふたりで顔を見合わせた。

困った顔でアレックスがつぶやいた。

痛いところをつかれたという表情がほんの少しでていた。

「そんな人聞きの悪い。取っ替え引っ替えなんてしてねぇぜ」

飲んでいたカップをテーブルの上に手放すと胸ポケットに手を突っ込んだ。

煙草の箱をつかむと人差し指でトントン叩き、頭を出した一本を引き抜くとジッポライターで火をつけた。

言い訳するように紫煙を吸い込んで、ゆっくりはき出した。

自分の素行の悪さには自信があるが、複数の女性と一度に交際するなんて事はしたことがなかったし、するつもりもなかった。

自分のポリシーに反していた。

「……そんな事言ってないよ」

バーンも言い訳がましくつぶやいた。

「………」

その表情を煙草を吸いながら、アレックスは見ていた。

あまりにも兄に見つめられてバーンはそっぽを向いた。

聞き取れないほどの声で謝罪した。

「…ごめん」

バーンは後悔していた。

こんな事を口に出してしまった自分に。

「いい傾向だ」

見つめていたアレックスの目がやさしくなった。

「お前、しばらく会わないうちに言うようになったな」

本当にうれしそうにアレックスは笑っていった。

こうも素直に反応を返すバーンを見るのは初めてだった。

「………」

恥ずかしくなったのか、バーンは食べかけのトーストを皿の上に置くと急に席を立った。

勢いよく椅子を後ろに押す音がダイニングに響いた。

そのまま、きびすを返すと2階へと足早に向かってしまった。

アレックスは声も掛けずにその背中を見送った。

(ホントにスゲーな、俺の勘も。

ここまで当たると如実に笑っちゃうけどな)

階段を上っていく音が聞こえた。

視線を2階へと向けながら、コーヒーの入ったカップを口元へと運んだ。

2口、3口と飲みながら、考え込んだ。

(それにしたって喜ばしいことだよな。

今までのあいつのことを思えば・・・。

これであいつもようやく自覚したか!?

自分の変化を。

意識したんだろうか?

ラシスのことを。)

もう一度、煙草を吸うと天井に向けて一気に煙を吐き出した。

そして、火のついた煙草をそばにあった灰皿で押し消し、立ち上がると弟のあとを追った。

階段をゆっくりと上り、バーンの部屋を目指した。

薄暗い廊下。

ダークブラウンで統一されたフローリングや階段の手すり、そしてドアがいくつも見えた。

一番手前の部屋のドアは開けっ放しになっていた。

中を見るとバーンがいた。一応、右手でノックをした。

けれどバーンの返事はなかった。

返事を待ちつつ、再び煙草を取り出すとまた火をつけた。

言葉を話すように紫煙をはき出した。

廊下に白く渦が現れ、そして程なく消えていった。

何度かその動作を繰り返し、それを口にくわえたまま声を掛けた。

「バーン、入るぞ」

努めて冷静な口調で話し始めた。

「………」

ベッドサイドに座ったまま、うなだれているバーンがいた。

くわえた煙草を右手でつまんで、持ち直した。

部屋に入り、彼の横をすり抜け、机の下に仕舞い込まれていた椅子を引き出した。

その背もたれを前にして、座り込んだ。

両腕を組むようにその上に置いた。

「ん?」

アレックスは弟の顔を覗き込んだ。

「………」

バーンは身じろぎすらせずに、床を見ていた。

長い沈黙が部屋の中を支配していた。

しかし、重苦しい雰囲気になっているわけではなかった。

ただ、兄は弟の言葉を待っていた。

彼の想いが言葉になって、表に出てくるのを待っていた。

バーンは本当に自分の感情を言葉にすることが苦手なのだ。

もっとも弟の身近に居続け、見守り続けた彼だからこそわかること。

幼い頃から続く出来事を自分自身の中に封印するように、弟は殻にこもるようになった。

バーンは、認めるのが怖かった。

自分に感情があることを。

自分の感情が変化することを。

自分が不幸の原因であるということを。

アレックスは、その想いから弟を少しでも解放してやりたかった。

そんなことは信じていないと。

思い込みだと。

生きている『人間』ならば当たり前のことなんだと。

何かを感じながら、喜んで、悲しんで、憤って生きていくものなんだと。

バーンは、小さくため息をついて肩を落とした。

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