番外編(4)
しばらく黙り込んでから、再びバーンが話し始めた。
「火加減の仕方が…昔より上手くなったね、兄さん」
あらかた食事を終えたアレックスは、2杯目のコーヒーをカップに注いだ。
「ま、一応
デキャンターをテーブルに置くと、濃いブラックコーヒーを飲み始めた。
「…今、付き合ってる彼女に…教えてもらったんじゃないの?」
「ふふん、ハズレじゃないが、アタリでもないね」
口の端だけで笑った。
彼女から作り方の手ほどきされたのではなく、自分が苦労して腕を磨いたんだと言いたかった。
「当然、レシピはきいてるけどな」
「……ベッドで?」
「………」
思わずあっけにとられてしまった。
予想しなかったバーンの言葉の押収に黙り込んでしまった。
「………」
ふたりで顔を見合わせた。
困った顔でアレックスがつぶやいた。
痛いところをつかれたという表情がほんの少しでていた。
「そんな人聞きの悪い。取っ替え引っ替えなんてしてねぇぜ」
飲んでいたカップをテーブルの上に手放すと胸ポケットに手を突っ込んだ。
煙草の箱をつかむと人差し指でトントン叩き、頭を出した一本を引き抜くとジッポライターで火をつけた。
言い訳するように紫煙を吸い込んで、ゆっくりはき出した。
自分の素行の悪さには自信があるが、複数の女性と一度に交際するなんて事はしたことがなかったし、するつもりもなかった。
自分のポリシーに反していた。
「……そんな事言ってないよ」
バーンも言い訳がましくつぶやいた。
「………」
その表情を煙草を吸いながら、アレックスは見ていた。
あまりにも兄に見つめられてバーンはそっぽを向いた。
聞き取れないほどの声で謝罪した。
「…ごめん」
バーンは後悔していた。
こんな事を口に出してしまった自分に。
「いい傾向だ」
見つめていたアレックスの目がやさしくなった。
「お前、しばらく会わないうちに言うようになったな」
本当にうれしそうにアレックスは笑っていった。
こうも素直に反応を返すバーンを見るのは初めてだった。
「………」
恥ずかしくなったのか、バーンは食べかけのトーストを皿の上に置くと急に席を立った。
勢いよく椅子を後ろに押す音がダイニングに響いた。
そのまま、きびすを返すと2階へと足早に向かってしまった。
アレックスは声も掛けずにその背中を見送った。
(ホントにスゲーな、俺の勘も。
ここまで当たると如実に笑っちゃうけどな)
階段を上っていく音が聞こえた。
視線を2階へと向けながら、コーヒーの入ったカップを口元へと運んだ。
2口、3口と飲みながら、考え込んだ。
(それにしたって喜ばしいことだよな。
今までのあいつのことを思えば・・・。
これであいつもようやく自覚したか!?
自分の変化を。
意識したんだろうか?
ラシスのことを。)
もう一度、煙草を吸うと天井に向けて一気に煙を吐き出した。
そして、火のついた煙草をそばにあった灰皿で押し消し、立ち上がると弟のあとを追った。
階段をゆっくりと上り、バーンの部屋を目指した。
薄暗い廊下。
ダークブラウンで統一されたフローリングや階段の手すり、そしてドアがいくつも見えた。
一番手前の部屋のドアは開けっ放しになっていた。
中を見るとバーンがいた。一応、右手でノックをした。
けれどバーンの返事はなかった。
返事を待ちつつ、再び煙草を取り出すとまた火をつけた。
言葉を話すように紫煙をはき出した。
廊下に白く渦が現れ、そして程なく消えていった。
何度かその動作を繰り返し、それを口にくわえたまま声を掛けた。
「バーン、入るぞ」
努めて冷静な口調で話し始めた。
「………」
ベッドサイドに座ったまま、うなだれているバーンがいた。
くわえた煙草を右手でつまんで、持ち直した。
部屋に入り、彼の横をすり抜け、机の下に仕舞い込まれていた椅子を引き出した。
その背もたれを前にして、座り込んだ。
両腕を組むようにその上に置いた。
「ん?」
アレックスは弟の顔を覗き込んだ。
「………」
バーンは身じろぎすらせずに、床を見ていた。
長い沈黙が部屋の中を支配していた。
しかし、重苦しい雰囲気になっているわけではなかった。
ただ、兄は弟の言葉を待っていた。
彼の想いが言葉になって、表に出てくるのを待っていた。
バーンは本当に自分の感情を言葉にすることが苦手なのだ。
もっとも弟の身近に居続け、見守り続けた彼だからこそわかること。
幼い頃から続く出来事を自分自身の中に封印するように、弟は殻にこもるようになった。
バーンは、認めるのが怖かった。
自分に感情があることを。
自分の感情が変化することを。
自分が不幸の原因であるということを。
アレックスは、その想いから弟を少しでも解放してやりたかった。
そんなことは信じていないと。
思い込みだと。
生きている『人間』ならば当たり前のことなんだと。
何かを感じながら、喜んで、悲しんで、憤って生きていくものなんだと。
バーンは、小さくため息をついて肩を落とした。
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