第109話 つなぐ(2)

「なにか、あったの?」


突然、そんなことを言い出した夏希に萌香は彼女の顔を覗き込むようにして訊いた。



「いえ。 別に。 ウチのお母さんも、隆ちゃんのご両親に会ったり。 それだって、なんだかすごくスムーズに行って。 隆ちゃんのお父さんとお母さんも、すごく色々してくれて。 隆ちゃんは今日、近所に借りることになったマンションの契約に行ってくれたりするし。 ウソみたいに順調なんですけど。」



すごく


夏希の戸惑いがわかる気がした。




「大丈夫よ。 結婚は結婚だけどね。 何も変わらないし。」


萌香はニッコリ微笑んだ。



「栗栖さん、」



「あたしも。 彼と何年も一緒に暮らして。 いざ、籍入れるってなったとき、ちょっとドキドキしちゃったもの。 今まででも十分幸せやったし、これで何かが変わってしまうんやないかって・・」


自分が思っていたことをそのまま言ってくれたので、



「そう! そうなんです!」


夏希は身を乗り出した。



「でもね。 おんなじやった。 彼もあたしも。  それに、あたしたちの結婚でお互いの親がね、会ってくれたり。 嬉しいことがたくさんあった。 あたしたちがこうして結婚って形をとらなかったら、こんなに幸せなことなかったしって思う。 加瀬さんたちだって、こうやって高宮さんのご両親と和解もできたし。 それを考えるとすごく意味があることやと思うの。 あなたたちの結婚によって・・みんな幸せになれるって言うか。 家族ってそういうもんやなあって。」




いつものように


美しい表情であたたかい目でそう言ってくれる萌香に感謝の気持ちでいっぱいだった。



「前にも言ったけど。 高宮さんは加瀬さんに満点の奥さんになって欲しいだなんて思ってないわよ。 あなたらしく、今までどおりに彼と暮らしていけばいい。」



なんだか


ウルウルしてしまう・・




夏希はありがたい言葉なのだが


ぐすんと涙ぐんでしまった。




「んで。 引越しは今月の末くらいでいいかな。 それまでに電気とかガスとかの契約もして・・」




その晩


高宮が説明してくれたことを


夏希はもうボケっとして、聞いているのか聞いていないのかわからない状態でいた。



「聞いてる?」


イラっとして高宮は言った。



「・・え・・」



振り向いた彼女の目は、とろんとして全く元気がなかった。



「どしたの?」



「・・いえ・・別に。」


と言ったものの。




高宮と一緒に生活することに関しては


全く違和感はなく。


むしろ嬉しいことであった。



つきあい始めてもう


3年ほど経って。


二人でいることが自然になって。




だけど


このモヤモヤしてる気持ちはなんなのだろう。




ボキャブラリー不足の夏希は


『虚無感』


だとか


『喪失感』


という言葉はさっぱり浮かばなかったが。



しかし


夏希の引越しの準備は一向に進まなかった。



荷物を整理しようとすると


ここにやって来たばかりのことなどを思い出して手が止まってしまう。




あんなに怖かった斯波さんが


ホント


よくしてくれたよなァ・・



などと思うと


またしてもひとり涙ぐんだりしてしまった。






「おまえはバカかっ!!!!」



ひときわ大きな声が事業部に響き渡った。



「なんでこんな簡単な計算を間違うんだァ!? このまんま経理に通って予算組まされるとこだったんだぞっ!!! ヒトケタ違うじゃねえかっ! 経理の人が気づいて教えてくれたからいいようなものを! おれがいちいち目を通さないとこんなもんも一人でできねえのかよっ!!」



「すっ・・すみません・・」


夏希は斯波に頭を下げっぱなしだった。



本当にバカとしか言いようのないミスだった。


夏希は情けなくて情けなくてどうしようもなかった。

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