第25話 凪ぎ(2)

「あ、これ。 頼まれてた翻訳できました。」


真緒は斯波のところにコピーを持ってきた。


「ああ・・ありがと。」


「けっこうフランスとの交渉ごとあるんですね~。」


「真尋が公演をすることが多いから・・契約とか。 今までは翻訳も外注したりして大変だった、」


「そうかあ。 真尋一人のためにお金つかうってのもね~~、」


真緒はお気楽に笑った。


「いちおう。 稼ぎ頭だし?」


斯波はいつものようにクールに言った。



事業部でも真緒にフランス語を訳してもらったりと仕事を頼むようになってきた。




「ね~、この前おもしろいTシャツ着てる人見ちゃった! 黄土色の地にね。 背中にひとこと『カレー』って書いてあるの!!」


真緒はおかしそうに夏希に話をした。


「『カレー』って・・。 まんまなTシャツ~、」


夏希も笑ってしまった。


「もー、ひとりでツボ入っちゃって! 気がついたら一人で歩きながら笑ってた、」



本当に


うっかりすると


社長の娘だなんて忘れてしまうほど


真緒は気さくな性格だった。


話もおもしろくて、おしゃべりな夏希とも話が合った。





見た目は


平和に毎日は過ぎていったが。


ある日。


女子ロッカーで髪をとかしていた夏希に


「・・ねえねえ、」


にじり寄ってきた女子社員がひとり。


彼女は以前、夏希が高宮とつきあっていることに、もんのすごい嫌味を言ってイジワルをしてきた。


最近は何も言わなくなってきたのだが。


「・・なんですか?」


いい話ではないようなオーラが充満していた。


「秘書課に。 社長の娘が来てるでしょう?」


「はあ・・」


「みんなさあ、噂してるよ~、」


「は?」


「離婚して戻ってきたんでしょ? 社長がここで仕事させてるのも、実は高宮さんとくっつけようとしてるんじゃないかーって。」


ニヤつかれてそう言われた。


「はあ?」



いったい


何が言いたいのだろうか・・。



「高宮さんと一緒にさせて~。 ほら、彼って社長に気に入られてるでしょ? 専務の代になってもさあ、それなら安心っていうか。」


そんなことを


こんなに嬉しそうに話されても。



夏希はただただ呆然としてしまった。




それは


単に彼女が夏希にイジワルをしようと思って言ったことではないようだった。


いつの間に社内では真緒がやってきてから


まことしやかにそんな噂が広まりつつあるようだった。




「ハア? なにソレ・・」


南は驚いた。


「なんか・・あたしもちょこっと総務課で噂をされているのを聴いてしまって。」


萌香は困惑したように言った。


「けっこう二人で行動していることが多いし。 残業とかも。 それでそんな風に言われているのか、」



『その噂』を萌香も耳にしていた。


「社長がそんなん思ってるわけないやん。 真緒ちゃんのこと、社長なりに心配してさあ。 忙しくてあんまり顧みることができなかった娘のことを離婚して戻ってきた今、何とかひとり立ちさせようと思って・・ずっとここにいさせるつもりもないと思うけど、」


南は言った。


「事情をわかっている人ならそう思えるんでしょうが。」


「みんな勝手なこと言ってくれちゃって、」


ため息をついた。


「加瀬さんの耳に入らなければいいと思って、」


「・・確かに・・」



二人は心配したが


もうすでに


夏希の耳にはガッツリと入ってきていた。



落ち込まない


落ち込まない


噂だもん。



夏希はそれを振り払おうと必死に仕事に没頭した。




「あ~~、どこ行ったかなあ。 時間ないっつーのに、」


昼休み前、秘書課を除くと高宮が若干パニックになってそこにいた。


「隆ちゃん、」


夏希がそっと声をかける。


「え?」


とりあえず顔を上げたが、一生懸命探し物をしている。


「今日・・あたしがあんこを迎えに行って隆ちゃんちに連れて行っててもいい?」


と声をかけた。


「あ~~~っと・・・今日は遅くなるかもだし。 夏希んちに連れてってもいいよ、」


探し物に夢中でつい適当に答えてしまった。


「あ・・うん、わかった。」


夏希は寂しそうにそう言って、すうっとそこから去ってしまった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます