013 表現には自由と制約が埋まっている。

 アイデアノートの一件があったこの日、森部長、川端副部長が部活に来てから話題にあがったのは、谷崎のBL作品に関する話であった。


「なぁ谷崎。前から思ってたんだけど……。BL小説を書くのはいいけど、部員をモデルにするのはどうかと思うぞ。」


「いいこと言ったぞ龍介! 俺様もそれに激しく同意だ!」


 そう問題提起を起こしたのは、谷崎のBL小説被害者である芥川と中原であった。


「え~、それは表現の自由だと思うけどな~。」と谷崎は悪びれない様子で答える。


「っぐ……。表現の自由って便利な言葉だな。」


 表現の自由――日本国憲法21条で「言論,出版その他一切の表現の自由」が保障されている。これは,戦争中の全面的な言論弾圧が行なわれた歴史の反省として規定されたものである。外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現、発表する自由。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。(※参照 ブリタニカ国際大百科事典)


「もう~それなら二人も、私や川端副部長、太宰ちゃんをモデルにしてドエロい百合小説書いていいよ~。」


 谷崎のその言葉に、「嫌ですよっ!」と太宰は慌てて異議を唱え、川端も「何を勝手なこと言ってるんですか。」と眉をひそめた。


 わいわいと話が盛り上がり始めた部員たちを見て、森部長は一つ咳ばらいを入れた。それは部長が何か言葉を発する予備動作であり、文芸部の面々は口をつぐんで部長を見た。


「ふむ――。創作活動を行う小説書きにとって、表現の自由などの法的根拠を理解しておくことは非常に重要なことだ。新入部員の太宰もいることだし、本日の活動は『表現の自由』に関して討論しよう。」


 こうして『表現の自由』をテーマに部内での集団討論が始まった。最初に口を開いたのは、芥川であった。


「確かに戦時中の政府による厳しい検閲、言論封殺は断じて繰り返してはいけません。しかし、表現の自由って言えば、何を表現しても許されるという風潮は返って危険だと思います。」


 芥川の意見に、中原が同調する。


「その通りだ。表現の自由は、全ての禁忌を解放する魔法の言葉ではない。世の中には、公に封印を解いてはならぬ物もあるのだ。」


 中原の意見に対し、谷崎が反論を示す。


 それは中原を一瞬で黙らせる会心の一撃であった。


「そうなんだ~。だったらさ~、中原の部屋にある、”未成年の女の子に、ピ―――、しようとする薄い本は、絶対真っ先にアウトだよね~。」


「……なっ、……なんでっ!?」


「はっは~、ベッドの下に隠すとか愚かなり~。幼馴染の目はごまかせないのだよ~。」と、得意気に谷崎は中原を断罪する。


「ば……ばかっ……そ、そ、そんなもの……も、もってるわけないじゃん!」


 普段のキャラが崩れるほど激しい動揺を示す中原に、太宰、川端の女子部員たちは白い目をしてどん引いた。


 瀕死の中原に、同じ男として芥川が助け船を出す。


「落ち着け、中原――。俺たちはまだ未成年だ。ということは、同年代に対して欲情を示すのはそこまでおかしな話じゃない。」


「そ、そうか……。あぁ、そうだな! 助かったぞ龍介! JSやJCものは、まだセーフなんだ。」


 その言葉に、今度は芥川も白い目になった。


「いや……、さすがにそれは……アウトかもしれない。」と、芥川は中原から目を逸らした。


「かもしれないじゃなくて、アウトですよ!」

「アウトだよ~。」

「アウトに決まってます。」と女子部員たちは断言する。


 そんな彼女たちに、森部長はあくまで中立的な立場で言った。


「……ふむ、しかし。真面目な話として、そこは大きな議論の余地があるぞ。児童ポルノ禁止法が施行され、全国の書店から、性描写を部分的にでも含んだ漫画など出版物が撤去された紀伊〇屋事件。その中には『ベルセ〇ク』や『あ〇み』など、文化庁主催の賞を受賞したような、芸術的価値が高いと評価された作品も多くあった。」


 森部長の言葉に、部員たちは難しい表情を浮かべた。表現の自由とは、そして児童ポルノ法とは、それぞれ考えさせられているようだ。


「確か若年層に悪影響を与える可能性があるとしても、やりすぎてしまうのはよくないでしょう。それこそ、ミステリ小説なんかでは殺人事件が起きるのは当然ですし、グロテスクな表現や描写もまた避けられない部分があります。」


 川端はそう言って、眉間にしわを寄せながらぬるくなったコーヒーを啜った。


「う~ん~。でもでも~、ヘイトスピーチみたいな差別的な言論や、凶悪犯罪を犯した犯人の自伝が出版することあるもありますよね~。わたしはあれに関しては規制もありだと思うな~」


 谷崎は地元の神戸でおきた凄惨な児童連続殺人事件の事を思い浮かべていた。犯人の男はおぞましい数々の殺人を犯しながら、まだ未成年だったため死刑にはならなかった。少年院を出て成人した犯人が、当時の心境を自伝本として出版したことが大きな話題となり、それで得た印税は数千万にも及ぶといわれる。


「気持ちはわかるが、規制するにしても基準がいるな。どこまでがセーフでどこまでがアウトか。」


 芥川の言葉に、「誰がその基準を決めるというの?」と川端が問う。


「…………。」


 その問いに答えはない。明確な基準がつけられない以上、規制はできないのが現状である。表現の自由に関する話題が暗礁に乗り上げていた時、撃沈していた中原がようやく復活して口を開いた。


「時を戻そう。そもそも谷崎、貴様が書くBLにおいて、我々がモデルとなっていることが問題なのだ。」


 中原の言葉に、芥川は目を丸くして賞賛の言葉を口にした。


「あぁ、本当だ。中原もたまには良い事言うじゃないか。」


「たまには余計だぞ。」と睨む中原を無視し、「表現の自由だとしても、個人の尊厳を害する表現は禁止のはずですよね?」と森部長に尋ねた。


「そうだな。個人を中傷するような内容は名誉棄損、また明らかに個人を特定できる内容で、その人物の日常を描いた場合はプライバシーの侵害で訴えられる可能性がある。」(※1964年 三島由紀夫が訴えられた「宴のあと事件」参照)


 森部長のさすがの知識量に感服しつつも、芥川と中原はそれみたことか、という視線を谷崎へと送った。


「むぅ~! BLのモデルにされるなんて、むしろ名誉なことでしょ~!」


 谷崎は口を尖らせて反論する。


「お前の価値観で語るな!」

「貴様の価値観で語るな!」


 シンクロ率100%で、芥川と中原はつっこんだ。谷崎はいじけるように反論を続ける。


「なによ~! プライバシーだって配慮してるもん~! ちゃんと芥●龍介と中原●二って伏せ字にしてるもん!」


「うむ、もう少しちゃんと伏せようか。」と森部長は困り顔で言う。


 そのやりとりを眺めていた太宰の頭に、ふと前々から思っていた疑問が浮かんだ。


「そういえば、よく漫画や小説のパロディとかでみかけますけど、バレバレな伏せ字って、あれ意味あるんですかね……?」


 太宰の問いに、川端副部長は「例えば……?」と具体例を尋ねた。


「ほら、『千葉に王国を構える世界一有名な某ネズミ』とか、もっとひどいのは、数字の0をアルファベットのOにしたり、片仮名のロを漢字の口にしたり……、あれってかえって目立つから逆効果な気もしますよ。」


「確かに――、久米●康治先生の、『さよなら絶●先生』とか、むしろ伏せ字にして煽ってる感あるな。」と中原は納得した。


 太宰はいつの間にか、大正の書生さんスタイルの服装に丸眼鏡をかけていた。そして両手をこめかみにあて、絶望の声をあげる。


「中途半端に隠すくらいなら、いっそ男らしく曝け出したらいいのに!」


・口ックマン→(片仮名のロを漢字の口にする)

・1〇1ぴきわんちゃん→(数字の0を〇にする)

・う●こ、ち●こ、ま●こ→(一文字隠しても、もろ出てる)

・SE×→(Xをばつにする)

・下半身露出した黄色いクマ→(悪意のある伏せ字)

・前回隠したところと、違う場所を隠す……などなど。


「世の中――隠れきれてない伏せ字が多すぎる! 絶望した!!」


 と、太宰は天を仰いだ。


 熱くなり始めた太宰に、「いや……。そこはほら……大人の事情だろ。ってか、この具体例羅列する感じ、久米●先生の作風までパクるのはまずい。」と芥川は必死で嗜めた。


「そうえば~、どうでもいい事だけど、伏せ字で思い出したんだけどさ~」と切り出したのは、谷崎である。


「『エ〇サイト』ってヤフーキ●ズで検索しても、エキサイトしか出てこないよね~。」


「ほんと、果てしなくどうでもいいな。あとそれは断じて、ヤフーキ●ズで検索するワードではない。グー〇ルのシークレットモードで検索しとけ。」


 谷崎は芥川の言葉に、「え~? キッズたちもエ□サイトって検索するでしょ~」と反論する。


「おい、全然隠れてねぇぞ!」


「なんか今回……、後半伏せ字ばっかりですね。」と川端は呆れ顔で、大きなため息をついた。


 そんな川端に、太宰は決して大きくない胸を大きく張りながら言った。


「面倒な伏せ字をなくす最終手段がありますよ! これさえ付ければ、何を書いても怖くありません!」



※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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